第21話
「死ぬ! 私、死ぬわよ、先生!」
修練場。
金髪の貴族お嬢様然とした少女──イザベラが全力で叫んでいた。
テオの目の前で、イザベラは次々と飛翔してくる氷の魔術を辛うじてだが躱し続けている。
対象を見失った魔術は、修練場の地面にぶつかると凍らせながら爆散した。
どーん! と爆音とともに、修練場の端が消し飛んでしまう。
「今度は……当て、ます!」
イザベラの対向側にいたのは、氷色髪の人形めいた少女──シュエだった。
シュエは既に精霊化していた。
殻を背負った巨大な氷の獣を、小柄な体躯に纏う。
まるでその姿は氷の亀が立ち上がったようにも見えなくない。
シュエはか細い声で言い放つ。
「《
「無理無理無理! あんなのにどうやって勝てってきゃああああああああ!」
轟ッ!
再び、シュエの精霊化した口から冷気の光線が放たれると、修練場を駆け抜けて爆散した。
イザベラは咄嗟に身体を捻ったおがけか、髪の毛が掠った程度だ。
それでも、髪の毛は千切れて霧散していた。
さすがの威力である。
──そんな光景を、テオは修練場の観客席から眺めていた。
サルビアが庭園にやってきてから一週間が経過していた。
度々、サルビアは庭園を抜けては部下たちと一緒に調査に行っているようだった。
これは、一周目の動きと一緒だ。
テオも同行したい気持ちはある。だが。
──狙い所はもう決まっている。
二周目の始業式の日、一周目の情報から全てどうするかは決めている。
テオが下手に動いてしまった結果、一周目からズレてしまっても困る。
だからこそ、テオはイザベラたちの強化に注力していたのだが。
テオは二人の戦闘訓練を見ながら、指示を下す。
「イザベラ、お前は精霊魔術の連射速度に慣れろ。この速度に慣れてしまえば、大抵の魔術師相手なら余裕が生まれるはずだ」
「そんなこと言われても! は、早すぎて……!」
「もっと落ち着いて観察しろ。大丈夫だ、これは本番じゃない。シュエに殺されることはないんだ」
「死んじゃえ──死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ!」
「シュエ、あんなこと言ってるけど!?」
「……まあ、頑張って避けることだ」
「先生、諦めないで! 私、死んじゃう!」
イザベラは悲鳴をあげながら、修練場を走り回る。
だが、体力の限界を迎えることはない。
走り込みに加え、最近は近接戦闘についても教えているからか。
人を殺せる魔術師としての基礎は身につきつつある。
それを確認すると、テオは今度はもう片方の少女へと顔を向ける。
「シュエ、お前は躊躇いことを失くすことを覚えろ。いざというときに力が使えるように」
「これ以上!? 私、本当に死んじゃうわよ!」
「はい、せんせい。わたし、がんばり、ますね!」
「お願いだから、やめて!」
イザベラはついには空中で横に回転しながら、シュエの魔術を躱し始めた。
アクロバティックなことこの上ない。
テンションが上がってきたのか、イザベラは顔に怒りを滲まさせて叫ぶ。
「頭、きったわ! やってやろうじゃない! イザベラ=ルミエールの本気ってやつを見せてやるわよ! だから先生あとでご褒美ちょうだい! さあ行くわよ、うおおおおおおおおお、あっやっぱ無理これ無理どうにもなんないきゃあああああああああ!」
イザベラはシュエの一撃を食らって昏倒した。
「まあ、これでお前らの準備はいいだろう」
「私、全然駄目だった気がするけど……」
「わたしも、躊躇い、まだ、消せて、ません」
「いや、あんたは結構思いっきりやれてたわよ?」
イザベラは額に冷や汗を浮かばせる。
あれ以上、躊躇いを失ったらどうなるか想像でもしたのか。
テオは冷徹に言う。
「お前らが今の時点で駄目なことは知っている」
「うわ、容赦ないわね……」
「ただ、それは最初から織り込み済みだ。むしろ今の時点では十分及第点だ」
「っ」
イザベラが大きく目を見開く。
だが、嘘は言っていない。
二周目の始業式の日から、数日後の犯罪組織の襲撃を逆算して進めてきた。
今の時点では、イザベラとシュエがある程度戦えるようになったことで十分だ。
これ以上は、高望みだろう。
「イザベラ、お前は僕が教えたことを反復しろ。きっと今後にも活きてくるはずだ」
「わかったわ」
「シュエは……正直、僕が教えられることは少ない。だが、お前の力はこんなものじゃない。そのレベルに甘んじるな」
「……え?」
「今後はもっと精霊を意識してみろ。といっても、お前の中の精霊じゃない。あちこちに存在する……世界に存在する精霊をだ」
「世界に存在する精霊……」
シュエがきょろきょろと周囲を見回す。
精霊は大きく二つに分かれる。
一つは精霊魔術師が契約できるような、存在が確立された『名前』を持つ精霊だ。シュエ自身も概念としてはこちらに区分される。
そしてもう一つは、森や山、水辺などあらゆる自然に存在にする──『名前』なき精霊のことだ。
