第24話(過去)
「先生、ちょっとだけいい……? 話、聞いてくれない?」
旅が始まって幾つの夜を超えただろうか。
ジャックやエマと三人で旅を始めて一か月と少し。
だが、どんな旅にも終わりがある。
その終わりが予感できそうな──つまりは、エマの故郷が近づいてきた頃の夜。
満天の星空のもと、テオは焚き火の前で暖を取っていた。
ジャックは早々に寝てしまっていた。本来であれば夜襲を警戒しなければならないのだろうが、テオの魔術があちこちに張り巡らされているおかげで、その手の類の対処はもう終わっている。
だからこそ、テオは焚き火の前でゆったりとした時間を過ごしていたのだが。
エマは眠れないのか、そっと隣に座ってきた。
テオは焚き火から彼女へと視線を移して、微笑を浮かべる。
「うん、もちろん。エマの話なら何でも聞くよ」
「…………ありがと」
エマは消え入るような声で言う。
だが、エマはそれからすぐに喋ろうとしなかった。
二人で焚き火を見つめる。
しばしの間の後、エマはぽつりと呟くように言う。
「あのさ、先生。何言ってるんだろうって思うかもしれないけど、その……私の村に行くのさ、やめない?」
「……急にどうしたの?」
この一ヶ月、エマの故郷の村を目指して進んでいたはずだった。
だけれど、目前になってそんなことを言うなんて。
テオが眉をひそめると、エマは小さく笑いながら言う。
「……ほら、先生との旅、楽しかったじゃん? なんか名残惜しくなっちゃって。だからさ、行くのやめない?」
「……エマ?」
「このまま、先生についていっちゃ駄目かな? 私、色々と我慢するし、街についたら自分のぐらいお金も稼ぐからさ。だから、先生と一緒にいちゃ駄目かな……?」
「…………」
「…………駄目?」
おずおずと顔を覗き込んでくるエマ。
可愛らしい相貌が視界いっぱいに映る。
だけれど、テオも彼女の意図通りに無条件で頷くわけにはいかなかった。
頷く代わりに、テオは問いかける。
「僕はいいよ。きっとジャックもいいと言うだろうね。でも、急にどうしたんだい? 何か不安なことが……心配なことがあるの?」
「…………それ、は……」
「何度でも言うけど、僕はエマと旅を続けるのは大歓迎だ。でも、君が何か抱えてるのならそれを聞いてあげたい。僕なんかで出来ることなら、解決もしてあげたい」
「……私、は」
エマが口をぱくぱくと動かす。
一瞬だけ、目に迷いのような感情がちらつく。
そして、エマは口を半開きにした後──最後には困ったような笑顔をつくった。
「……あはは、やっぱり先生にはわかっちゃうかー。ちょっと帰るのが怖くなっちゃってさ」
「…………?」
今、ほんの少しだけ、エマが違うことを言おうとしたのは気のせいだろうか。
いや気のせいだろう。きっと自分が疲れているのだ。
テオは内心で疑念を捨てると、彼女に問いかける。
「どうして、エマは帰るのが怖くなったの?」
「それは……」
エマは顔を俯かせる。
果たして──エマが続けたのは、彼女の過去の話だった。
「私の村ってさ、元々何もなかったんだよね。サンクティアとライヴェルトの狭間にあるような小さな村でさ。貴重な資源も、行きやすい場所でもなかったから、争いごとみたいなものもすっごく少なくってさ」
エマは顔をあげて遠くを見つめる。
その視線の先には、故郷の村があるのだろう。
エマはその光景を幻視しているのか、懐かしそうに目を細めながら語る。
「でも、ちょっと前に、あいつらがやってきた」
エマは語る。
目は虚ろで──諦めに染まっていた。
いつもは活力に溢れる目だったが、そのときだけはその瞳は黒く澱んでいた。
「二、三人の男たちでさ、みんな大怪我をしてたんだ。見た目は魔術師でもなかった。だから、油断してたんだ。村のみんなで介抱なんかしちゃったりしてさ」
「…………」
「でも、演技だった。よくわかんないけど、あいつらは子供を探してたみたい。で、たった二、三人の男たちに村の男たちはみんな殺されちゃった。私を含めて村の子供たちはみんな逃げたけど……私は捕まっちゃった。それ以降は……まあ、先生の知っている通り」
