第17話
「ねーねー、最近──先生、モモたちにちょっと酷くない?」
食堂。
朝食の時間帯に、桃色髪の少女──モモ・オルレアンが不意にそう切り出してきた。
カリナは顔をあげる。
すると、視界に映るのはまるで御伽話のような光景だった。
ドールハウス、とでも言えばいいのだろうか。
神官を思わせる純白の制服で着飾った乙女たちが、華美な長机の前に座っている。
一つずつにこだわりが窺える食器が並べられ、ちょこんと美味しそうな料理が彩られている。食堂のあちこちには綺麗な花が飾られていた。花弁は瑞々しく、萎れているものは一つとしてない。
塵など汚らしいものが何もない──完璧な箱庭。
ここは
第七庭園は、数年前に新設された特別なクラスだ。
年齢不問。
魔術的素養が優れていれば、その他の経歴も不問。
校長、アネモネ=ブラックウッドのそんな喧伝のもと集まってきた──あるいは集められた生徒たちは、曰くつきの問題児ばかりだ。かくいうカリナ自身にも曰くはある。
だが、集まるほどのメリットはあった。
腐っても、あの聖女リリィが創立した伝統的な魔術の学舎だ。
それどころか、学費無料等、授業に関連する支出はすべて庭園負担。第七庭園の生徒たちは必ず寮に住む必要があるものの、それすらも貧しい家庭環境にあった生徒たちにとっては夢のような話だ。
その寮こそが、この女子寮だ。
カリナたちは第七庭園の二期生であり、三期生は今のところ募集されていない。そんな二期生も最初は数十名ほどいたが──この女子寮はそんな生徒たちが全員暮らせるだけの広さがあった。
もっとも、二期生のほとんどはカリナたちに何も言わずにやめていったので、残りは八人しかいないのだが。
──そんな女子寮の食堂に、今は四人の生徒たちが集まっていた。
イザベラ、シュエ、カリナ、そしてモモだ。
他の生徒は未だ自室で疲れを取っているのだろう。昨日はテオに加えて、魔力が枯渇した状態で小鬼と戦ったのだ。回復魔術で綺麗に傷は治っているものの、疲労度合いは普段の比じゃない。
そんな状況の中、モモは普段通りに朝食に現れていた。
カリナから見る限り、モモはイザベラとは異なるタイプのお嬢様だ。
天真爛漫な感情も、不平不満な思いも、すべてを顔に出す少女である。
見た目とはいえば、桃色髪で頭の上に二つ団子をつくっているのが特徴的だ。 《聖女の庭園》の制服も勝手に改造して、フリルがたくさんあしらってある。
カリナの勝手な印象でしかないが──決して悪い意味ではなく──砂糖いっぱいのお菓子の上に、クリームをのっけたような甘く甘える少女。
それが、モモ=オルレアンだ。
そんなモモが頬をぷくーっと膨らませる。
「昨日の授業なんて、もう少しでモモたち死ぬところだったじゃん? カリナちゃんが頑張ってくれたから、何とか帰れたけどー。でも、カリナちゃんなんてあちこちに骨が折れちゃったんだよ? 全部、先生のせいじゃん!」
ね、と同意を求めるように視線を向けてくるモモ。
だが、モモの言葉はあながち間違いでもなかった。
昨日の授業──カリナたちは確かに死にかけた。なにせテオに蹂躙され、魔力が枯渇したところに、小鬼とも殺し合う羽目になったのだ。
運がなければ危うかった瞬間も幾つもあった。
それでも、何とか全身の骨折程度で済んだのは、最後まで立っていたカリナも含めて、全員が鬼気迫る戦いを繰り広げることができたからだろう。
そして同時に思う。
あのテオの授業は一線を越えていたと。
「何が言いたいのよ、モモ」
そこで口を挟んできたのは、イザベラだった。
イザベラは美しい所作でナイフとフォークを使いながら、朝食を口元に運んでいた。
彼女がちらりと向ける視線に、モモは無邪気な笑顔で答える。
「だからさ、先生、追い出しちゃわない?」
「は……?」
「だって、嫌でしょ? モモは嫌だなぁー。あんな授業を続けられたらずっと頑張んなきゃだし。そもそも意味わからなくない? あのアネモネ=ブラックウッド先生が創った新設クラス──そこで、三年間辞めさせられることなく卒業できたら、悠々自適な生活が待ってるんだよ?」
「つまり、あんたが楽をするために、先生を追い出すって言ってるわけ?」
「そう☆ それに、あの先生──正直ちょっとウザくない?」
モモの砂糖をたっぷりまぶした笑顔の中に、暗い瞳が浮かぶ。
そんなモモの言葉に、真っ向から否定したのもイザベラだった。
「私は反対ね」
はっきりと言い放って、イザベラはモモに鋭い視線を向ける。
「先生は私たちのことを考えてくれてるわ。先生が弛んでいるといえばその通りなのよ。私たちの魔術の腕が足りてないから、指導が厳しいだけよ」
「えー、イザベラちゃん、先生のことちょっと信じすぎじゃない? まだ二ヶ月なんだよ? モモの勘では、あの先生ぜーったい何か隠してるし!」
「期間は関係ないわ。それに何か隠していたとしても、それでもいい。私は先生を信じているもの」
「わたしも、先生、追い出すの、反対、です」
「うわー、シュエちゃんも? まあ、でも、最近二人とも怪しいもんねー。妙に先生と一緒にいるというか。もしかして先生とヤっちゃった?」
「────は?」
モモの煽り言葉に、イザベラはこめかみに青筋が浮かばせた。
一触即発の空気。
カリナは思わず立ち上がって場を収めようとする。
