第26話(過去)
「目覚めて、《獣の王》よ」
「──
エマは注射器を自らの首筋に刺しながら、災厄を呼ぶ。直後、エマから莫大な魔力の波動が吹き荒れ、大気を震わせた。
「ッ」
テオは立っていられずに地面に伏せる。
廃墟が、草木が、村の何もかもが、暴風によって飛ばされていく。
目の前のエマはもう人の形を保っていなかった。
エマの背中から肉が雪崩のように生まれると、足元に肉塊の海を広げていく。やがてそれはエマを包み込むと、魔獣の形を取っていく。
だが、その魔獣は一度も見たことがないものだった。
幾かの魔獣を無理やり掛け合わせてつくったかのような合成獣だ。
その合成獣はテオを視認するやいなや、魔力を口元に溜め──
轟ッッッッ!!!!!
合成獣が咆哮とともに放った魔力の奔流は、村を半分に分かつように空間を削り取った。
威力としては、第三等級魔術クラス。
つまり、宮廷魔術師の魔術に匹敵する。
──なにが、起こってるんだ?
その光景を目視して尚、テオは目の前で起こったことを素直に信じることができなかった。
エマが魔獣に変貌した。
これだけでも聞いたことがない魔術だ。
獣に変身する魔術はある。だが、獣化はあくまで力を一時的に借り受けているに過ぎない。
だけれど、目の前のそれは本質的に変貌している。存在が、魂が、魔獣と化している。魔術研究に長年携わってきた直感がそう囁いている。
「おい、先生!なに、ぼーっとしてんだ!」
「え……?」
「あいつはどうにかしないとヤバいだろ!先生、どうすりゃいい!あんたが頼りなんだ!」
「どうって……そうだ、まずはあの魔術を解除しないと」
「俺は魔術はからっきしだが──できんのか、そんなこと!?」
「それ、は……」
テオは合成獣に視線を向ける。
初見の魔術。それを解除するのはほとんど不可能に近い。魔術の術式を理解し、初めて解除が可能だからだ。
故に、エマの魔獣化を解くことはできない。
いや、それ以前に、あの魔術は解くことができる代物なのかもわからない。
だが、あの合成獣を放置して逃げることはできない。第三等級魔術に匹敵する攻撃を放てる怪物を見過ごせるわけがない。
つまり、テオがすべきことはエマを殺──
「ッ──術式解放:
咄嗟に頭によぎった選択肢を追い出すように、テオは魔術を唱える。
直後、合成獣の周囲の空間が四点捻れると鎖を吐き出した。魔術的拘束力を持つ鎖は、合成獣の手足を縛り拘束する。
だが、
「────────ァァアアアアッッ!!」
合成獣は凄まじい咆哮とともに暴れると、まるで糸のように鎖を引き千切った。準備なしに出せるテオの最大限の拘束。地竜すらその場に留めておける魔術をいとも簡単に破壊する。
しかし、それでは終わらなかった。
合成獣は地を蹴ると、瞬く間にテオに迫る。
テオが魔術を紡ぐより早く、合成獣は鉤爪を振り上げ──
「う……らあああああああああ!!」
雄叫びとともに、テオを守るように立ちはだかったのはジャックだった。
手には、先程テオが渡したばかりの自動防御の魔道具。合成獣の一撃を検知し、それは半透明の盾へと変貌した。
そして、
「ッ!」
合成獣の鉤爪と盾がぶつかった瞬間、凄まじい衝撃波が吹き荒れた。ジャックの足元の地面が放射状にひび割れる。ジャックは盾を掲げたまま、膝を地面についていた。衝撃を殺せなかったのか、口から血を吐いてみせる。
「なに……やってんだ、先生ッ!!」
次いで、彼の口から放たれたのは叱咤の言葉だった。ジャックは強い口調で、それでいて優しさを感じさせる声で紡ぐ。
「いつまで甘えてんだッ!エマを止めなきゃヤバいだろ!このままだと、あいつ大勢殺すぞ!エマにそんなことさせていいのか!」
合成獣の猛攻は続く。
何度も振り下ろされる鉤爪を半透明の盾で受け続けながら、ジャックは耐える。
それでも、たかが魔力が続く限り自動防御をする魔道具に過ぎない。すぐに限界が来るのは目に見えている。
「できるなら俺がしてやりてぇ!先生に手を汚させたくなんかねぇ!でも、俺には……無理だ。あんなやつをどうこうする力はない」
「──だからさ、先生頼むよ。あいつを止めてやってくれ」
止める。
その言葉が持つ意味を、ジャックはわからずに言っているわけではあるまい。
テオにあの合成獣を無力化する術はない。
魔術に詳しくなかろうと、ジャックも肌で理解しているだろう。
ならば、止めるということは、殺すということ。息の根を止めるということだ。
周囲を見回すと、エマの仲間であったはずの子どもたちが瓦礫に埋もれて呻いていた。最初から巻き込むつもりだったのだろう。仲間を使ってでも、テオを殺そうとしたのだ。
──ほら、先生との旅、楽しかったじゃん? なんか名残惜しくなっちゃって。
──このまま、先生についていっちゃ駄目かな?