エマは力なく口角をあげてみせる。
一か月前、テオたちはライヴェルトの兵士からエマを助けた。ということは、彼女の村を襲ったライヴェルトの兵士が彼らなのだろう。
「私が帰るのが怖くなったのは……もう村はないかもしれないから」
エマの身体は震えていた。
彼女は青ざめた唇で続ける。
「私は生きてるけど……他のみんなは? もうみんな死んじゃって村に帰っても誰もいないかもしれない……それを知るのが怖いの」
村に帰らなければ──真実を知らなければ、希望を持つことができる。
本当は死んでいても、帰れば生きているかもしれないという想像をすることができる。
だから、戻りたくない、とエマはそう言っていた。
しかし、テオはゆっくりと首を横に振る。
「エマ……それでも戻ろう」
どこか自分と重なったせいかもしれない。
テオは生徒の安否を確かめるために戦場にやってきた。
生徒が死んだ。そんな噂に目を背けることもできただろう。
でも、それでは次に進めない。
もし生徒が窮地に陥っていたとしたら? そのときは、テオは手を差し伸べて力になってあげたい。だけれど、生徒が生きているか確認したくない、と現実から目を背けた結果、実は窮地に陥っていた生徒が本当に死んでしまうかもしれない。
エマの帰郷だってそうだ。
死んでいる可能性もあるだろう。しかし、村に帰ることで、実は村人たちはみんな生きているが、村にはいないという情報が手に入るとすれば?
それならば、次はその場所を目指すという目標ができる。
でも、ここで帰郷しなければ何も得られない。何も変わらない。
だから、テオは言う。
心を鬼にしながらも。
「帰ろう、エマ。どんな結末が待っていたとしても。僕はエマを置いて行ったりなんかしないからさ」
「……うん、先生」
テオの言葉に、エマはゆっくりと笑顔をつくった。
◇ ◇ ◇
「そろそろ……この辺りかな」
故郷の村が近づいてきてからは、エマの案内のもと進むことになった。
先導するエマの背中を見ながら、テオたちは森の中を歩く。
それから、どれぐらいの時間が経過しただろうか。
鬱蒼とした木々の景色から、徐々にはっきりとした道が現れ──視界に映ったのは小さな村だった。
エマは小走りに村へと駆けていく。
だが、テオはその村に入った途端、眉をひそめざるを得なかった。
「これ、は……?」
──何か、おかしい。
本能が何故か脳内で警鐘を鳴り響かせる。
どくんどくんと全身に血が流れるのを感じる。
テオの視界に映る村。
エマの故郷である村は、荒れ果てていた。
数ヶ月どころじゃない。
少なくとも数年単位で、この村には誰も住んでいない。それほどまでに荒れ果てている。
「……エマ、ちょっと待って。なにかおかしい」
「もう遅いよ、先生」
テオは荒れ果てた村の中心にいるエマに呼びかけるが、彼女はゆっくりと首を振っただけだった。
次いでこちらに向けるのは、今にも泣き出しそうな表情。
──何か、おかしい。
一か月前、テオたちはライヴェルトの兵士からエマを助けた。
エマの話では、少し前にライヴェルトの兵士がこの村に訪れたはずだった。
だから、数か月前にエマがこの村から攫われたと勝手に勘違いしていた。
具体的な期間は何も言われていないというのに。
そして、この村には少なくとも何年も人が住んだ様子はない。
──何か、おかしい。
エマは昨日何か伝えようとしていた。
この村には帰りたくないと。故郷の村には誰もいない可能性があるからと。
でも、真意は本当にそれだったのだろうか。
本当に違うことを伝えようとしていたのだとすれば──
「もう遅いよ、先生」
「村に帰るって決めなかったら、何も見ないフリをしていたら、私は先生と戦わなくて済んだのに」
直後、村の廃墟からあちこちから少年たちが現れて魔術を紡ぎ始めた。
第四世代の魔術理論に基づいた魔術──すなわち、テオが創った魔術を。
「──みんな、先生を殺して」
エマの号令で、魔術が一斉に発射された。
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