第30-2話


「…………はぁ、はぁ、はぁ」


 カリナの口から荒い息が漏れる。

 足元にはまた一人の魔術師が昏倒していた。

 これで四人。増強剤である聖水の注射器も未だ一本も使っていない。上出来の部類だ。


 僅かに攻撃魔術を受けたせいで片腕からは、血がポタポタと地面に落ちる。手をぐーぱーと動かすと、ずきっと痛んだが、全く使えないほどではない。まだ戦えそうだ。


「たいしたものだ」


 淡々とした声とともに、庭園の校舎へと踏み込んできたのは魔術師のリーダーらしき鬼人の男だった。油断することなく視線を周囲に這わせながら、ゆったりした歩調でこちらに近づいてくる。


「お前が今倒したのは、裏社会ではそれなりに名が知れている魔術師だ。そいつに暗殺された権力者や貴族は大勢いる。トドメを刺せば、多くの遺族から感謝されるだろうな」

「そう、ですか」

「興味がなさそうだな」


 鬼人の男の言葉に、カリナは微かに眉を上げる。

 会話を続けようとする姿勢に、違和感を覚えたからだ。


 そんなカリナの内心を読み取ったかのように、鬼人の男は続ける。


「私が会話をしようとすることがそんなに不思議か? 私が話も通じない野蛮人だと?」

「……ええ、つい先程までそう思っていました」

「まあ、そうだろうな。いきなり襲いかかってきたのだ。そう思っても仕方がない」


 鬼人の男は柔和な表情とともに言葉を続ける。


「だが、信じてもらえないかもしれないが──我々は、君の力を必要としている。力づくではなく、心から信頼できる仲間として」

「……いきなり襲いかかってくる者のことを信用できるとでも?」

「君の怒りはもっともだ。だが、勘違いしてほしくないのだが……君を攫おうとしたのは、落ち着いたところでじっくりと会話をしたかったからだ。君を攫うしかその方法は実現しえなかった。この庭園周辺は秘密の会話をするには、あまりにも監視が多くてね」

「……?」


 不思議な言い回しだった。

 まるでそれでは常に誰かが庭園内を監視しているかのようだ。カリナ自身、そんな気配を感じ取ったことは一度もないのだが。


 しかし、鬼人の男の言葉が真実だとしても、彼に従う理由はカリナには一つもない。


 カリナが構えると、鬼人の男は小さく溜息をついた。


 続けて、鬼人の男は魔力を熾す。

 あまりにも自然に。

 あまりにも流麗に。




 その言葉を聞いた刹那、カリナの背筋がぞくっと震えた。反射的に片腕を伸ばし、魔術を紡ぐ。




「り、《術式解放:陽光──》」



「──《精霊悪鬼・鬼纏鬼よ、我が身に纏え》」

 


 だが、カリナが魔術を紡ぐより早く、鬼人の男が先に魔術を完成させた。


 瞬間、鬼人の男の姿が掻き消える。

 ゴッ!!と彼が立っていた床が、一拍置いてひび割れた。カリナの視線がその姿を捉えた時には、鬼人の男は目の前で腕を引き絞っていた。



「ッ!!!」


 カリナは魔術の構築を取り止め、顔の前で両腕を掲げた直後──鬼人の拳が突き刺さる。


 たった一撃。

 それだけで神の力を宿したはずのカリナの身体が悲鳴を上げた。めきめきと両腕がへし折れるような音ともに、吹っ飛ばされる。まるでボールのように床の上を何度も跳ねると、カリナは壁に叩きつけられた。


 顔を力なく上げると、額から流れ出る血のせいか視界は真っ赤に染まっていた。その赤い世界の中で、鬼人の男は悠然とこちらに歩いてくる。先程発動した魔術のせいだろうか。まるで鎧のように漆黒の魔力を身に纏っている。



 ……これ、は。



 魔術の発動を先に仕掛けたのは、カリナの方だった。だが、結果的に早く発動したのはあの鬼人の男の方。


 そして、カリナはその現象を授業の中で何度も目の当たりにしたことがあった。


 何故気づかなったのか。

 あんなにも特徴的な鬼の角が悠然と物語っているというのに。



 精霊が混じった《先祖返り》。

 精霊化と同じ現象。


 あれは──あの鬼人の力は、



 そして鬼人の男が使った魔術は、サンクティアの魔術体系とは異なる。つまり、あの男は神の信奉者ではない。魔族だ。




「もっと驚くと思ったのだがな」



 カリナの反応が予想とは違ったらしい。

 鬼人の男は片眉を不思議そうに持ち上げてみせる。


 対して、カリナは全身の骨が軋みそうな痛みに耐えながら立ち上がった。口から溢れた血を手の甲で拭いながら、気丈に微笑んでみせる。


「驚いて、ますよ。まさかシュエと同じ力を使う方がいるとは思いませんでしたから」


 カリナがシュエの名前を口にした瞬間、鬼人の男は僅かに目を見開いた──ような気がした。

 だが、カリナはまずは目の前の敵を見据えながら続ける。


「ですが、手痛い一発をもらってようやく目が覚めました。私、少し冷静じゃなかったみたいですね」


 言いながら、カリナは制服から増強剤である注射器を取り出す。本来であれば、あの鬼人の男が魔術を使う際、カリナは魔術ではなくこちらを選ぶべきだった。冷静ではなかった証左だ。


「それはどうかな」


 対して、鬼人の男は魔力を全身から溢れ出した。鋼鉄にも似た漆黒の魔力が再び皮膚を覆っていく。


「未だに君は冷静ではないと思うが」


 続けて地を蹴る鬼人。

 彼我の距離を凄まじい速度で詰めながら、彼は語る。


「君が選ばれし存在であることは知っている。わざわざ聖水を取り込む瞬間を見守っているとでも──」






「いえ、冷静ですよ」





「──ほら、こうして来てくれましたから」


 聖水が入った増強剤の注射器。

 不意に、カリナはその針の対象を自分から鬼人の男へと変えた。鬼人の男は誘い出されたことを察し、方向転換しようとするがもう遅い。

 漆黒の鎧の隙間に、カリナは注射器の針を叩き込む。強烈な運動エネルギーで針が折れ、中身はほとんど注入できないが、関係ない。

 中身を摂取させれば御の字、ただ被るだけでも狙いは達成する。


 何故なら、聖水は魔族にとって天敵に近いのだから。


「────ッッッ!!!!」


 注射器が割れ、聖水を被った瞬間、鬼人の男は言葉なき苦悶の声を上げながら床の上に崩れ落ちた。聖水を被った箇所はまるで火傷したかのように腫れ上がっている。体内にも取り入れさせることに成功したのか、肉の一部が弾け飛んでいた。



「カリナ・ルドベキアッ!お前は────ッ!」


 叫ぶ鬼人の男。

 カリナは油断なくその光景を見下ろしながら、二本目の注射器を手に取って今度こそ針を自身に向ける。

 

 そして、カリナは告げる。

 注射器の針を自身の首筋に刺しながら。

 


原初はじまりより古き神よ。御身の力、今ここにお借りします」





「──《過剰強化オーバードーズ》」

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