第28話



「──では、次の議題に行きましょう」


 聖女の庭園リリィ・ガーデン

 職員室。


 普段は顔を合わせない教師たちが一堂に介していた。といっても、各々、自身の机の前に座っているだけだが。


 教職員の机はどれも書類や本で溢れかえっていたが、ぎりぎりお互いの顔が見える高さだった。


 校長・アネモネ=ブラックウッドはそんな雑多とした職員室を見回しながら言う。


「明日の魔術講習会の件、ですね。毎年のことですが、教職員の方は可能な限り参加してください。現在の最新の魔術を把握しておくのも、大切な仕事です。ところで」


 アネモネはそこで言葉を区切ると、テオの方へと視線を向ける。


「……本当に参加されないのですか? プロテウス先生?」

「ええ」


 職員室中の視線が自身に向けられるのを感じ取りながら、テオは頷いた。


 魔術講習会とは、サンクティア王国内で開催される魔術学の研究者たちが最新魔術の動向等について勉強会を開く場だ。


 古くからの魔術師は、基本的に自身の魔術を秘匿する。それでも、いつからか、一部の魔術師は自身の研究を発表するようになったのだ。


 公開当初こそ批判は多分にあったが、様々な研究者の意見を収集し、反映し、更新されていく魔術は、ついには大きな成果を見せるようになった。


 テオは毎年参加していたが、一周目の時には仕事にかかりきりだったせいで参加することができなかった。

 そして、今回も理由は違えど欠席しようとしている。



「では……申し訳ないですが、魔術講演会の間、先生に当直をご担当いただいてもよろしいでしょうか」

「はい」


 テオは頷く。

 魔術講演会は明日から始まる三連休を使って行われる。その間、教師はほとんどいない。誰かが女子寮等の面倒を見る必要がある。


「ということは、プロテウス先生一人だけで学校や寮を見るということでしょうか……?」


 そこで口を挟んだのは、別の教師だった。

 テオの負担を考慮しての発言か。


 されど、アネモネは首を振って否定の意を示す。


「いいえ、今回は騎士団から何人か派遣してもらうことになっています」

「……騎士団? どうして彼らが?」

「プロテウス先生の事前の進言もあったからです。最近はこの庭園が直接関与している件ではありますが……魔族狩りもあったので。念の為、警備態勢を敷いておこうと。別件でルドベキア様に騎士団への連絡は差し控えて欲しいと言われていますが、魔族狩りを理由とすれば良いでしょう」

「そう、ですか……」


 何人かの教師が何か言いたげな視線を向けてくる。おそらく、警備態勢を敷くことに疑問を抱いているのだろう。


 魔術講演会中、ほとんどの教師はいなくなり、生徒も家に帰らされる。庭園に残るのは寮に住む生徒ぐらいなものだ。

 正直に言えば、魔族狩りがあったものの、警備態勢を敷くには過剰すぎる。



 だが、テオには進言しなければならない必要があった。


 魔術講演会の初日の夜。

 つまり、明日の夜。


 一周目通りであれば──謎の魔術師組織が襲ってくるはずなのだから。

 




 ◇ ◇ ◇



「《正神教会我ら》の計画は明日、一つ進む」



 聖女の庭園から離れた寂れた教会。

 宵闇の中に浮かぶ月のもと、魔術師と思わしき男たちが続々と集まりつつあった。


 そんな魔術師の中心にいたのは、一人の鬼人だった。特徴的な一対の角が頭から生え、肌には血の気がない。角以外は普通の二十代半ばの男に見える。そして、和装の隙間から僅かに剥き出しにされた首元には花を模した紋章が小さく刻まれていた。


 魔術師どころか、人間にすらとても見えない風貌。新参の魔術師たちからは奇異の視線を向けられるが、鬼人の男は気にした様子はなく静かに語り続ける。


「決行は予定通り明日の夜だ。情報によると、アネモネ=ブラックウッドとほとんどの教師が不在のようだ。残った教師はただ一人」

「誰だ?」

「テオ・プロテウスだ」

「はっ……ただの学者先生じゃねえか。現代魔術の天才と言われようが、魔術で戦えるとは限らねぇ。たいしたことねぇだろ」


 別の男が嘲笑うように言う。

 

