第3話 花のヘアピンとボロボロの本

 僕らの世界、聯球儀イリアステルの朝は、季節によって違う。


 今は僕の居る、このスフィアが聯球儀イリアステルの中で一番最初に太陽を拝める季節。暑い。蒸れる。僕は耐えられなくなって、『外』に出ているというのに作業着を脱いでしまった。


 汗が、飛ぶ。僕の身体から離れて、飛んでいく。


 どこまで行くのだろう。あの太陽に向かって。そこには何があるのだろう。


 そんなことを考えることができるのは、今、この時間しかない。


 このお手製の命綱を伝って寮に戻ったら、またいつものように仕事だから。


 本当に、『何も無い』のだろうか。ならなんで、星鉄は降ってくるのか。星鉄はどこから来るんだろう。


 超巨大ラーメン構造体……通称『聯球儀イリアステル』の浮かぶこの『無限の空間』は、『虚空界アーカーシャ』と呼ばれている。


 今、こうしてスフィアを出て虚空界アーカーシャに浮かんでいる間だけは。


 僕は自由を感じられる。






***






「……ふう」


 右手は黒色星鉄でできたスパナを、左手で部品を持っているため、額の汗は腕で拭う。と思ったけど、既に上下一体型の作業着を上半身の部分だけ脱いでいたから、袖がなくて額の汗と腕の泥が混ざり合った。


 仕事は一段落。


 目の前には車がある。故障した車。今僕が直している六輪車。縦に割った円柱にタイヤが付いているような形。

 星間線ゾディア・ラインを走る大型の車両だ。しかも採掘運搬用じゃない。調査用。元請業者のロゴも無い。私用の調査車両だ。高純度の大径星鉄タイヤ。

 どんなお金持ちなら所有できるのか。


 それを見上げながら、ついでに空を見る。といっても、分厚い天井だ。

 高い高い天井。そのさらに上は『虚空界アーカーシャ』。

 天井には僕らの寮がある。天井にくっついていて、細長いエレベーターがこっちの床まで続いてる。僕らは毎日、スフィアの天井から降りてきて仕事をしている。

 陽の光はここまで届かない筈なんだけど、どういう仕組みなのか、スフィア内部も明るい。


「ルピルー。そっち終わ……って! ちょっとルピル!」

「ん?」


 ちょっとの空き時間。興味のある車両を観察していると、リリンが駆け寄ってきた。彼女も近くで作業してたみたいだ。今日もポニーテールがピコピコ揺れている。前髪には、お花のヘアピン。


「『ん?』じゃないって! いくら暑いからってこんな所で脱いじゃだめ! せめてシャツ1枚でも着てよ!」

「えー。暑いもん」


 僕が脱ぎ捨てた白いシャツを拾い上げて、大急ぎで迫ってくる。


「ほらバンザイ!」

「んー……」


 ずぼん。

 着せられた。


「全くもう。ルピルは女の子なんだから!」

「えー。良いよね男子は。いつも裸で仕事してても怒られない」

「アレはアホなの。ルピルは違うんだからやめてよ」

「んー……」


 汗だくで一度脱いだシャツを着るのは気持ち悪いけど、仕方ない。


「きゃー! ちょっとあんた達! なに覗いてんのよ! いつから!?」

「えっ?」


 リリンの叫びは終わらない。向こうの整備場を見ると、影から覗き見てたらしい男子が見えた。やっぱり裸だ。作業着のズボンだけは、裾を捲って穿いているけれど。


「はー? 俺達今来たばっかだけど? そろそろ昼休憩だって伝えに。な?」

「そうだぜ。何も見てねえよ」


 坊主頭のクーロンと、彼といつも一緒に居る男子だった。


「サイテー! ヘンタイ! 死ね!」

「暑いんだからお前も脱げば? へっへっへ」

「はー!? 開き直っちゃって!」


 いつもの光景だ。


「ルピルも嫌がりなさいよ! どんどんチョーシ乗るよあいつら!」

「え? うーん。……僕、『開放感』って結構好きなんだよねぇ」

「ええー! ルピルってヘンタイだったの!?」

「そうなの? リリンみたいにカッチリ作業着着てる方がしんどそうだよ」

「あたしは脱がないからっ!」






***






 僕ら労働孤児の食事は、簡素なものだ。企業から配給される、ドロドロの半液体? 半個体? そんなやつ。太めのストローと一体になった厚手のパックに入っていて、それを吸いながら両手が空いて作業ができるというもの。

 それが『最低限』僕らに保障されている食事。

 内容物的には、必要最低限の栄養素が入っているらしい。

 味は……。

 お湯で煮込んだ紙、かな。


「エリーチェ? お昼摂らないの?」


 それを渡されて、ストローを咥えながらブラブラと持ち場に戻っていると。

 作業場から外れた荒野の岩陰に、ひとりの女の子が見えた。

 黒い髪をショートに揃えた、エリーチェだ。


「ルピル。そっか。もうお昼ね」

「気付かなかったんだ」

「うん。もう私の仕事は終わらせて、これ読んでて」


 エリーチェが大事に抱えているのは、本だ。

 彼女は本が大好きで、いつも持ち歩いて読んでいる。

 恐らく読み込みすぎて、カバーがボロボロになっている。


「何の本?」

「タイトルは『虚空界否定論』。著者はユリウス・フルフィウス。のスフィアの学者さまの著作なんだけれど、とっても面白くて。知ってる? 虚空界アーカーシャがもし本当に真空なら、外へ出たら一瞬で身体が沸騰して死んじゃうんだって」

「あー。それ前にも聞いたかも。でもいつも虚空界アーカーシャに出てる僕は死んでないから……って奴だね。何回読んでるの?」

「そうそう。数えていないわっ。10や20じゃきかないわねっ」


 本のことになると、目をキラキラさせて語るエリーチェ。何度読んでも、その度夢中になるんだ。食事を忘れるくらい。

 僕は文字は仕事で必要な最低限しか知らないから、彼女のように本を楽しめはしないけど。


 多分僕も、虚空界アーカーシャへ出ている時。浮遊感を味わっている時。

 こんな目をしているんだろうなと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る