第27-2話(過去)
──これは過去の記憶だ。
少女(カリナ)の記憶は、災害の最中から始まった。
「あ…………ぇ?」
初めて視界に映ったのは、まるで世界が滅亡したかのような光景だった。
見渡す限り、土色の地表が剥き出しになっていた。草木の一本も生えておらず、生命の気配がしない。
苛烈な爆発があったかのように、至るところで地面がへこんでいる。長時間に渡る争いがあったかのようだ。
そんな光景のなか、一際目を引いたのは赤髪の女性だった。
赤髪の女性は、大怪我を負っていた。
具体的には片手片足を失い、傷口からは鮮血を溢れさせている。身体は血で真っ赤に染まっており、肌に傷がない箇所を探す方が難しい。
それでも、蒼穹のもと──赤髪の女性は真剣な表情で、自分を片腕で抱きしめていた。
「……大丈夫か?」
最初、それが自分に向けられたものだと理解するのに時間がかかった。
一拍遅れて、この場には自分と赤髪の女性しかいないことに気づく。
だが、声を出そうとしても出せなかった。
ずっと喉が使われていなかったように。言葉の一つも出てこない。
しかし、口をぱくぱくと動かす光景から察してくれたのだろう。
赤髪の女性はくしゃくしゃと泣きそうな表情をつくった。
「はは、よかった……私は助けられたんだな」
「…………」
「は、ははは! あはははは、ははははは! よかった──本当によかった! 私は! 私は本当にやり遂げたんだ! はははははははは!」
涙をぽろぽろと流しながら、笑い声を響かせる赤髪の女性。
何故、彼女が泣きながら笑っているのか、まったくわからない。
だが、赤髪の女性に抱きしめられながら、このときは、どこかほっと安堵の気持ちに包まれたのを今でも覚えている。
しかし──カリナの存在が祝福されていたのは、ここまでだった。
「記憶が……ないのか?」
サルビアと名乗った赤髪の女性は、驚愕にか顔を歪めていた。
少女は清潔な真っ白のベッドの上に寝かされ、サルビアとその従者に囲まれていた。
微睡むような思考のなか、周囲の従者たちはざわめきながらも、こちらには聞こえるか聞こえないかの声で会話する。
「もしや、《封印領域》の影響で……記憶が……」
「サルビア様の片手片足と引き換えだというのに、まさかこんなことが……」
「おい、やめろ」
サルビアは一喝すると、ふっと口元に笑顔を浮かべる。
「いいじゃねぇか。とにかく助けることができたんだ。今はそれで十分だろ?」
サルビアが周囲を見回しながら言う。
圧倒的な力を持つ、聖女の言葉。
その言葉に、反論する者はその場にはいなかった。
……少なくとも、表向きは。
「──何故────してしまったんだ!!」
屋敷の廊下。
少女は部屋の扉を開けようとしたところで、中から大人たちの声が聞こえ、思わず動きを止めてしまった。先ほどの言葉は全ては聞こえなかったが、言い争いをしているのがわかる。
サルビアに助けられてから、既に一か月後が経過していた。
この頃からは、少女は『カリナ』と呼ばれ始めていた。
少女は記憶を全て失ってしまっていた。それどころか、少女が住んでいたであろう村の人々は誰一人として助からなかったらしい。
それゆえに、記憶を失う前の少女のことを知る者は誰もいなかった。
唯一あったのは、村に残されていたという物品と服。その服にはカリナという刺繍がされてあったらしい。そこから、少女は『カリナ』と呼ばれるようになった。
そして、少女カリナはサルビアの屋敷に引き取られていたのだが。
ある時期からカリナに隠れて、大人たちは秘密の会議をするようになった。
しかし、それは会議ではなくただ鬱屈とした気持ちを吐き出しているようでもあった。
だからか、聞きたくなくても、大人たちの声がカリナの耳に入ってくる。
「あの御方が片手片足を失う……! これがどれほどの問題かわかっているのか! これがバレれば、近隣諸国に攻め込まれる可能性もあるのだぞ!」
「わかっている! だが、失ってしまったものは仕方がないだろう!」
大人たちはほとんど怒気を帯びた声を発しながら言い争う。
議題は、いつもサルビアが片手片足を失ったこと──カリナを助けてしまったことだった。そして、その会議はいつも必ず同じ結論に帰結する。
