第25話 NOAH-System

「21世紀初頭。未曾有の大災害が起きた。……いや、『未曾有』では無かったのだろう。その5000年前にも似たようなことはあったという」


 透明なドーム状のガラスに囲まれた、虚空界アーカーシャを望む展望台。


「人類は、別の惑星へ避難する者達と、残る者達。そして、の三手に別れた」


 八芒星ベツレヘムオオアマナ――このスフィアでは、中心部と言わず全ての場所が王族専用である。彼は、分厚い装丁がされた書物を開き、優雅に椅子に座って虚空を見ていた。


「『Project:ALPHAプロジェクト・アルファ』は、成功したらしい。最近になって分かったことだ。よく繋いだものだ。科学と、何か別の力が合わさったようだ。羨ましい」


 この場には彼だけではない。聞き手が居た。だが、今は彼の語りに、頷きながら黙って耳を傾けている。彼の説明に納得しているからだ。


「――というのが、下々にすら流れていない――八芒星ベツレヘムの学者達の間で有力視されている『歴史』だという」

「…………違う、と?」


 彼の言い方は、その有力説を否定するかのような嘲りだった。彼女は、遂に口を開いて真偽を確かめる。


「別の惑星で新しく文明を始める『Project:ALPHAプロジェクト・アルファ』に対して、ここに留まって維持を図る『NOAH-Systemノア・システム』か。違う、とまでは言わん。だがそれを示す根拠も残っていない。我々は虚空界アーカーシャの外側の世界を観測できんのだ。虚空界アーカーシャも、自然発生したものである可能性は否定しきれん」

虚空界アーカーシャ聯球儀イリアステルが人工物なのはこれまでの研究からも明白でしょう? 自然じゃありえない。ムーンを中心に、人類の生存圏を確立したのが『NOAH-Systemノア・システム』でしょう」

「フフ。ハハハ」


 訂正するように捲し立てる彼女に、彼は笑みを溢す。


聯球儀イリアステルから虚空界アーカーシャの天井までは38万キロある」

「!」


 ひと言で、彼女は黙ってしまった。


「38万キロを『半径』とした球体だぞ。どこにそれを覆い尽くす途方も無い量の新星隕鉄ノヴァ・メテオライトがある。どのようにそれを真球に加工したのだ。それはいつだ?」

「う……」

「何故、そこまで進歩した科学文明が、子孫である我々へ一切の情報と歴史を伝えてないのだ。文字の無い原始人ではないのだぞ。伝わっていないなどありえない。答えられる者は居らん。聯球儀イリアステルはいつ、誰が、どうやって造ったのだ。それすら。王族ですら知らん。……辿り着く答えはひとつだ。『全て自然物だから』だ」

「……っ! それは暴論です。先祖が歴史と情報を後世に伝えていないことと、『自然物』という結論は結びつきません。それに、それほどまでに巨大なら、尚更、虚空界アーカーシャが自然にできる訳がありません」

「例えば、風船を膨らませた」

「?」

「泥を掛けよう。満遍なくと気を付ける必要は無い。適当に投げ付ける。すると、いつの間にか泥の球となって固まる。……最後に風船を萎ませて取り出す。すると、空洞のある泥の球体の完成だ。空洞には、泥から発生したガスが溜まる」

「……それが、虚空界アーカーシャだと?」

「仮説のひとつだ。巨大だからこそ、自然なのだ。良いか、宇宙の広さを軽視してはならない。広い広い宇宙では『こんなこともある』。そもそも聯球儀イリアステルムーンならば、虚空界アーカーシャの天井は地球アースとやらに接触しているではないか。単なる創作に過ぎん」

虚空界アーカーシャの天井より外側はまだ私達の文明で観測していません。実際に見るまでは、全ては憶測に過ぎませんよ」

「そう。我々の議論は並行線。だから、実際に見てみようではないかと、そうして始まったのだ。聯球儀イリアステル崩壊パージ計画を」


 ラーメン構造体――聯球儀イリアステルの模型が、テーブルの上にある。彼は書物を閉じて横に置いてから、それを持つ。


「ハナニラとオーニソガラムに忍び込ませた部下から連絡があり次第始める。既に他のスフィアは『鍵』の配置が終わっている。残るはラムダ-4だけだが……それを待っている時間は無い。まあ、一角抜けても変わらんだろう」

「……何も知らないスフィアの貴族、市民達への避難勧告は」

「する訳無いだろう。誰もが反対するのは目に見えている。説得を試みても、数百年掛かるだろう。待てる訳がない」

「そんな……」


 その模型を、ひとつずつ、角からパーツを取り外していく。ひとつずつバラバラに。


「本当に……大勢の貴族市民を見捨てるつもりなのですか。『自然物派』は過激過ぎます。今ならまだ思い直す余地がありますよ」

「はっはっは。なんと弱い制止か。我々が過激ならそちらは狡猾だ。なんのかんのと、ここへ来るまで強く反対をしなかった。『人工物派』よ。我々は結局、研究者なのだ。探求者なのだ」

「!」


 中途半端に崩れた模型をテーブルに置いて、彼は立ち上がる。ゆっくりと歩いて、彼女へと迫った。


のだろう。虚空界アーカーシャの外を。ならば破壊するしかあるまい。厚さ30キロメートルの星鉄製の鉄板をぶち抜く為に必要な圧倒的な質量は、この聯球儀せかいには星間線ゾディア・ラインしかあるまい?」

「………………っ」


 彼女の表情からは、まだ葛藤が見える。彼は笑っていた。


「……月教徒革命軍は。彼らはまだ、角のスフィアに居ます。よく協力してくれたのでは」

「ふん。あのような非合理的で願望と理想論を振りかざす思想家は要らん。我々が論じているのはこの世界が人工物か自然物かというもので、正しい社会や政治の在り方などではない。平等? 格差是正? 民の幸福? 毛ほども興味無いわ」

「……この機に危険思想を一掃する気ね」

「まあ……研究者と言えど、我々も王族。政治は嫌でもせねばならん。今回で外側のスフィアを切り離して捨てれば、残ったスフィアで人口と星鉄量を調整できる。星鉄の価格高騰も抑えられるだろう。引いては人類を救うことに繋がる。なあ? タイシャクテン月下」

「…………」


 彼女は最後まで、彼を敵視して睨んでいた。


「あなたは本当に、気が触れているわ。ネザーランド月下。自身の探求心の為に実の姪を見殺しにするなんて」


 だが、止めはしない。


「これは、賭けなんだよ。我の見立てが間違っていれば、我々はこの虚空界アーカーシャで死ぬ。…………我々を永きに渡り閉じ込めてきた、言わば『檻』が。錆び付いていることを願おう」


 聯球儀イリアステルの崩壊まで、あと――

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