第19話
孤児院の子どもたちが笑顔で歓声をあげながら走り回っている。地面には第九等級魔術の魔法陣が描かれ、淡い光で微かに光っていた。
魔力を注いだ時間だけ無害な光を放つだけの、極めて単純な魔術だ。
魔術に初めて触る際に、誰もが通るような基本中の基本。
イザベラとシュエがそれを教えてあげながら子供たちと交流している。子供たちは魔術が発動したことが嬉しいのか、何度も歓声を上げる。
「どうですか、先生」
カリナがいつの間にかテオの隣に立っていた。
きらきらとしたかけがえのない光景を見るように、カリナは目を細める。
「孤児院の子供たちには……魔術を勉強する機会が巡ってくることはほとんどありません。ましてや先生に直接教えてもらうなんて……一生の思い出になると思います」
「カリナは……ここに通っているのか?」
青空魔術教室の対象とした孤児院。
まさか無作為に選んだわけではあるまい。
ある種の予感をもって訊ねると、カリナはこくりと頷く。
「はい。授業と魔術の修練がない時間はなるべくここに来て、手伝うようにしています。私もここではありませんが孤児院出身ですから、なるべく力になりたくて……先生は、私の経歴はご存知ですよね?」
「ああ」
生徒の経歴は、教師には一通り共有されている。
それに、一周目のときは、カリナから話を聞いたこともあった。
カリナはとある災害に巻き込まれた。その際に、彼女の故郷と村の人々が全員死んでしまって孤児になってしまったと。
だが、カリナがこの場でその話を切り出したのは、それだけが理由ではないのだろう。
「先生はもう……この子たちがなぜ孤児になった聞きましたか?」
「ああ……魔王の《封印領域》の汚染に巻き込まれたと。さっき孤児院の院長先生からそう聞いたよ。お前と一緒なんだな」
「はい」
カリナは首肯する。
魔王。
その言葉には様々な意味が含まれる。
──彼こそが《魔王》テオ=プロテウスだ!
一周目、テオが死ぬ原因となった片眼鏡の男の言葉。あのとき、魔王という言葉は『巨悪』の意味で使われていた。
だが、別の意味で使われることもある。
魔族。
それは神を信仰しない者であり、別の神──魔神を信仰する者たちのことを指す言葉。
そんな魔族の王こそが《魔王》と呼ばれる。
言い伝えでは、百年前、各地で魔族の王たちが立ち上がったと言われている。
サンクティア王国を含む、神を信じる諸王国に逆らって。
魔王軍の、そして魔王の力は強大だった。
最も神に愛された者が《聖女》だと言うならば、魔王は魔神に愛された者たちだ。
つまり、聖女と同格の超越者。
神の恩恵を最大限に受けた最強クラスの魔術師。
原初の魔術師……いや魔法使いとも言うべき《選ばれし者》にすら届きうる人を超えた存在。
そんな魔王たちによって、サンクティア王国は瞬く間に窮地に陥ったという。
一時には、聖都にまで追い詰められたとか。
しかし、聖女リリィが現れてから全て変わった。
──神は、私に大いなる力を託されました。
神の代行者を名乗った彼女は、その大いなる力で全ての魔王を打ち払った。
それどころか、魔王を各地域に封印したのだ。
そして戦争が終結した。
少なくとも、教科書や書籍にはそう記載されている。
「聖女リリィによって魔王が封印された地域──それが《封印領域》。魔王を封印しても尚、その封印体から溢れ出る強大な力によって汚染された地域……あの子たちの故郷の村も、私の故郷はその近くにあったらしいです」
「らしい、か」
「はい。先生はこれもご存知だと思いますが……私には過去の記憶がありませんから。推定でしかないんです」
カリナは微笑を浮かべる。
その笑顔はどこか寂しそうだった。
だけれど──カリナには幼少期の頃の記憶がないのは事実だった。
一周目でその事実を知ったときには、とても驚いたことは今でも覚えている。
「魔王の力は強まっていると言われ、《封印領域》は稀にその領地を拡大させます。幼い私が住んでいたのはその近くの村であったみたいで……予想を超えた急拡大のせいで、一晩もかからず飲み込まれたようです。その影響で、私の記憶もなくなってしまいました」
カリナは遠くを見つめる。
その瞳には虚な光が映っていた。
魔王の《封印領域》は、そう簡単に踏み入れるような場所ではない。
魔王の力が色濃く残っているせいだ。
化け物じみた魔物が闊歩している地域、天災が常に発生している地域、中には時空すら捻じ曲がっている地域もあるらしい。
人間が無防備に入れば、廃人になることもあるという。幼いカリナが巻き込まれていたにもかかわらず、記憶を失う程度で済んだのはむしろ不幸中の幸いだ。
「……未だに《封印領域》の汚染で苦しんでいる人々はたくさんいます」
カリナはそっと囁くように、それでいてはっきりと言葉を紡ぐ。
「今はまだ顕著ではありませんが、二百年後には封印領域がサンクティアの八割を飲み込むとすら言われています。そのとき、誰がまっさきに犠牲になるか……先生はわかりますよね?」
わかる。
このサンクティア王国の中枢がどのように考えるかはテオは身を持って知っている。犠牲になるのはいつだって従わせやすい者、弱き者、そして子供たちだ。
未来の世界でサンクティア王国が戦争で窮地に陥った際、実力は確かにあったものの英雄と祭り上げ、テオの教え子たちを戦場に投入することを決断したのは、彼らだ。