テオにはいずれの精霊も目で捉えることはできない。
だが、精霊が混じっているシュエは違う。
テオとは違う、精霊が存在する世界が見えているはずだ。
「名を持つ精霊は力を行使するとき、周囲の名もなき精霊も利用している。僕が教えられることには限界があるが、シュエ、お前ならできるはずだ」
これは、一周目のシュエと試行錯誤しながら掴んだことだ。
結果として、シュエは圧倒的な精霊魔術を使えるようになった。
一周目のシュエができたのであれば、二周目の彼女ができないわけがない。
と、そこで。
イザベラが口を挟んでくる。
「それ、普通の魔術師は使えないの?」
「え?」
「精霊魔術が凄いのは十分わかったわ。で、精霊はもっとあちこちにいるものなんでしょう? なら、普通の魔術師もそれを使えばいいじゃない」
イザベラは躊躇いつつ口にする。
「私だって精霊魔術の基本は知ってるわ。名前を持つ精霊は、存在が、自我が確立してるからこそ、好き嫌いがある。精霊魔術師になれるかどうかは、精霊に好かれるかどうかが全て。才能に依存するわ。でも、たとえば、普通の魔術師でも名前がない精霊を従わせることができれば……」
「…………」
「な、なによ? 変なことを言った自覚はあるわよ。でも、もしそれができれば──」
「いや、僕と同じことを考えるな、と不思議に思っただけだ」
「へ?」
イザベラが口を半開きにする。
テオは言う。
「だが、現状の魔術理論では無理だ。名前がない精霊は空気のようなものだ。カタチを持たないモノを従わせるのは今の技術では無理だ。名前やカタチは魔術理論では、重要なものの一つだからな」
「……まあ、そうよね」
「だが、逆に言えば……名前やカタチを与えることができれば可能かもしれないが」
「え?」
「いや、なんでもない」
テオは首を振りながら立ち上がる。
イザベラとシュエの戦闘訓練はこれで終わりだ。
しかし、修練場を去る寸前、イザベラが声をかけてくる。
「ところで、カリナのあの話って本当なの?」
「……ああ」
おそらく、カリナの退学の件のことだろう。
テオが頷いてみせると、イザベラは顔をそっぽに向けながらぼそぼそと呟く。
「先生から……その………………って言ってくれない?」
「ん、なんだ? よく聞き取れなかったが」
「だ、だからっ。その……先生から、辞めるなって言ってくれない?」
イザベラは下唇を噛みながらも、はっきりとそう言った。
テオは片眉をあげる。
「意外だな。てっきり嫌っていると思っていたが」
テオの記憶の限り、イザベラはカリナのことを少し敵視しているきらいがあった。
もっとも、カリナはまったく意に介してはいなかったが。
だからこそ、イザベラの言葉は予想外だった。
イザベラは頬を赤めながら言う。
「もちろん嫌いよ。どんな辛いときでも、こっちのことを上から気にかけて……あの余裕ぶった態度は、正直気に食わないわ」
「なら……」
「でも、それだけで割り切れるほど短い付き合いでもないわ」
イザベラは遠くを見つめる。
視線の先には、この《聖女の庭園》の象徴である綺麗な庭園が広がっていた。
「第七庭園には、最初二十名近くの同級生がいたわ。それは知ってるわよね?」
「……ああ」
第七庭園は、三年生だけの新設クラスだ。
イザベラたちはその二期生。
始まりは、校長・アネモネ=ブラックウッドが何らかの選考基準によって生徒たちを集めたこと。
テオ自身もアネモネから具体的な選考基準について教えてもらったことはない。
だが、なんとなくは察せられる。
世間では落ちこぼれや問題児と称された、されど何らかの才覚を持つ者たち。
たとえば、イザベラは名家である貴族家系出身だが、その中では落ちこぼれだった。
たとえば、シュエは精霊化という類稀なる才覚を持つものの、魔族だからという理由で煙たがれていた。
そんな生徒たちがかつては二十名ほどいたという。
「何が気に食わなかったのか知らないけど、別れの挨拶もなしにみんないなくなったわ。だから、残ったのは同級生には……まあ、それなりに思い入れもあるわ」
「カリナ、さん……わたしにも、優しく、してくれました」
同意するように、澄んだ声を発するシュエ。
「だからお願い、先生」
珍しく頭を下げてくるイザベラ。
その光景に、テオは微かに目を見開き。
そして、彼女に背を向けながら言う。
「安心しろ、最初からそのつもりだ」
「そう。なら、大丈夫ね」
「何故だ? 説得に失敗する可能性もあるかもしれないぞ」
「私たちの先生に限って、そんなことあるわけないでしょう」
ちらりと背後を一瞥すると、イザベラは笑顔をつくっていた。
「…………?」
テオが修練場を出ると、意外な人物が壁に背を預けながら待ち構えていた。
燃えるような赤髪。特徴的な鈍色の義手と義足。
聖女サルビアはくいっと手を動かしながら、笑顔とともに言ってくる。
「よっ、先生。ちょっと話さないか?」
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