すなわち、
「やはり、助けたのは間違い──」
「おい、滅多なことを言うのはやめろ。聞いてるかもしれないだろう」
別の大人が嗜めるように言って会議を終わらせる。
だけれど、カリナには続きを聞かなくても、彼らが言わんとしていることは理解できていた。
──やはり、助けたのは間違いだった。
つまるところ、彼らが言いたいのはそういうことだ。
サルビアの片手片足より、カリナの人命の方が遥かに安い。
何故なら、サルビアの全身には神の力が宿るらしい。だが、片手片足を失えばその分だけの力を宿せなくなってしまう、ということだった。
サルビアはカリナを助けたことを引き換えに、全盛期の七割ほどの力しか使えなくなったらしい。
国を象徴するような力が弱体化する。
カリナには、その影響でどれだけ被害が生まれるか想像することもできない。
──私は、生き残っちゃ駄目だった。
傍から聞けば美談だろう。
聖女が片手片足を犠牲にしても、封印領域から一人の少女を救う。
だが、彼らが言う通り、その救いは全体的に見れば負債でしかない。
──私は、生き残っちゃ駄目だった。
表向きには、誰もカリナにそんなことを言ったりしない。
救われたことを喜んでくれる。
優しく接してくれる。
しかし、一度、カリナが視界から消えればみんなが言うことは同じだ。
──私は、生き残っちゃ駄目だった。
生きてはいては駄目だった。救われてはいけなかった。サルビアが救う前に、カリナは死んでいるべきだった。
そうすれば、サルビアが片手片足を失うことなく──代わりに、もっと大勢の人間が救われていたのだから。
──私は、生き残っちゃ駄目だった。
頭の中で呪いのように繰り返される。
だが、どうすればいいのだろう。
生き残ってはいけなかったのはわかった。サルビアの片手片足を失わせてしまう、という大罪を犯したのはわかった。
そんな罪をどうすれば償えるのだろう。
たくさん、ごめんなさい、とすればいいのだろうか。
だけれど、それでは足りない気がする。
何か差し出せばいいのだろうか。
されど、カリナには財産も何もない。数少ない記憶をさらってみても、どうすれば許してもらえるかわからない。
カリナは一人で廊下に立ちながら考える。
考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて、考えて考えて考えて考えて考えて考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考え考えて。
そうして、一つの結論に辿り着く。
ああ、そうだ。
■ねばいいんだ。
私に差し出せるものは、■ぐらいしかないのだから──
「おい、カリナ」
「ッ!」
と、そのとき。
不意に、背後から肩を揺さぶられる。
慌てて振り返ると、サルビアがどこか不安げな表情で立っていた。
次いで、僅かに開かれた会議中の部屋の扉を見て、サルビアはすべてを察したのだろう。
苦しそうに顔を歪めながら、消え入るような声で訊ねてくる。
「……もしかして何か聞いちまったのか?」
カリナは答えなかった。
だが、それこそが如実に答えを物語っていた。
「──お前ら、ふざけんじゃねぇッッッ!!」
サルビアは憤怒の表情とともに声を荒げながら、扉を蹴破りながら入っていく。
「あたしは大丈夫だって言ってんだろうが! 勝手に不安がって、勝手なことを言ってんじゃねぇ!」
サルビアは部屋の中で暴れ続ける。
その光景に、カリナは空虚な心にほんの少し温かな感情が生まれたのを感じた。
「あいつらが言うことは気にするな」
一頻り暴れ、サルビアがすべての部下を屋敷から追い出した後。
サルビアは屋敷の屋根の上で夕陽を見ながら、そう語りかけてきた。
カリナもサルビアに連れられて隣に座っている。
本来であれば、広大な景色が見下ろせる高さに足が竦むはずだろうが、サルビアが隣にいれば不思議と心は落ち着いた。
「あいつらだって悪気があるわけじゃないんだ。まあ、悪気がないほうが、もっとタチが悪いかもしれねえが」
斜陽の光が辺りを照らし、景色の向こうに太陽が沈もうとしている。
カリナはその光景を見ながら、ぽつりと呟く。
