第29話 ミミ・ネザーランドの話

 元々、ルピルは物事に対して一歩退いて見るような子供だった。関心事が少ない。今も、正義感や使命感を抱いているとは言えない。

 だが、革命軍に対してはアナの影響で好印象は抱けず、エリーチェとキルトについては彼女達の影響で連帯感を抱いていた。


 今。この現状を作ったのは革命軍であり、どこかの王族であり。


 それはルピルにとっては、敵対の方向を向くことを結論付けていた。


虚空界アーカーシャの太陽とは、巨大な光球です。聯球儀イリアステルを中心に公転しています。その軌道上、つまり聯球儀イリアステルを挟んで反対側の位置に、この場所があります」


 老師と呼ばれる老人が用意した食事を摂る。何はともあれ、今のルピルは快復に努めなければならない。ここが月教徒達の本拠地で、つまり敵陣のど真ん中であろうと。今のルピルがやるべきことは、栄養を摂り、休むことであった。


「おいしい」

「そうでしょう? ここで育てている野菜のスープです」

「やさい」

聯球儀イリアステルでも、第3層辺りから市販されている筈ですが」

「初めて食べたよ。本物の草」

「…………そうですか」


 部屋には窓がある。観音開きに開けられており、時折カーテンが揺れる。風だ。ルピルにとっては、珍しい光景。


「…………息をしているだけで美味しいんだけど」

「ここには、聯球儀イリアステルには無い酸素があります。初めて来られた方は皆そう言います」

「……さんそって、星鉄を駄目にするんじゃ」

「ですから、ここの物は殆どが木製です」

「…………」


 鼻から、口から。新鮮で清潔な空気を吸う。こんなにも呼吸が心地良いのは初めてだった。あの第5層の工業区は、空気が悪いのだと、今知った。


「…………20年前の弾圧から生き延びて、虚空船ヴィマナ聯球儀イリアステルを脱出したんだね」

「仰る通りです。虚空船ヴィマナは元々、我々『金烏の民』の発明品です。……ここは太陽と最も離れた場所。影になる為、聯球儀イリアステルからは決して見えない闇の底。ここは冥土ネザーランド。酸素があり、土があり、草木と風がある。月教が目指す『約束の地』を小規模に再現した小さな楽園です」


 思えば、全くの偶然とも言えないのだ。崩壊が起きたのが、ラムダ-4の時刻で真夜中だった。つまり太陽は反対側にあった。そこから真っすぐ、聯球儀イリアステルの中心部から太陽と逆方向に飛ばされれば。対角線上にあるこの冥土ネザーランドの重力圏内に引っ掛かる可能性は高い。


「……どうして僕を助けてくれたの? 僕は王族ウサギでしょ」

崩壊パージに巻き込まれて冥土ネザーランドまで飛ばされる王族などありえません。それに、姫様はミミの言う『鍵』であり、ミミの連れて来た少女リリンさんの友人とお聞きしていますから」

「じゃあ、なんで姫様」

「ウサギはウサギですから。思想は違えど、我々人類の指導者であることには変わりません」

「…………」


 冥土ネザーランドは月教徒達の本拠地だ。この場所に、聯球儀イリアステル崩壊について悔やむ者も悲しむ者も居ない。本懐なのだ。この老人はルピルに対して優しくしてくれるが、決して味方ではない。


「快復したな。話をしようか」

「…………」


 それが革命軍リーダー、ミミ・ネザーランドにも当てはまるかどうかはまだ、分からないが。






***






 老師を退室させて、部屋にはミミとリリンが残った。ルピルが目を覚まして1日経った。既に腹は膨れ、充分な睡眠を取った。そして。


「リーダー。ルピルはまだ――」

「いや。筈だ。ウサギが酸素を取り込むということはそういうことだ。なあ」

「…………うん」


 ルピルは起き上がり、立ち上がった。包帯をほどいていく。身体に痛みは無い。昨晩は一夜、熱を出したが。

 完治とはいかないまでも、既に傷は治りかけていた。


「それで、話って?」

「わたしはここの老人共と違って、この現状に満足していない。仲間を大勢失って、悲しみと怒りを抱いている。つまりは、我々を操って裏切った奴に仕返しがしたい。そこで、『鍵』の力を貸て欲しい」

「…………」


 悲しみと怒りを抱いているのはルピルも同じである。だが、その矛先は違う。そもそも、引き金を引いたのは革命軍だ。

 そんな不満を、無言で表現する。


「見返りに、当然だが聯球儀イリアステルまでわたしが送ろう。お前も仲間を探したいだろう?」

「……うん」

「こっちへ来てみろ」


 身体は動く。ミミに付いて、部屋を出た。そのまま廊下を通り、外へ出る。


 黒い空。さながらスフィア外縁部だ。だが虚空界アーカーシャではない。酸素……空気のドームで包まれているのだろう。地面は球体ではなく、球体を半分に切った切り口に自分達は立っている。空気のドームと合わせると、球体に見えなくもないのだろう。その切り口の半径は、ゾディア・ロードと同じくらいだと感じた。

 空は暗黒だが、聯球儀イリアステルと同じく視界は良好だった。陽の光が決して射すことのないこの冥土ネザーランドでも、見渡す限り見渡せる。


「上だ。直上」


 ミミの人差し指が真上を差した。ルピルはそれを追って顎を上げる。


 暗黒の空に、たったひとつ、光る点が見えた。


「……太陽?」

「違う。太陽は聯球儀イリアステルの影に隠れていてこちらからは見えない」

「じゃあ、聯球儀イリアステル? 遠すぎるからひとつの光に見える」

「違う。聯球儀イリアステルは太陽の影になっていて見えない」

「…………」


 どういうことか。隣のリリンを見る。彼女も上を見上げているが、何かを探すような表情だ。


「何か光ってるの? あたしは見えない」

「えっ?」


 ミミを見る。


「わたしにも見えない。だが、お前の反応で確信した。そのウサギの赤目には、聯球儀イリアステルが崩壊したことによって正体を現した『ムーン』が映っているんだな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る