だが、それより早く、イザベラが口を開いた。
「あんたね──」
「うわっ、図星☆ モモ、すごいこと聞いちゃった! さっすが、恋の百戦錬磨のモモの勘! これは一大ニュースに──」
「──そう簡単に先生とヤレたら、こんなに苦労してないわよ!」
「…………え?」
モモが本気で困惑した表情を見せる。
だが、イザベラでは真剣な顔をしており、隣ではシュエが同意するようにこくこくに頷いていた。
カリナは馬鹿馬鹿しくなり席に座る。
されど、モモは未だ状況が理解できていないのだろう。
砂糖をまぶしたような甘い笑顔で固まったまま、訊ねる。
「……え、えーっと、何言ってるの、イザベラちゃん?」
「言葉通りよ! 私が、あの先生と一緒になるためにどれだけ苦労していることか! この間なんて、勝手にベッドに裸で潜り込んでたら、いきなり氷漬けにされたんだから!」
「あっ、そういえば、この間、先生の部屋に、侵入したとき、不審者、いたので、氷漬けに、しちゃい、ました」
「犯人、まさかのあんたなの!?」
侵入者同士の、奇跡のコラボが起きていた。
カリナが呆れていると、モモも同様の感情を抱いたのかさっと笑顔を消す。
「……なーんか、モモ冷めちゃった。先生の件はいったんいいや。でも、最後に聞かせて。カリナちゃんはどっち側なの?」
「え……私は」
三人の視線が向けられる。
カリナは急に注目を集めてたじろぐ。
だが、テオのやり方を認められるか。
その答えは自分のなかでとうに決まっていた。
カリナははっきりと言い放つ。
「私は──」
◇ ◇ ◇
「先生、ちょっといいでしょうか」
テオに割り当てられた教職員用の自室。
授業の準備をしていると、カリナが不意に部屋に入ってきた。
その表情は真剣そのもの。
カリナの顔つきで彼女の用件はおおよそ察せられた。
テオが手をひらひらと振って問題ない旨を示すと、カリナは真面目な面持ちのまま口を開く。
「昨日の授業のことですが……やはり、あれはやりすぎじゃないでしょうか?」
──やはり、それか。
想像通りの言葉に、テオは内心で静かに呟く。
昨日。テオは生徒たちに戦闘訓練と称して徹底的に蹂躙した。
もちろん、虫の居所が悪かった、などという感情によるものではない。生徒を──カリナを生き残らせるために必要なステップだったからだ。
当然、反発は覚悟していた。
魔術で、苦しんでいる人々を救う。そんな夢を掲げている彼女が、他の生徒たちが苦しんでいる状況を見過ごせるわけがない。
だから、カリナの来訪は予期していたのだが。
続けられた彼女の台詞は、少し予想していたものと違った。
「もしかして、私の……せいでしょうか?」
「ん?」
「私の『魔術で、苦しんでいる人々を救う』……その夢が気に入らないから、こんな授業を続けているのでしょうか?始業式のあの日……先生が質問してきたことに関係ありますか?」
始業式の日、テオがした質問といえばあれのことだろう。
──そういえば、カリナ。君は……『魔術で苦しむ人々をすべて救う』のが夢だったね。
──君はその『夢』と『生』を天秤にかけたとき、どちらを選ぶ?
あのときのカリナの返答はもちろん覚えている。
夢を選ぶ──己の命を捨てるとそう答えたのだ。
そして、カリナはそのせいで今の授業が行われていると考えているのだろう。
もちろん、テオが生き残るための授業を続けているのはカリナの夢を否定するだけではない。
だけれど。
テオは敢えて挑発するように言ってみせる。
「だとしたら?」
「それ、は……!」
「この際だからはっきり言っておこう。『魔術で、苦しんでいる人々を救う』。そんな夢は不可能だ」
はっきりそう宣言した瞬間、カリナの顔が歪められた。
同時にかつての自分の台詞が脳内で蘇る。
それでも、テオは続ける。
──君の道は険しいかもしれないけど、僕は応援してる。
「カリナ、お前が進もうとしてる道はただの夢物語だ。はっきり言って反吐が出る」
──ああ、そうだ。魔術は『人殺しの道具』じゃない。『人を救うための術理』だ。
「面と向かって言われずともわかっているだろう。魔術は『人殺しの道具』だ。『人を救うための術理』なんかじゃない」
──その心はずっと持っていてほしい。
「理解できたのならその夢はさっさと捨てろ。なんの得にもなりはしない」
カリナの夢を──かつての自分の言葉を否定する。
カリナは未来では《聖女リリィの再来》とも言われる実力者になる。
だが、その夢のせいで──魔術で誰も殺さないという縛りのせいで、彼女自身が死んでしまった。
もし、彼女が魔術で人を殺すことを許容できることになれば運命は大きく変わるはずだ。
だから、否定する。
彼女の夢も。
かつての自分自身の言葉も。
しかし──
「わかりました」
カリナは口ではそう言いつつも、目は明らかに死んでいなかった。
「先生が私の夢が気に入らないから、私たちに厳しい指導をしていることは理解しました」
「──それならば、私が先生に教えてあげます。魔術の素晴らしさに目覚めさせてみせますから」
「………………………………はい?」
予想外の展開に、テオは思わず呆然とした声を漏らした。
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