実はずっとずっと前から胸の内に抱えていた、その想いを。
「私は……私は死んだほうが良いのでしょうか?」
「っ」
息を呑む音が隣から聞こえる。
続けて、カリナはサルビアから怒られることを予想していた。
カリナの中で、サルビアは直情的な印象だったからだ。
だが、予想に反して聞こえてきたのは、どこか泣きそうな声だった。
「頼むからさ……そんなこと言わないでくれ」
「……え?」
そっと、サルビアがカリナを抱きしめてくる。
カリナが彼女の腕の中で顔を上げると、サルビアは顔をくしゃくしゃに歪めていた。
「死んだ方が良いやつなんて……いるわけねぇだろうが。何か不安なら、あたしが話ならいくらでも聞いてやる。あたしがどんなことでもやってる。だから、頼むよ。そんなことは……言わないでくれ」
サルビアはカリナを抱きしめ続けながら、優しく頭を撫で続ける。
ずっとずっとずっと。
まるで、カリナがどこかに行くことを心の底から恐れてしまっているかのように。
それから、サルビアは二人きりの屋敷で色んな話をしてくれた。
サンクティア王国のあちこちの街のこと。
世界各地の文化、食事、芸術のこと。
サルビアが旅先で数々の失敗したこと。
それでも、やはり要所で挟まれるのは魔術の話だった。
「魔術はさ、平等なんだよ」
サルビアとカリナは、一緒のベッドに寝ていた。
サルビアは薄い寝間着以外何もつけていなかった。
生地は薄っすらと透けて肌すら見える。形の良い胸の下には、神の信者の証である──紋様が刻まれているのが確認できるほどだ。
そんな格好のまま、サルビアは寝かしつけるようにカリナの背中をとんとんと叩く。
「確かに生まれ持ったモノが影響をするときはあるが……本当は、貴族も平民も関係ないんだ。きちんと学べば、誰でも使える力──それが魔術だ。今は貴族が学ぶ環境がほとんどのせいで、門戸は狭いけどな」
サルビアはベッドに寝そべりながら窓の向こうに目を向ける。
その視線の先には、星空が──世界が広がっていた。
「それに、魔術には可能性がある。作物が無事に収穫できるかどうかは、天候に大きく影響するが……それも魔術なら何とかできるかもしれねえ。そうなれば飢餓で死ぬやつはいなくなる。魔術ならいずれ、どんな病気でも治せるかもしれねえ。そうすれば病で苦しんで死ぬやつはいなくなるかもしれねえ」
サルビアは悲しそうに目を細める。
それは《聖女》と呼ばれようと、世界の苦難すべてを救えない限界を知っているからか。
「現実問題、魔術には無理でも……その先の《魔法》なら不可能はない。《魔法》ならあたしの夢も叶うかもしれねえ」
「夢、ですか?」
「ああ、『魔術で、魔法で、苦しんでいる人をすべて救う』。それがあたしの夢だ」
サルビアは微笑を浮かべる。
夢を語るサルビアはどこか苦しそうに、それでいて星空のように輝いているようにも見えて。
サルビアに救われたがゆえに、何か恩返しをしたいという気持ちも確かにあっただろう。
だが、それ以上に、サルビアが語る夢に、カリナはどうしようもなく惹かれてしまって。この聖女様の力になりたいと想ってしまって。
だからか、カリナの口は無意識のうちに、こう紡いでいた。
「私にも……魔術、使えるでしょうか?」
「カリナにも? ああ、当たり前だろ。さっきも言っただろ。魔術は平等なんだ」
「なら……」
カリナは言う。
そっと、消え入るような声で。
「もし、魔術が……魔法が使えるようになったら……サルビア様のお傍に、ずっといてもいい……でしょうか?」
魔術が、魔法が具体的に何かも理解していない。
それでも、カリナはそう訊ねた。
この世界一格好いい女性の隣で、ずっと同じ『夢』を見ていたいと思ったから。
果たして、サルビアは再び泣きそうな顔をしていた。
だが、先程見せたどこか苦しそうな表情ととは違って。
「当たり前だろ……いや、魔法なんか、魔術なんかなくたっていいんだ」
「──あたしと一緒にいてくれ、カリナ。ずっと、ずっとな」
サルビアは嬉しそうに笑っていた。
そして、この日から、カリナはサルビアの養女となった。
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