第18話


「……これから授業を始める」


 テオは困惑しながらもそう言葉を発した。


 青空の下だった。

 頭上を見上げれば、太陽がぎらぎらと輝いている。雲一つない快晴だ。


 振り返れば、移動式の黒板。

 普段授業で使っているリリィ・ガーデンのものと比べると、かなり小さい。長い間酷使されているのか、黒板はお世辞にも綺麗とは言い難い。



 そして前を向けば──幼い子供たちがずらりと並んでいた。

 年齢は初等部の生徒ぐらいだろうか。

 見た目はシュエよりも幼い。


 そんな子どもたちが二十人ほど地べたの上に座っている。


 いわゆる青空教室というものだった。

 クレストの街にある孤児院。そこの子どもたちに魔術を教えるために、テオはやってきたのだ。


 といっても、自ら望んでやってきたわけではない。

 原因は隣の──


「先生、どうされましたか?」


 そこで声をかけてきたのは、テオが孤児院で青空教室をすることになった原因──カリナだった。


 その奥には、イザベラとシュエ。二人ともついてきたのだ。



 ──それならば、私が先生に教えてあげます。魔術の素晴らしさに目覚めさせてみせますから。


 カリナにそんな宣言をされたのがつい数日前。

 そして今日、何も知らさせることなく、カリナに腕を引っ張られて孤児院前まで連れてこられ──今に至るというわけだった。


 どうやら、カリナが勝手に青空教室をセッティングしたらしい。


 もちろん最初は断ろうとした。


 だけれど、テオが断る素振りを見せると、目の前の子どもたちの目が一斉に曇った。どうやら魔術教室を楽しみにしていたらしい。テオとしては子供たちのことは知ったことではないが、まったく心が痛まないわけではない。


 というわけで、テオは一先ず教鞭をとることにしたのだが。


「…………」


 授業を始める前から、テオの一挙一足が子どもたちのキラキラした視線に見守られていた。

 興味津々。

 まるで何かを訊きたそうにしている。


 授業が始まってもいないのに訊きたいことなんてないように思えるのだが……子どもたちの視線を見れば、そうも言っていられない。


 テオはため息をつくと、仕方なく訊ねる。


「何か授業で訊きたいことがある者は挙手をしてくれ」

「…………」

「授業に関係なくてもいいから、訊きたいことがある者は挙手をしてくれ」

「「「はいはいはーい!!!!!」」」


 まるで音の爆弾が破裂したかのようだった。

 数十人の子どもたちが思いっきり挙手をしながら、声を上げている。中にはぴょんぴょん飛び跳ねている者もいるぐらいだ。


 だが、テオが指名するのすら待てなかったのか、子供たちは次々と勝手に発言していく。


「ねーねー、カリナお姉ちゃんとどういう関係?」

「先生と生徒ってほんと?」

「もしかして付き合ってる!?」

「結婚するの!?」


「「──────あ゙ぁ゙ん?」」


 そこで濁音混じりの声を発しながら威嚇したのは、イザベラとシュエだった。


 イザベラとシュエは、威圧的な、それでいてにこやかな笑顔をつくってみせる。


「いい、マセガキども。冗談でもそんなこと言っちゃ駄目よ。先生と結婚すると決まってるのは、私なんだから」


 決まっていない。

 そして冗談でもそんなこと言わないでほしい。

 捕まるだろう、僕が。


「そう、ですよ。冗談、駄目です。ふふっ……ほんと、最近の子は、マセて、ますね」


 いや、お前年齢あんまり変わらないだろう。

 見た目なんてほとんど一緒だ。


「じゃあ、先生も立候補しちゃおうかなー!」

 

 と、そのとき。

 子どもたちと一緒に混じりながら、手を挙げたのは孤児院の女性院長だった。


 確か名前は、ミモザだっただろうか。

 茶髪で、快活な笑顔がトレードマークの二十代後半の女性だ。

 そして何よりも特徴的なのが、母性の塊のような大きな胸。動くたびにゆっさゆっさ揺れている。生徒で一、二位を争うイザベラも「わ、私よりも大きい……」と恐れ慄いてるほどだ。


 ミモザは明るい笑顔とともに訊ねてくる。


「テオ先生は今付き合ってる人はいますか!もしよかったら、私と結婚を前提にお付き合いとかどうでしょう!」

 

 フルスイングのようなまさかの申し出に、子供たちはきゃー!と歓声をあげる。再び破裂する音の爆弾。

 と、同時に。


 ──ぞくっ、と戦場でも滅多に感じたことがない悪寒が背中に走り抜けた。


 反射的に横を見ると、イザベラは怒りで頬を引き攣らせながら、シュエは病んだ瞳でぶつぶつと呟いている。


「やってくれんじゃない、あの女……!でも、大丈夫よ、イザベラ。相手が格上であろうと容赦なく戦えって先生に教えられたじゃない……!そう、今がその時よ……!」


「ふ、ふふっ……死んじゃえ、死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ死んじゃえ」

 

「…………」


 テオはそっと目をそらし、雲一つない空を見上げる。

 ああ、いつも通り嫌味なほど快晴だ。


「……あの、授業は」


 カリナの寂しそうな声は、誰にも届かなかった。




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