エマの甘えるような声が脳裏に響く。
あれは本心だったのだろうか。
テオが村へと行く決断しなければ、前へ進もうとしなければ、あのまま偽りの──されど、平穏な関係を続けることができたのだろうか。
でも、そんな未来はもう有り得ない。
「……ジャック、もう少しだけ時間稼いでくれる?」
「……ああ。任せとけ、先生!」
ジャックは血を吐き捨て応じる。
次いで力任せに半透明の盾で鉤爪を跳ね返すと、視線を誘導するように円弧を描いて走り始めた。釣られるように合成獣の視線が動いた隙に、テオは魔術を起動する。
「来い、エマ!俺が相手だ!先生はお前の相手なんかやってられないってよ!」
「ッ」
合成獣が再びこちらを向いた時には、テオは姿を景色に同化させていた。合成獣が怒りにか唸り上げてジャックを襲う。
後は、テオの魔術にかかっている。
「術式解放:
テオはいくつかの魔術を仕込んだ後、両手を前に伸ばして新たな魔術を唱える。
第四等級魔術:簡易構築。
それは事前に設定された術式の設計書に基づき、物質を一定時間だけ創り出す魔術。果たしてテオの手に現れたのは、身の丈もありそうな大杖だった。
第四世代の魔術ではおそらくあの合成獣には通じない。先程の拘束魔術によってそれは直感的に理解していた。
ゆえに、テオが紡ぐことを選んだのは、古くから脈々と続く魔術。テオは魔術師としての正装を纏う。
──魔術と神は密接に関係している。
神から与えられた魔法、選ばれし者たちが扱いやすいように簡略化したものが魔術だからだ。
そして、魔術は長い歳月をもって改良されてきた。果ては第四世代の魔術という魔力さえ持っていれば、誰でも魔術が使えるようになった。
では、古から続く魔術は使われなくなったのか?
答えは否だ。
確かにその使い勝手の悪さから頻度は減ったものの、古からの魔術は今も尚使われ続けている。
第二世代の魔術理論。詠唱を捧げるとともに放つその魔術の優位性は、神と繋がることで得られる圧倒的な高威力だ。
「──我、ここに御身に願う」
テオが詠唱を口にしながら杖で地面を打った瞬間、足元が光り輝き魔法陣が現れた。魔法陣から電光が放たれ、激しく明滅する。同時に姿を隠す魔術は破られ、合成獣の前に露わになった。
合成獣から鋭い視線を向けられるが、詠唱途中でやめてしまっては全てが無に帰してしまう。
「我、ここに御身に捧げる」
テオが詠唱を続けた瞬間、今度は重力を何倍にもしたかのような圧力が襲いかかった。
みしみしと身体が悲鳴を上げる。
神の力をすべてこの身一つで受けているからだ。
並の魔術師であれば、この力に潰されてしまう。
だが、テオは対処の術を知っている。力を受け流し、自身を中心として巡らせる。やがて力は円環となり、電光を撒き散らせながら空間を軋ませる。
合成獣もただそれを見ているわけではなかった。
詠唱中の無防備な瞬間を襲わんと、合成獣は地を蹴って一気に迫ろうとしてくる。
だけれど、それを押し留めたのはジャックだった。消えかかろうとしている魔道具の盾で思いっきり横っ面を殴りかかる。
十秒にも満たない時間稼ぎ。
されど、それが今はありがたい。
「
合成獣はジャックを吹き飛ばすと、再びこちらに駆け出そうとする。けれど刹那、合成獣の足元が光り輝き現れたのは《術式拘束》の魔術だった。
テオが事前に仕込んでおいた地雷式魔術。
合成獣に効かず、数秒で破られてしまうことはもう知っている。
しかし、その数秒さえあれば今は十分だ。
「星の一撃を以って、我が敵に滅びを与えよ」
テオは丁寧に詠唱を口にしながら前を向く。
合成獣は《術式拘束》の魔術を破ろうとしていた。あとほんの少しだけ時間があれば、抜け出して逃げることができる。
だが、もう遅い。
古からの魔術は紡がれた。
あとは、その身で受けるしかない。
──ねえ、テオさんのことさ、先生って呼んでもいい?
