第7話 脱出

「はぁ。はぁ!」


 ふたりとも、肩で息をして、汗びっちょりだ。熱い。暑い。喉が渇く。


 ようやく登り終えて、談話室を抜けて女子寮へ。


「僕はマスクとボンベ取ってくるから!」

「ふたり分あるの?」

「大丈夫。一昨年から試行錯誤してたから。ちょっと不格好なのがあるよ。ボンベはひとつしかないから、分け合おう」


 一旦分かれて、僕は自分の部屋に。火の手はまだここまで上がってないけれど、時間の問題だ。


「うっ」


 ドアが硬い。ちょっと歪んでる。けど、どうにか開いた。星鉄の変形加工なら、僕の得意分野だ。


 マスクまで一直線。ふたつ抱えて、飛び出す。


「エリーチェ!」

「開かないの! 手伝って!」


 エリーチェの部屋のドアは開けなかったらしい。急いで駆け寄って、工具を取り出す。


「どいて。マスク被ってて!」


 エリーチェの両手から血が出ていた。無理矢理、開けようとしたんだ。


「…………!」


 開かない。これは時間が掛かる。けど、取り敢えずまだ煙を吸って死ぬことは無い。落ち着け。


「どいてろ」

「!」

「えっ」


 悪戦苦闘していると。後ろから声。


 キルトだった。


「キルト!? なんでここに」

「……どいてろ」


 疲れ切っていた。作業着も途中で脱いだのか、シャツ1枚になっていた。汗だくだ。

 階段で。ここまで登ってきたんだ。


 キルトは小さな箱を取り出して、ドアノブに取り付けた。


「起爆する。離れてろ。ごほっ」


 ドカン。

 爆弾だ。なんでそんなもの。


「本!」


 エリーチェはキルトを押し退けて部屋へ飛び込む。キルトは押されたその勢いで廊下の壁に持たれて崩れた。


「はぁ。疲れた。ごほっ! ごほ」

「キルト。マスク被って」

「すまねえ。……いやお前の分は?」

「もうひとつあるから、取ってくる。はいこれボンベ。重いよ」


 無理矢理キルトにマスクを被せる。疲労困憊の上、少し煙を吸ってしまっているみたい。


 そうだ。もうここまで登ってきた。火と煙。そろそろ危ない。

 部屋のドアは閉めてない。僕は取り敢えず自分の部屋へ向かう。


 入ってから、ドアを閉めた。


「ふぅ。……やばい」


 もうひとつなんて、無い。今は騙せたけど、キルトは知ってる筈だ。マスクはふたつしか無いって。


「おいルピル!? なんで閉めた!」

「ルピル! 本は回収できたわ! あなたも早く!」


 ガクン。

 ボカン。何かが下で爆発した。多分、建物が崩れ始めている。

 下の皆は大丈夫かな。避難しないと。


 上を見る。

 ハッチだ。その先は、虚空界アーカーシャ

 スフィア外縁部。

 出たところで、息ができなくて死ぬ。

 ここにいても、煙を吸って死ぬ。


「僕はなんとかするから! ふたりは先に降りて! もう時間無いよ!」

「だからお前も助からなきゃ駄目だろうが! 待ってろ今、もう一個爆弾作ってやる!」

「キルト。ちゃんと渡してね。頑張って選んだんだから」

「うるせええ!」


 ドンドンとドアをノックされる。もう開かない。爆弾も無い。


「ごほっ!」


 煙は入ってくる。もう駄目だ。


「ルピルーー!!」


 エリーチェの叫び声。同時に。


 ドアが破壊された。






***






「キルトっ」

「エリーチェ入れ!」

「きゃ」


 なだれ込んでくるふたり。何事かと思えば。


「おいおい、どうすんだこれ」


 ドアの向こうにはもう、廊下は無かった。全て崩れて、下に落ちている。


「…………!」


 焼けている。見える。炎上しながら、エレベータータワーが崩れ落ちていっている。


「すーーーーっ」

「わ」


 思い切り息を吸い込んだキルトが、そのままマスクを脱いで僕に被せた。


「キルト!?」

「待ってルピル。交代交代で使いましょう。そうすれば、多少は長く生きられる」

「えっ」

「ここも崩れる。上へ出ましょう」

「えっ!」


 いつも使っている梯子を、ハッチに掛けるエリーチェ。


「すーーっ」


 そしてまた、息を深く吸い込んでマスクをキルトに被せた。


「ぶはぁっ。もう戻れねえぞ。降りられねえ。天井にひっついてるこの寮は、エレベータータワーが折れたら終わりだ。俺達は終わりだ」

「…………そんな」

「だから、行くしかない。ほら、お前の番だ。虚空界アーカーシャへ出て、マスクをエリーチェに」

「…………!」


 キルトの両手も血だらけだった。その手で、僕を外へ押し出す。


「すうっ」


 マスク無しで外へ出るのは、初めてだ。どうなるか分からない。

 先に出てるエリーチェに、マスクを渡す。


「はぁっ。はぁっ。私、息短くてごめんなさい。ありがとうルピル。本当に」


 耳が、キーンと鳴った。エリーチェの声はくぐもっていてあんまり聴こえない。


 本は、彼女の作業着に入るだけ詰め込んできたみたい。あの、『虚空界否定論』も見えた。あれは借りた本じゃなくて、買ったものだったのか。


「知ってる? どうして虚空界アーカーシャには空気も無い筈なのに、声が聞こえるか」


 命綱はもう無い。

 僕ら3人は、虚空界アーカーシャに飛び出して、暗黒の『何も無い空間』に浮く。


 浮遊感。


「すーーっ」

「!」


 最後にハッチを出たキルトからマスクを貰う。ボンベは彼が抱いたまま。ひとり分の空気を、3人で分け合う。ふたり分のマスクを、3人で分け合う。


「どうしよう。あのままだと死んでたけど。今だって。スフィアから離れたら死んじゃうよ」

「でも仕方なかった。私は、死ぬまで本を読むつもり。はー。すーーっ!」


 交互に。マスクを交換していく。段々、その間隔が短くなる。当然だ。皆苦しい。会話もなくなっていく。


「…………俺は考えなしに、来たんじゃない」

「えっ」


 キルトが呟いた。


 その時。


「!」


 かすみ始めた視界の向こうに、ロゴの無い星間車のヘッドライトの光が見えた。

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