「……そんな《封印領域》すら世界の問題の一つでしかありません。他にも色んな問題で苦しんでいる人は多くいます。そんな問題を解決できるのは、魔術しか……魔法のような奇跡しか有り得ません」
ちらり、とカリナが視線を向けてくる。
その眼差しは、真剣そのものだった。
「『魔術で苦しんでいる人を全て救う』……私が大言壮語を口にしていると、先生がそう思っていらっしゃるのはわかります。気に入らないのも理解できます。でも、魔術の可能性を信じているのは先生も同じではないのですか?」
「僕と?」
「先生は……先生こそ魔術の可能性を一番信じているはずです! 第四世代の魔術理論を創り上げ、魔術を発展させたのは他ならぬ先生ではないですか! たとえ魔術の資質がなくても、魔力さえあれば誰でも魔術を使える。そんな素晴らしい魔術を世界に普及にさせたのは、先生のはずです!」
カリナの背後では、子供たちが相変わらず魔術を使っている。
あの発動方法も第四世代の魔術理論だ。
遅ればせながらも、カリナが何故この青空教室にテオを連れてきたのか察する。
誰でも……たとえ魔術の素養がない孤児院の子供たちでさえ、魔術を利用することができる──そんな魔術の可能性を見せたのかったのだろう。
その魔術の可能性を見せれば、テオが魔術の素晴らしさを思い出すだろう、と。
「なのに、何故、先生は魔術が『人殺しの道具』と言って否定するのですか!」
珍しく、カリナは声を荒げていた。
テオはカリナの振る舞いの中に、幼い少年を幻視する。
その少年は純粋に心から魔術が好きだった。
魔術を発展させることが、みんなのためになると考えていた。
苦しんでいる人々を救える、と思っていた。
だが、その結末を、その少年はもう知っている。
『いや、いや……テオ……せんせい……わたし、死にたく、ない……』
戦場で聞いた少女の声が脳裏に蘇る。
第四世代の魔術が猛威を振るったのは、テオが教え子たちを失ったあの戦争だ。
魔力さえあれば、誰でも魔術を使えてしまう。
その利便性は、戦争の在り方すらも変えてしまった。
結果として生まれてしまったのは『弱き者の消費』だ。
子供たちが魔術爆弾を抱えさせられたまま、戦場に突っ込まされた。補給路を断たれたときには、多くの兵士が口減しのために無茶な突撃をさせられた。そして誰でも魔術を使えるという利便性は、その無謀な作戦で一定の成果をあげてしまった。
あの場所は、倫理もクソもない正真正銘の地獄だった。
そして、その地獄を作り出したのは、他ならぬテオだ。
あの子供たちを戦場に引きずり出して殺したのは、他ならぬテオだ。
カリナの夢を否定したいだけではない。
テオは心の底から言える。魔術は人を救う術理ではない。人殺しの道具だと。
そんな人殺しの道具では、全ては救えない。
ただ、限られた──大切な人間だけなら救えるかもしれない。
そうして、テオは目を瞑った。
それこそが、二周目のテオが選んだ道だ。
「僕が間違っていたからだ」
だから、テオは真っ向からカリナと自身を否定する。
「第四世代の魔術を普及させたのは間違いだった。あれは世に広めるべき魔術理論ではなかった。あんな子供でも魔術を使える……それこそが、僕が創り出した過ちだ」
カリナが愛おしそうに見ていた、孤児院の子供たちが魔術を使う光景。
あれこそが、テオが背負うべき罪の光景だ。
「理解していないなら、もう一度言おう。カリナ、お前が進もうとしてる道はただの夢物語だ。そして、その物語の結末には地獄しかない」
「そんなことは──」
「あるんだよ」
テオははっきりと言い放つ。
「魔術で苦しんでいる人を全て救う……それを追い求めた結果、どこに辿り着くかわかるか? より強力な魔術だ。そしてその強力な魔術は、いずれ人々を苦しめる」
たとえ、最初は人を救う魔術だったとしても、人々は悪用する方法を考える。
善だけの側面を持つ魔術なんて有り得ない。
一周目のテオは戦場に行くまで知らなかったが──第四世代の魔術理論が普及したことで、確実に治安は悪化した。
──ったく、テオ=プロテウス様様よね。
──私みたいに学がない冒険者でも、魔術が使えるようになっちまった。
シュエを襲った、あの女冒険者こそが良い例だろう。
「……それでも──それでも、私は魔術ならできると思います」
テオの言葉に、されど、カリナは怯むことはなかった。
端正な顔をあげて、真正面から直視してくる。
だけれど、テオと視線は交錯しない。
何がそこまで彼女を追い立てるのか、テオは一周目で知っている。
だから、これ以上の会話は無駄だ。
平行線のまま。お互いの主張が交わることはない。
──どちらかの主張が折れない限りは、だが。
と、そのとき。
「せ、先生! プロテウス先生……!」
テオとカリナがその声で顔を動かすと、一人の少女が慌てた様子で孤児院の敷地に入ってくるところだった。
少女はリリィ・ガーデンの制服を身に纏っていた。見覚えはないものの、あの学舎の生徒なのだろう。
もしかしたら、使いっ走りだろうか?
テオは他の教師に孤児院に行くことを事前に伝えている。リリィ・ガーデンに何か起こった場合には、呼び戻してほしいと言っている。
果たして──テオの予想通り、女子生徒は言う。
「あの、ブラックウッド校長先生からプロテウス先生を呼び戻すように言われて……そ、その、《聖女》サルビア=ルドベキア様がお見えのようですっ」
隣で、カリナが小さく息を呑んだ。
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