第27-1話


「……あの、サルビア姉さん」

「おう、なんだ?」

「……二人きりで話したい、ということでしたよね?」

「おう、そうだな」

「それが何故浴場にいるのでしょう」


 カリナは一糸纏わぬ姿で居心地の悪さを感じながら、水の中で身じろぎした。



 聖女の庭園。

 聖浴場。


 だだっ広い空間には、カリナとサルビアしかいなかった。

 時間帯は夜。浴場であれば人の出入りが多いはずなのだが──


 カリナとサルビアがいるのは、《聖水》が満ちた浴場。すなわち《聖浴》に使われる浴場だった。


 元より人の出入りが少ない場所。

 二人きりになるのは確かにうってつけの場所ではある。



 サルビアが聖女の庭園に訪れたのは、正神教会なる魔術結社を調査するため。この学び舎を拠点として毎日あちこちに足を伸ばしているようだったが、成果は芳しくないようだった。


 聖女の庭園内で、カリナはそんなサルビアとばったり出会い──今に至っているのだが。


「まあまあ、細かいことは気にするなよ。家族水入らず、一緒に聖水に浸かろうぜ」

「……姉さん、浸かってないじゃないですか」

「おう。ちょっと傷口が開いちまったからな」


 サルビアはひらひらと手を振って見せる。

 浴場にはいるものの、サルビアは全裸にタオルを巻いた状態で、どこからか勝手に湾曲した寝そべられる椅子を持ってきて優雅に寝ていた。


 まるでリゾート気分である。

 だが、サルビアのこうした強引さは気にするだけ無駄だった。ほとんどはただの思いつきでしかない。


「それにしても……」

「な、なんですか?」


 サルビアの遠慮のない視線が向けられて、カリナはもじもじと身体を動かした。胸元から臀部へと視線が這っているのが、感覚的に分かる。


「いや。ただ、ほんとに良い体になったなと思っててな」

「ど、どういう意味ですか!」


 カリナは口調を強めるも、サルビアはにまにまと笑みを浮かべるだけで答えてはくれない。

 カリナが目線を下に落とすと、女性らしく丸みに帯びつつも、しなやかな身体がそこにはあった。特に胸部は、カリナが聖水のなかで身動きするたびに柔らかそうに揺れる。


 カリナにとっては戦う上で邪魔でしかないのだが。


「でも、なんか慣れねぇな。ここ数日顔を合わせちゃいるが……そもそも会うのが久しぶりだしな。手紙じゃ何度もやりとりしてたが」

「そうですね……姉さんも忙しいですし」

「違うだろ。お前が避けてたんだ。最後に会ったときは……ほら、喧嘩別れみたいになってただろ?」

「そう、ですね……」


 そう。実はサルビアと直接顔を合わせるのは久しぶりだった。



 最後にちゃんと喋ったのは、カリナが聖女の庭園の入学試験に合格し、入ることを報告したときだ。サルビアは「あたしのもとで学べ」と頻りに言ってきたが、カリナはサルビアのもとから離れることを選んだ。


 別に、サルビアのことが嫌いだったわけではない。身寄りがない自分を受け入れ、育ててくれたことに感謝しない日は一日もない。


 だからこそ、カリナはサルビアに甘えてしまっている状況に我慢できなかった。


 もっと苦境に身を置かねばならない。

 そんな想いとともに、聖女の庭園とその女子寮に入って学ぶことを選んだ。だが、そのときは、サルビアに理解してもらえず、喧嘩をしてしまったのだ。


 その後、手紙のやりとりで和解をしたものの、面と向かってサルビアと会うのは久しぶりだった。サルビア自身も《聖女》故に忙しい。カリナが積極的に会おうしなければ、数年単位で期間が空くのも当然と言えた。


 サルビアはがしがしと頭を掻きながら、目線を彷徨わせながら訊ねてくる。


「あー、それでどうだ。学校は?」

「……なんですか、姉さん。その雑な質問は。そもそもこの前話したじゃないですか。簡単に、ですけど」

「うるせー。久々に会って、あたしも何を喋っていいかわからねぇんだよ。お前が初めての子供だしな」


 サルビアが照れ臭そうにする光景は、まるで不器用な母親のようでもあった。


「…………」


 子供。

 サルビアがカリナのことを今も尚そう思ってくれていることに、胸の辺りがじんわりと温かくなる。カリナとサルビアは血が繋がっていないというのに。


「学校は……そうですね。前にも話しましたが、楽しいです」


 カリナはぽつりと呟くように答えながらも、自然と口元に微笑を浮かべていた。


「新しくきたプロテウス先生は……厳しい方ですが、でも成長している実感もあります。まだまだ夢には遠いですが……」

「そっか。そういや、あたしが言いつけた訓練はやってるか?」

「……《聖水》に浸かるやつですか?ええ、姉さんの言う通り定期的にやってますよ」


 サルビアの問いかけに、カリナはこくりと頷く。

 聖女の庭園に入る前、サルビアから言いつけられた訓練。サルビアのもとから離れても尚、継続する必要はないのかもしれないが、カリナは習慣としてこなしていた。


 一般的に、魔術師の能力は『魔力量×術式許容量×術式処理能力』で表されるといわれる。


 だが、これは正確ではない。

 教科書的には《神域接続能力》──サルビアが好きな言い回しであれば、《神からの好感度》という指標もある。


 ほとんどの魔術師においては、この好感度に大きな差はない。だけれど、《聖女》と評されるサルビア、そして何の因果かカリナも高い数値を示しているという。

 そして、この《神からの好感度》が高ければ高いほど、長時間神の力を受け入れ続けることができるのだ。


 たとえば第二等級魔術:天撃ステラダストは、神と接続した際に得られる莫大な神の力の制御が最も難点に挙げられるが、サルビアであれば鼻歌交じりで制御できる。カリナも他の魔術師と比べれば、容易く制御できる。