 鬼人の男は彼の軽い言動に顔をしかめるが……そう思う気持ちも分からなくはなかった。


 男自身、これまで何人もの著名な学者を見てきた。だれけど、彼らが魔術戦が得意かと言われれば、それは違う。

 机上と実戦は同じではない。


「それで、もう一つの作戦の方はどうなってたんだ?」

「あの御方曰く、難航しているらしい。最悪、強硬手段を取るしかないと」

「最初からそうすればいいのによぉ……お偉い方は何考えてるかわかんねぇな」

「可能な限り自由意志に任せたいとのことだ。我々の希望に、そっぽを向かれても困る」


 男は淡々と喋り続ける。

 だが、この場に集まった魔術師たちからある種の熱が高まっていくことを感じていた。


 聖女の庭園への襲撃。

 それが成功すれば、正神教会の目的に大きな一歩を踏み出すことになるからだ。


 ──と。


 不意に、ぞっとするような悪寒が背筋を走り抜けた。


 圧倒的な魔力。ただそこに存在しているだけなのに、身体から熱が抜けていくのを感じる。

 この悪趣味な魔力の持ち主を、男は一人しか知らなかった。



「──《第三位》。あなたが作戦に参加するとは聞いていないが?」



 男の前に立っていたのは、胡散臭さが凝縮したようなだった。


 見た目の年齢は四十代。

 整った顔立ちであるが、薄っぺらい笑顔を貼り付けているせいで、詐欺師のようにしか見えない。


 服の生地は上等すぎて、戦闘に赴こうとする魔術師の中に立つと、ひときわ悪目立ちをしている。


 片眼鏡の男は周囲の視線を集めていることを気にした様子もなく、軽薄そうに喋る。


「いやいや、作戦に参加するつもりはないとも。なにせ今回は《第二位》様がお出ましになるのだろう?なら、私ごときが参加せずとも勝利したようなものだ。むしろ私がいること自体が邪魔になってしまう」

「ならば、何故ここに」

「なんとなくだよ」


 片眼鏡の男はへらへらと笑いながら、そう答えた。


「なんとなーく嫌な予感がしてね。君もそんなときはないかい?順調に行っていたはずの作戦が、急に、何故か、壊れてしまうような予感を持つときは」

「生憎と私にはない」

「そうか、残念だね。だが、私にはあってね」


 片眼鏡の男は楽しそうにステップを踏む。


「このまま行くと、失敗する。そんな予感がびんびんするのだよ。何が悪いのかは分からないがね。ところで、作戦の決行日時はいつだい?」

「それは……明日の夜のつもりだが」

「それはやめたまえ」


 片眼鏡の男はばっさりと切り捨てて、魔術師たちを見回す。


「夜に襲撃なんてありきたりがすぎる。そうだな、朝なんてどうだい?目覚めてからすぐの方がすっきりするだろう?ディナーの頃にはすべて終えて祝杯をあげようじゃないか」

「……それだけが、朝にした方が良い理由か?」

「そうだね。まあ、言ってしまえばなんとなくだ。理由が欲しいならいくらでも付け足すが?」


 肩を竦める片眼鏡の男。

 鬼人の男は慎重にどこか諌めるような口調で言う。

 

「……《第三位》。あなたに言っても無駄なことはわかってはいるが、私たちは明日の夜を目指して作戦の準備をしてきた。それをあなたの気まぐれで、変えるわけには──」

「では、言い直そう。《第三位》としての権限を持って命ずる。作戦の決行は明日の朝だ。頑張って準備したまえ。それが嫌であれば……そうだね。


 ──ゴッ、と。

 魔力の圧が急激に強まった。


 鬼人の男の額からは冷や汗がたらりと落ちる。

 他の魔術師に至っては、その場で吐いてるものすらいた。今回集めた魔術師の中には、雇っただけの正神教会の正規メンバーではない者たちも含まれている。その者たちが一斉に地面に崩れ落ちていた。


「……わかった、あなたの言う通りにしよう」


 鬼人の男が何とか降参の意を伝えた瞬間、魔力の圧はすっと消えた。魔力の圧で息を止めていた者もいたのか、空気を必死に取り入れるような呼吸音があちこちから聞こえてくる。


「ふむ。分かり合えたようで何よりだ。嬉しいよ。では作戦決行は明日の朝。楽しみだね」


 それだけ言うと、片眼鏡の男は闇夜に紛れて去っていく。

 




 だが、仮に──世界の分岐を観測できるも者がこの場にいたとすれば驚愕の声をあげていただろう。

 

 片眼鏡の男のただの気まぐれで、用意されていた道がいとも簡単に変わってしまったのだから。


 そうして、徐々に、世界はかつて歩んだ道と異なる道を歩き始める。





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