第16話
カリナ=ルドベキアにとって、テオは厳しくも優しい教師だった。
担当は魔術学にもかかわらず、最初の授業は走り込みで、魔術には触らせてもらえなかった。
魔術の座学が始まってからも、戦いと関わりがある魔術知識ばかりを教えている。
精霊魔術の優位性、効率的な魔力運用、魔術を用いた隠密行動から、悪天候下における行軍演習まで。少なくとも、これまで教わってきた魔術学とは毛色が違う。
テオも、いつも冷淡な態度で、気安く話しかけることも難しい。
カリナも何度か昼食に誘ってみたものの、断られることが大半だ。自分たちは嫌われているのかと疑ったこともある。
だが、テオの授業自体は真摯そのものだった。
手を抜くことは一切ない。
本来は理解することすら困難であるはずの魔術理論が、丁寧に噛み砕かれ、血肉となっていることを日々実感する。あれほどの授業をするために、いったいどれほどの事前準備をしているのか想像もできない。
テオが自分たちが嫌いならば、ただの教え子相手にそこまでしないだろう。
さっと流して終わり。
実際、カリナは過去にそんな定型ばかりの教師に出会ったこともある。
──そんなテオの振る舞いを、カリナは優しさだと捉えていた。
厳しいが、生徒のことを本気で想っている教師。
何故、戦いばかりを前提としているのかわからないが、それもきっと優しさ故だと。
だから、油断していたのだ。
テオがあんな凶行に及ぶなんて思ってもいなかった。
「甘いよ、お前ら」
鬱蒼とした森。
テオは冷徹な視線でこちらを見下ろしてきていた。
カリナはといえば、地面に突っ伏して荒い呼吸を繰り返していた。魔術的防護がかかっているはずの制服はボロボロ。魔力も枯渇しており、立ち上がることすら困難だ。
──そんな生徒が他に七人ほど転がっていた。
誰一人として起き上がることはできない。
苦悶の声すら聞こえる。
だけれど、そんな光景を作り出した張本人である教師は、周囲の木々に印をつけながら魔術を新たに構築するばかりで、生徒たちに手を差し出そうともしない。
「手を抜いているのが、僕にバレないとでも思ったのか? 漫然と授業をこなし始めたのが、隠し通せるとでも?」
始まりは突然だった。
森での課外演習中。テオは「お前ら構えろ」と一言だけ警告したあと、第七庭園の生徒たちを襲った。
最初は冗談にしか思えなかった。
いつもの戦闘訓練なのだろう、と甘く考えていた。
──だけれど、テオの圧倒的な強さの前に蹂躙され、その考えもすぐに変わった。
テオが自分が殺すことはないだろう。
理性ではそう確信していてさえ、恐怖で本能的に身体が震える。
「ッ」
カリナは何とか踏ん張って起きあがろうとする。
だけれど、直後、テオの足がカリナの頭を踏みつけた。
土が口の中に入ってくる。草の匂い、どうしようもない不快感が脳を侵食する。
カリナは腕に力をこめながら、必死に抵抗しながら顔をあげようとするが、かろうじて視界の端に映ったのは、ぞっとするほど温かみを感じさせないテオの表情だった。
「そういえば、カリナ……お前の夢は『魔術で、苦しんでいる人を救う』だったな」
「それ、がッ……今、何の関係が……ッ!」
「いや、笑えるなと思ってな。魔術で、苦しんでいる人を救う。さぞ素晴らしい夢だ」
「でも──今、お前は僕から誰も守れてないぞ?」
冷ややかな視線。
口元には嘲笑うような笑み。
カリナがテオの振る舞いを観察できたのは、そこまでだった。
瞬間──目の前の世界が爆発した。
爆風で視界が覆われる。
だけれど、カリナたちを襲ったのはそれだけではなかった。
──落ちて、るッ!
足元の地面が崩落したのだと気づいたときには、もう遅かった。
落下しながら何とか眼下に視線を向けると、視界にはごつごつとした岩肌が形成する広大な空間が映る。カリナたちが転がっていた地面の下には、広大な洞窟があったのだ。
「《術式解放:──」
僅かに残った魔力を掻き集め、カリナは防護魔術を唱えながら着地に備える。これも、テオの訓練の賜物だ。
果たして──数瞬後、カリナは洞窟の地面に叩きつけられた。
肺腑から空気から押し出され、一瞬だけ呼吸ができなくなる。
それでも、カリナは痛みで悲鳴をあげる身体で立ち上がる。周囲の生徒も最後の魔力を使って同様に防護魔術を展開し、衝撃を凌いだようだった。
「──いったい、何を……考えているの、ですか!」
カリナは温厚な性格だ。
だが、どんな理不尽にも何もを言わないわけではない。己が曲がっていると感じたことに対しては、しっかりと抗議をする。
それがたとえ、格上の存在──教師であろうと関係ない。
弱き民を守るために、強き権力者に抗う。
それこそが、カリナが目指す『聖女』の在り方なのだから。
カリナは抗議のため、頭上にいるはずのテオへと視線を上げようとし。
──そこで、洞窟の奥から『何か』が近づいてくることに気づいた。
それは、魔物だった。
緑色の肌。醜い顔立ち。手には錆びた剣や棍棒。小鬼と呼ばれるモンスターだ。
それが、全部で群れをなしており、数は視界に映るだけでざっと数十以上。
魔力があれば、決して強い相手ではない。
だけれど、魔力はテオとの戦いでガス欠状態に近い。魔力消費量が極めて少ない第九等級魔術すら一回放てるか怪しい。
「残念ながら、僕は優しいからな。これ以上、お前らを傷つけるのは忍びない」
テオは頭上から洞窟を見下ろしてきながら、小さく笑ってみせる。
「だから、代わりにそいつらにやってもらうことにしたよ。突然、住処が爆破されて気も立ってるだろうし、ちょうどいい相手だろう?」
小鬼は殺気を放っていた。
傷だらけの、抵抗もできない小娘が八人。自分の住処が襲われたところに、放り込まれた自分たちは、ちょうどいい怒りの吐け口以外の何に見えるのだろうか。
「さて、カリナ。夢の通りに、こいつらから仲間を守れるといいな」
テオの嘲笑の言葉が振ってくる。
その声の温度で、カリナは悟る。ああ、あの教師は本当に助けてくれるつもりはないのだと。
カリナは奥歯をぎりっと噛み締める。
「ッ」
次の瞬間、小鬼が襲ってくるのと同時に、カリナも前へと駆け出し始めた。
苦しんでいる人を全て救う。
そんな自らの夢のために。
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