 さらに、その神の力の制御が極まれば──常時、神の力を自身に宿すことができる。それを継続していれば、身体は徐々に変質していく。やがて神と繋がっていなくとも力を発揮できるようになる。そうなれば、人の理から外れた存在といっても差し支えはない。


 病気にはかからず、怪我もしにくい。

 殴打自体が魔術と同等の威力を生み、拳を全力で振るえば暴風が巻き起こる。

 老化すら抑えられる。

 サルビアの見た目は二十代にしか見えないが、実際どの程度生きているのかはカリナでさえ知らない。


 サルビアからは、カリナもいずれその領域に辿り着くことが期待されている。


 そのための訓練が《聖水》に定期的に浸かることだった。

 《聖水》は神との接続をするために使われるものだ。ほとんどの魔術師は一回浸かれば、限界値まで高めることができる。


 だが、サルビアやカリナのような人間は違うらしい。聖水に浸かるたびに、神からの恩恵を授かれるようになるようだ。だからこそ、サルビアにはその訓練を命じられていたのだが。


「そうか、じゃあ何本行けるようになった?」

「……え?」

「だから、強化だよ。前は一本が限界だったが、多少はマシになったんだろ?」


 言いながら、サルビアがどこからか取り出して見せてきたのは革のホルダーだった。ホルダーには六本の注射器が刺さっている。


 神との接続には、実はとっておきの裏技がある。

 聖水を体内に取り入れることで、一時的に《神域接続能力》を上げることができるのだ。

 回数や制限時間はあるものの、凄まじい強化の恩恵を得ることができる。


 サルビアの言葉通り、カリナは聖女の庭園に入る前は、一日に一本が限界だった。それがどれだけ上がったのか問うているのだろう。


「えっと、それは……」


 カリナは答えようと口を開く。

 そのとき、不意に何故かテオの言葉が脳裏に過ぎった。


 ──


 しばしの間の後、カリナは答える。


、ですね。それが限界です」

「やるじゃねぇか、ずいぶんと頑張ったんだな。今の時点で三本強化できるなら上等だ」

「はい……そう、ですね」


 どこか煮えきらないような発言。

 サルビアは一瞬だけ不思議そうな顔をつくるが、頭を振って問うてくる。



「……で、あれから考えてくれたか?」

「え?」

「学校を辞めてあたしについてきてくれ、って話だよ。前に聞いたときには、まだ庭園に残りたがってだろ?」


 サルビアがうーんと背伸びをすると、かしゃんと鈍色の義手義足が鳴った。カリナが無意識のうちに視線を逸らすと、サルビアの優しい声が聴覚に触れる。


「前にも言ったが、あたしと一緒に来れば、あたしとお前の夢は叶う。その算段がついたんだ。もう、この学校で学ぶことだってなくなっただろ?」

「それ、は……」

「あんまり言いたくねぇが、アネモネ=ブラックウッドは良い噂だけがあるわけじゃねぇ」


 今まで聞いたこともない話だった。

 アネモネ=ブラックウッドについて聞くのは良い評判ばかりだ。


 貴族の血統主義に囚われない、魔術の才が高い子供だけを集めた第七庭園。その試みは確かに貴族たちに批判されたものの、サルビアが言っているのはそれではないだろう。いちいち貴族の言葉に耳を貸すような性格でもない。

 だとすれば、アネモネ=ブラックウッドに関する悪い噂とはいったい──


 だけれど、サルビアはその先を紡ぐことはなかった。


「っ」


 誰かの話し声が浴場の外から聞こえてきたからだ。


 代わりに、《聖水》に浸かるカリナに近づいてくると、サルビアは床に膝をつきながら浴槽の外からぎゅっと抱きしめてくる。タオルがはだけ、ひらりと舞い落ちると、サルビアの裸体が視界に入った。


 神の力によって強制的に治された綺麗な身体。

 。大きな怪我は治癒され、細かな傷へと変貌するからだ。失ってしまった片手片足は例外だが。



「カリナ、まだ決心がつかないならもう少し考えてくれていい。でも……あたしは今でもお前と一緒に旅をできたら最高に幸せだと思ってるよ」

「……それは私もですよ、姉さん」


 サルビアに優しく抱きしめられながら、カリナは呟くように答える。




 カリナは果たしてどうするべきなのだろうか。

 夢を否定するテオのもとで学ぶべきか。

 あるいは、一緒に夢を追ってくれるサルビアについていくべきか。



 期日を明確に決められているわけではない。

 だが、答えを出さなければいけない日が近づいていることは、直感的に察していた。



 だけれど、かつてカリナが犯した『罪』故に、最終的に選ぶ道はもう決まっていた。


 《聖女》サルビア=ルドベキア。

 世界最高の魔術師の一人。



 そんな彼女の片腕と片足を奪い、世界に与えるべきはずだった救済を失わせてしまったのは他ならぬカリナ自身なのだから。



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