──はい、テオ先生!質問!
──私、色々と我慢するし、街についたら自分のぐらいお金も稼ぐからさ。
──だから、先生と一緒にいちゃ駄目かな……?
エマの声が脳内で響く。
でも、もうテオは前に進むことを選んでしまった。
だから、殺す。
僕が、先生であるはずの僕が、たった一ヶ月とはいえ、先生と呼んでくれたはずの生徒のことを。
テオが紡ぐは、古から神の一撃とすら形容される術。神の力の制御が非常に難しく、本来であれば儀式と優秀な複数人の魔術師の腕があって成立するもの。
テオはそれを一人で構築し、放つ。
其の名は、第二等級魔術──
「────《
合成獣の足元に魔法陣が広がった。
それだけではなく、頭上にも幾つもの魔法陣が重なるように積み上がっていく。
まるで、天上まで届かんとする塔のように。
そして、
「────」
空間を無理やり削り取るかのような異音とともに、上空からエネルギーの奔流が降り注いだ。合成獣はその砲撃に飲み込まれ、爆風とともに砂塵が舞い上がる。
苦悶の声は聞こえなかった。
ただ圧倒的な破壊の光景だけが目の前にあった。
◇ ◇ ◇
「………………ぁ」
テオとジャックは天撃が砲火された場所へと近寄ると、そこには合成獣と思わしき姿がまだ残っていた。
だが、身体のほとんどが消滅して見る影もない。
再生しようとしているのか、肉片が蠢いている。それでも魔力が尽きたからか、再生する様子はなかった。
そして、合成獣の肉塊の中には、まだエマと思わしき顔があった。
もう何も手を下さなくても、あと数分足らずで死に至るだろう。
「……先生」
「……うん、わかってるよ」
だけれど、テオは《簡易構築》の魔術で創り上げた剣を振りかぶった。
彼女が少しでも早く安らかに眠れるように。
そのとき。
エマの口が僅かに動いて音を発した。
辿々しく、掠れるような声。
されど、テオの聴覚に触れたそれはこんなふうに聞こえた。
「いや、いや……テオ……せんせい……わたし、死にたく、ない……」
意識が朦朧としているのだろうか。
夢でも見ているのだろうか。
あるいは──彼女の本心なのか。
でも、テオは剣を振り下ろす手を止めることはなかった。
返り血がテオの服を染める。
息絶えた生徒を、テオはただただ見下ろし続ける。
「……行こう、ジャック」
いったいどれほどそうしていただろうか。
テオはエマの肉片をいくつか収集すると、彼女だったものに背を向ける。
テオは前に進むことを選んだ。
だから、ここで足を止めるわけにはいかない。
人を殺した。生徒を殺した。きっとこれからも、テオの魔術は人を殺し続けるだろう。エマの言った通り、テオが創る魔術自体が世界に争いを増やし続ける。
だけれど、足を止めるわけには行かない。
足を止めてしまっては、すべてに意味がなくなってしまうから。
そしてきっとここから、テオ・プロテウスという人間は壊れ始めた。
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