第30-1話


「──対象カリナ・ルドベキアを確認」



 魔術師たちの先頭を歩くのは、鬼人の男。

 冷徹な視線をこちらに向け、告げる。



「作戦通りあの少女を捕らえろ。正しき神々のために」



 鬼人の男の言葉を皮切りに、一斉に魔術師たちが左右から襲いかかってきた。近接戦闘が得意そうな二人が前に、後ろでは二人が魔術を唱えながら構築し始めている。


 一方で、鬼人の男はこちらに冷めた視線を向けてくるのみですぐに動く様子はない。



 ──あの鬼人を含めると、全部で敵は五名。



 カリナは冷静に戦況を把握しながら、増強剤である聖水を使うことを躊躇する。


 増強剤を使えば一時的に神の力を普段以上に宿すことができる。だが、今のカリナでは効果は一分、一日に三回しか使えない。



 ──ここで使ってもいいのか。



 目の前にいる敵がすべてだとも限らない。

 何よりあの鬼人相手にはそれでも実力が届かない予感すらする。


 そして何よりの疑問が、



 ──私を、最初から狙っていた……?



 まったくもって意味がわからない。

 カリナを捕らえてどんな良いことがあるというのか。

 カリナは思考を巡らせると同時に思い返す。

 数日前に、テオに教室で言われたことを。





◇ ◇ ◇




「とある魔術組織に庭園が襲われる可能性がある」


 教室。

 第七庭園の生徒たちが勢揃いしてる中、テオはそう切り出してきた。


「聖女サルビア=ルドベキアが庭園にやってきているのは、もう知っているだろう?聖女様がわざわざ来た理由はその魔術組織を捕らえるためだ。それに巻き込まれる可能性がある」

「えっと……よくわかんないんだけど、それ、モモたちが聞いていいの?」

「駄目だ」


 テオがばっさり切り捨てると、モモはがくっとわかりやすく机に突っ伏した。元からサルビアがやってきた理由を知っているカリナも、思わず苦笑いを浮かべてしまう。


 しかし、サルビアが魔術組織を捕らえるのに巻き込まれる可能性があるのは全く知らなかった。カリナですらそんな話は聞いたことがない。



 カリナが内心で不思議に思う横で、テオは話を続けていく。



「だが、お前らの安全には代えられない。だからこれから言うことは必ず守れ」



 テオは真剣な表情で教室を見回しながら答える。



「異常事態が起きた際には、イザベラ、シュエ、カリナ以外のメンバーは寮に隠れろ。僕が事前に防衛用の魔術を仕掛けておくから安全は確保されるはずだ。イザベラ、シュエは僕のもとを目指せ。そして、カリナは──そうだな、お前は好きに暴れろ」

「え」

「いずれは苦しむ人々をすべて救うんだろう?仮に魔術組織が庭園に襲撃でもしてきたら、鎮圧ぐらいしてみせろ」



 煽るように言われて、カリナは思わずムッとしてしまう。

 反射的に言い返そうとしてしまうが──

 


「ただし、自分の命だけは最優先に守れ。いざとなったら逃げることに専念しろ。お前ならできるはずだ」 



 ぶっきらぼうな口調であるものの、カリナの身を案じた言葉に、今度は反論の意欲が削がれてしまう。


 カリナがこのテオ・プロテウスという教師と出会ってから数ヶ月が経とうとしている。だが、相変わらずその内面を掴むことができない。最近では「良い先生」なのか「悪い先生」なのかの判断もつかない。



 と、そこで。

 手を挙げたのは、イザベラだった。

 対抗意識を燃やすような目でこちらを見ながら、彼女は言う。



「先生。なら、私も暴れてもいいでしょ?カリナができるなら、私だってできるわよ」

「駄目だ。お前には別の役割がある。頼むから勝手に動くな」

「せんせい、わたしは、駄目、ですか?」

「絶対にやめてくれ。いいか、お前だけは絶対に勝手に動くな。僕が許可するまで攻撃魔術も使うなよ」

「わたしだけ、縛り、酷い!」


 がーんとショックを受けたような評定をするシュエ。


 だが、カリナはなんとなくわかるような気がする。最近のシュエは攻撃魔術がどんどん洗練されている。仮に庭園内で全力で暴れようものなら、甚大な被害が出るだろう。


「それと、肝心の異常事態についてだが──」


 最後に、テオは締め括るように告げる。

 だが、その言葉はこの時間の中で最も曖昧で、だけれど、どこか確信を持ったものだった。



「──異常事態は起きれば分かる。誰でもな」

 



◇ ◇ ◇



 ──そして今に至る。


 テオが危惧していた異常事態とは、まさにこのことだろう。何故あれほどまでに確信できていたのかは分からないが、結果的に合っていたのであればとやかく言う必要はない。


「ッ」


 魔術師たちが左右からまさに迫りつつある。

 そして好きに暴れろ、というテオの指示。


 カリナはすべてを踏まえた上で、踵を返して正門前から逃走することを選んだ。サルビアほどの容量はないが、カリナの身にも神の力が既に刻み込まれている。

 つまり、常時身体強化の魔術が発動しているようなものだ。魔術を使用することなく、カリナは一気に加速して地面を駆ける。


「おいおい、つまんねぇことはやめて戦おうぜ!殺せはしねぇが、多少痛めつけることはできるんだからよぉ!」


 背後から近接戦闘主体であろう魔術師が二人ほど追ってくる。そのうちの一人は煽るように言葉を投げつけてくるが気にしない。


 おそらく、あの場に足止めすることこそが、あの魔術師たちにとって有利なのは明白だからだ。


 だから──


「────っ」


 カリナは正門前の道から庭園の校舎へと滑り込み、廊下を全力で走り続ける。

 少女たちが五人も横並びになれば、通せんぼできてしまうほどの横幅の廊下。後ろから相変わらず魔術師たちが二人ほど追ってくる。


 そして、カリナが廊下の角を急激に曲がった瞬間、彼女は仕掛けた。


「っ!」



 カリナは廊下の壁を蹴り、空中で一回転する。

 眼下には、カリナの後を追ってきた魔術師の一人が同じように廊下の角を曲がってきた。


 だが、その視線がカリナの姿を見失う。それもそうだろう。今、自分は空中にいるのだから。

 

 その間隙を、カリナは見逃さなかった。

 空中から舞い降りると、そのまま死角から全力で拳で殴りつける。


 苦しんでいる人々を全て救う。

 その善性に満ちた宣言はともすれば、「人を傷つけたくない」と理解する人がいるかもしれないが、それは違う。カリナ・ルドベキアという少女は、敵と捉えた相手への容赦はない。


 果たして──カリナが全力で殴りつけた魔術師は、たった一撃で昏倒した。地面に崩れ落ちた魔術師を一瞥しながら、カリナは宣言する。


「──まずは、一人」

「……おいおい、逃げるんじゃなかったのか?」


 たった一撃で倒したところを目撃したからか。

 追いかけてきたもう一人の魔術師が片頬を引き攣らせていた。


「逃げるわけありません」


 対して、カリナは拳を握り構えながら言い放つ。


「正門前という地の利が生かせない場所から遠ざかっただけです。好きに暴れろ、と言われましたしね」



「──それで、次はあなたですか?」

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