第29話


 魔術講演会初日の早朝。

 その日は、快晴だった。


 テオが頭上を見上げると、雲一つない蒼穹が広がっていた。聖女の庭園の校舎の方からは、普段は上がる少女特有の甲高い歓声も、教師たちの声も聞こえてこない。


 今日は休日。

 教師たちは魔術講演会に、生徒たちはほとんど帰宅しており、寮に住んでいる生徒ぐらいしか残っていないからだ。


 そんな中、テオは聖女の庭園の敷地内を歩き回っていたのだが。


「先生、なんでこんなことしてるのかそろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」

「嫌な、感覚、ばかりで、ここ、歩きたく、ありません」


 テオが外周付近を歩いていると、後ろをついてきたイザベラたちがぶつぶつと文句を言っていた。シュエに至ってはどこか体調悪そうに顔色を悪くしている。


 テオはそんな彼女たちを一瞥しながら答える。


「最後の罠を仕掛けるためだ。敵が襲撃してきてもいいように。前にも言っただろう?」

「ルドベキア……サルビア様が追ってる魔術師たちのこと?確かに敵が来るなら、庭園からみんながいなくなった今かもしれないけど……」


 どこか腑に落ちないように首を捻るイザベラ。


 テオは第七庭園の生徒たちには敵が襲撃してくる可能性を伝えていた。

 といっても、一周目のことを赤裸々に語るわけにもいかない。そのため、サルビアが庭園に来ている理由を明かし、説明していたわけだった。


「シュエ、気分が優れないならさっさとここから離れろ。あまり近寄ると、本当に体調を崩すぞ」

「あと、少し、だけなら、大丈夫、です。先生の、近くに、いたいので」

「えっと……それで、さっきからなんでこの子は具合悪そうなわけ?」


 顔を青ざめさせたシュエを、不思議そうに見るイザベラ。

 テオは指を上に差しながら口を開く。

 指先の向こうには、微かに揺らぐ半透明のヴェールが広がっている。


「聞いたことないか?《聖女の庭園》の対魔族の魔術結界のことを」

「対魔族の魔術結界……?」

「聖女リリィの時代は、魔族と戦争状態だった。だからこの庭園には対魔族の魔術結界が昔から張られているんだよ。低級の魔族なら中に入るだけで、ほとんどの力は無効化される」

「え……でも、シュエ、あんた、この間私に向かって思いっきり力を使ってなかった?」

「あれでも減衰していたということだ」


 こくこくと同意するように頷くシュエ。


 シュエは極めて優れている才能と実力を持っている。まったく戦いに向いてなかった一周目ですら、村一つを丸ごと氷漬けにできるほどだった。純粋な破壊力だけで言えば、第七庭園の生徒の中では上位に入るだろう。


「シュエ、これ以上は近づくなよ。結界は聖水と同じだと思え」

「はい、わかり、ました」


 こくこくと素直に頷くシュエ。

 結界も、聖水も、魔族を殺すほどの力はないものの、天敵みたいなものだ。安易に触れればすらしてしまう。


 だが、この結界のせいで、騎士団から派遣してもらった騎士たちは聖女の庭園の中に入れない。

 この街の騎士団は、魔族が大半だからだ。

 入ったとしても無力化されてしまうなら意味がない。そのため、昼頃から庭園の外で巡回してもらう予定だったのだが。


「ふーん、これにそんなに力がねぇ……」


 イザベラは興味深そうに庭園の敷地の境界線にある結界に触れようと手を伸ばす。


 そして爪先が半透明のヴェールに触れた瞬間。


「あっつ!!」


 バチッと強烈な静電気が発生したかのように、イザベラが慌てて手を引っ込めた。爪先が僅かに焦げている。


 イザベラはこちらを向きながら憤慨する。


「先生!先に言いなさいよ!これ、魔族以外にも効果があるって!」

「いや……」


 そんな話は聞いたことがない。

 もしかして誰かがいつの間にか結界に手を加えたのだろうか。


 テオは分析するために顔を近づける。

 そして結界の術式を読み解こうとした直後。


 ドンッ、という重低音とともに半透明の結界が大きく揺れた。揺らぎ続けるヴェールの波がまるで津波のように徐々に大きくなり──


「ッ!」


 ──パリンッ!!!!と結界が不意に破砕した。


 結界を構成していた魔力が欠片となって、雨のように降り注いでくる。きらきら、と半透明の魔力が落ちてくる光景は幻想的だが、異常事態が発生した調べであることは疑いようもない。


「イザベラ、さん、触ったら、壊れた?」

「え、わ、私のせい!?私、何もしてないわよ!何もしてないのに、向こうが勝手に壊れたんだから!」

「……イザベラのせいじゃない。これは」


 言い終わる前に、庭園の正門近くで盛大な爆発が起こった。テオが設置した魔術の罠だ。罠は、普段生徒が絶対に誰もが足を踏み入れないような場所ばかりに設置している。

 誤作動した可能性もあるだろうが、この異常事態と合わせるとそれはあまりにも楽観的な見方だろう。


「奴らがきた。行くぞ」


 テオは踵を返して庭園の校舎へと向かう。

 だが、あまりにも早すぎる。

 一周目の情報通りであれば──奴らが襲ってくるのは、今日の夜のはずだったのに。


 これまでほとんどが一周目の通りに進んでいた。

 こんなにも目立つ朝に襲う戦術的理由も見当たらない。

 だからこそ、油断していた。

 まさかこんな早々に仕掛けてくるとは。


 テオは走る。

 全てが手遅れになる前に。



◇ ◇ ◇



 その日、カリナはいつも通り朝から修練場に籠もっていた。

 日課のようなものだ。

 そして魔力を使って一通り動いた後、汗を流すために女子寮に向かう最中、カリナはその光景を見た。


「結界が……」


 入学以来壊れることなどなかった対魔族の魔術結界。それが今、視界の中で粉々に破砕し、雨のように魔力の破片が降り注いでいる。


 そんな中──


 見知らぬ魔術師たちが続々と庭園に踏み込んできていた。先頭を歩くのは、鬼人の男。一目見れば分かる。他の魔術師とは明らかに格が違う。


 普段ならば、まずは声をかけるだろう。

 だが、カリナの本能が先程からずっと警告していた。


 すなわち──あの者たちは敵だと。



 カリナは反射的に身を屈めて、隠し持っていた注射器を一本取り出す。神の力を最大限に高めるための増強剤を。



 対して、鬼人の男はカリナを真正面から捉えると淡々と言葉を口にする。

 


「──対象カリナ・ルドベキアを確認」





「作戦通りあの少女を捕らえろ。正しき神々のために」

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