カリナ=ルドベキア

第15話(プロローグ)


 魔族狩りの事件から既に半月が経とうとしていた。

 幸いと、大きな問題は起きていない。……起きていないと思いたい。きっと起きていないだろう。


 だが、一部の想定外さえ除けば、テオの計画はここまで概ね想定通りではあった。

 大筋は一周目と変わらない。


 だからこそ、あの悲劇を回避するために、テオは新たな行動を取る必要があった。


「…………」


 聖女の庭園リリィ・ガーデン

 教職員寮、テオの自室。


 教師には仕事用とは別に、私用に一室与えられることになっている。

 テオも例に漏れず、その特権を行使していたのだが。


 自室は見渡す限り本で埋め尽くされていた。

 部屋の壁のほとんど全てに本棚が設置されて、本が詰められている。

 だが、これでも、元々いた研究室からリリィ・ガーデンに赴任する際にかなり厳選して持ってきている方だ。


 壁の本棚から一冊取ると、テオは別の本棚へ移動させる。

 すると──


 がこん。

 本を嵌め込んだだけでは響くはずのない重低音とともに、本棚がスライドして動き始めた。現れるのは、地下への階段。


 魔術師は論文などで自身の魔術研究を公開する。

 それは、魔術の発展のためだ。


 だが、全てを公開しているわけではない。


 特に研究中の成果や、凄まじい結果を残したとしても秘匿する魔術師もいる。

 そして、その場合は一目では気づかないような場所に隠したりする。魔術を秘匿するための専用の魔術すら開発されているほどだ。

 テオも自身の隠し部屋を自室に勝手につくっていた。


 こつこつ、と。

 地下の階段を降りていくと、やがてこじんまりとした部屋が見えてくる。

 その部屋は書類で埋め尽くされていたが、最近作られたスペースがあった。


 鉄格子が嵌められた小さな空間。

 牢屋としか思えない場所に、一人の女性が寝転んでいた。


 顔はぼろぼろ。特にお腹周りが酷かった。無理やり別の肉を縫合したかのように、傷口と思わしき箇所の肌は変色している。


 その女性はテオが見下ろしていることに気づくと、顔をこちらに向けてくる。


「ちょっとは同僚を労る気はないんですかー? ねぇ、テオ=プロテウス先生」

「もう同僚ではないだろう、


 いひっ、と。デイジーは笑顔のまま起き上がった。


 そう。

 デイジーは、テオが勝手に増設した地下の空間に押し込められていた。


 騎士団には冒険者の女の死体を偽造して渡したのだ。

 幸い、森ではシュエが大暴れしてくれたおかげで、騎士団には死体の損傷が激しかったことにできた。騎士団に渡した死体は、顔の判別すらできないはずだ。たとえ、冒険者の女の死体でも気づくはずもない。


 デイジーはくんくんと鼻を鳴らす。

 やがて、テオが料理が乗せられたプレートを手にしているのを確認すると、ほれほれと手招きしてくる。


「いいもの持ってるじゃないですかー。くださいよ、先生」

「随分と余裕だな」

「そりゃあ余裕ですよー。私は死ぬところでしたからねぇ。なのに、生かされたってことは私に何らかの利用価値があるってことじゃないですかー。なら、余裕も生まれるってもんですよ」

「僕と交渉できるとでも? 場合によっては殺してもいいんだが」


 テオは宣言とともに高速で魔術を放つ。

 すぱっ、と。鋭利な刃物が空間を通り抜けたかのように、デイジーの額が裂かれる。


 しかし、デイジーは顔の半分を血で汚しながらも、へらへらと笑っていた。


「いやいやいや、そんなつもりあるわけないじゃないですかー。先生のペットとして、そりゃあもう身も心も捧げるつもりですよ? 『お手』から、『おすわり』まで、どんな芸だってやってみせますし。なんなら、生徒に向けられない欲望をぶつけられちゃうペットになってもいいんですよ?」


 誘惑するように四つん這いになりながら、デイジーは胸元の服のボタンを外して、ちらりと谷間を見せつけてくる。

 テオはその光景を冷ややかに見下ろす。


「そうか。じゃあ、まずは『待て』からだな。ご飯は一生お預けだ」

「じょ、冗談ですってば! もう三日もご飯食べてないんですよー!」


 慌てた様子で、鉄格子に擦り寄ってくるデイジー。

 その目は、ずっと料理に向けられている。


 よっぽど空腹なのだろう。

 デイジーの目の前に料理を置くと、凄まじい速さでプレートを掻っ攫っていった。がつがつと、あっという間に食べていく。


「──それで、先生は私に何をして欲しいんですか?」


 一先ずは満足したのか料理を平らげた後、デイジーは顔をあげる。


「私が生きてたら、先生、大変なことになっちゃうんじゃないですかー? だって当然死んだことになってますよね? それでも、私を生かしたということは、よっぽど何かして欲しいんですよね? もしかして誰か殺して欲しい人とかいます?」

「いや。お前に求めるのは魔術の知識だ」

「……は? 知識?」


 ぽかーんとした表情を浮かべた後、デイジーは高笑いをあげる。


「い、いひひ、いひひひひひ! 知識! 知識ときましたか! 現代魔術の天才とまで言われる先生が、私に知識を求める? こんなに面白いことったらないですねー! 自分が何を言っているかわかってるんですかー?」

「ああ、わかっているつもりだ」

「なら、答えもわかるでしょう。──嫌だねッ!」


 直後、デイジーは嫌悪の感情を露わにすると叫ぶ。


「どうせ、あれですよねー。先生が欲しいのは、私の魔術の《秘匿情報》でしょう。それを渡せと? 私という人生の生き様を? その全てを? そんな魔術師がどこにいるんですかー?」


 そう。これもデイジーの言う通りだった。

 

 多くの魔術師が自身の命を懸けても守りたいもの。

 それが魔術師としての生き様であり、魔術の研究結果だ。


 特に、代々続く魔術師の家系ほどその傾向がある。その場合であれば魔術の研究結果とは、魔術師一人ではなく、家の歴史そのものに該当するからだ。


 だから、デイジーの反応も予想通りではあったが──


「──と、まあ、普通の魔術師ならば言うんでしょうね」


 突然、デイジーは表情を元に戻すと肩を竦めた。

 テオが不審げに眉をひそめるなか、デイジーはにやりと笑ってみせる。


「教えてもいいですよー、条件次第ですけど。私は別に家の魔術を背負ってるとかじゃないですし。そもそも、私自身に大きく依存する魔術ですし」

「条件とは?」

「なんでこんなことをするんですかー?」


 デイジーが顔を覗き込んでくる。

 顔は笑っていたが、その目は笑うことなく油断なくこちらを窺っていた。


「私に魔術を聞いてまで何をしたいんですか? あっ、嘘はなしですよー。もし嘘をつくなら、この話はなしです。私、嘘には敏感なんですよねー」


 本当に嘘を見破れる確信があるのか、あるいははったりなのか。

 いずれなのか、テオにはわからない。

 だからこそ、テオは胸の内を語る。


「……二週間後、リリィ・ガーデンが襲われる。だから、その対策をしておきたい」

「……へぇー」


 果たして興味を引くことには成功したのか、デイジーは口角をより持ち上げる。


「面白い話じゃないですかー。では、詳しく聞かせてもらいましょうか」


 顔には、歪な笑顔が張り付いていた。






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