第13-3話

「──シュエ、お前が望んだ《願い》は本当にそれか?」


 シュエが生を諦めたその瞬間。

 聞き慣れた、されど、こんな場所にいるはずがない教師の声が響いた。



 ……え?

 シュエは疲れ切った顔で、周囲を見回す。

 だが、やはり姿は見えない。

 それでも、テオの声は響き続ける。

 

「本当に全て終わりにしたいのか? 本当に何も見たくないのか。本当にずっとそこに蹲ったままでいいのか?」


 シュエはテオの姿を幻視した。

 冷徹な瞳で、こちらを見下ろしている教師の姿を。


。だって、お前は僕に言ったじゃないか。戦えるようになりたいと。何もできない自分を変えたいと。それがお前の本当の願いじゃないのか?」


 そうだ。

 それが、シュエの願いだった。

 戦えない自分が嫌で。

 母が目の前で死んでいくのを見ているしかできなかった自分が嫌で。

 そんな自分を変えたかった。



「……でも、わたしには……無理、です」


 

 だって、今も目の前で魔族の女性が死んでいくのを見ているしかできない。

 戦わず、懇願するしかできない。


 そんなシュエが戦えるようになるなんて──



「──だからといって諦めるのか? また『殻』に閉じこもるのか?」



「もううんざりするほど味わっただろう、辛いことは。お前が『殻』に閉じこもって世界を見ないふりをしても、世界はお前に干渉し続けるんだ。最初から無理なんだよ、世界と関わらないという選択は。世界はお前の目の前に広がっているんだから」



「生きる以上、痛みはそこにある。誰も傷つけたくないなんて──自分が傷つきたくないなんて、生きる以上不可能だ」



「ならば──どうすればいいかもうわかるだろう?」



「勝ち取れ。叩き潰せ。お前が願う未来を手にいれるために、戦え」




「──。お前はいつまで蹲ったまま、戦わないつもりだ? さあ、立ち上がりお前の想いを吐き出してみせろ!」





「…………………………ああ」


 世界への諦観を吐き出すように、シュエは声を漏らしながら立ち上がった。


 目の前で、デイジーが驚いたように目を見開いている。

 もしかしたら、何かしらの魔術のせいか、先程の『声』はデイジーには聞こえてなかったかもしれない。


 だが、もうそんなことはどうでも良かった。


 親の形見も、守ってくれる精霊も失った今、テオの『声』だけがシュエの支えだった。 

 いったい、いつから? 

 何故、今のタイミングで?


 そんな疑問すら、今のシュエにとっては些事だ。

 テオの『声』に、テオの『言葉』に縋って、シュエは顔をあげる。


 確かに、テオの言う通りだった。


 世界はそこにある。

 見ないふりをしても、どうしようもなく残酷な世界は目の前にある。

 ならば、『殻』に閉じ籠って仕方がない。


 ──戦えッ。


 シュエの本能が叫んだ。

 目の前のデイジーの姿が、かつて自分を襲ってきた『正義』に溢れた村人と重なる。

 そんな彼女に、彼らに、シュエは想いを吐き捨てる。


「──死んじゃ、え」


 自分を虐めてくるならば。

 自分の邪魔をするならば。

 自分を放ってくれないならば。


「──ぜんぶ、ぜんぶ、死んじゃえ!」


 瞬間、シュエから力の嵐が吹き荒れた。


 空中に無数の水滴が現れる。直後、水滴はシュエの周囲を回転して『殻』を作り出したかと思いきや、徐々に氷へと変貌していく。更に『殻』は変化していくと、腕と足を作り出した。


 シュエの小柄な体躯を覆うようにして、『殻』を背負った巨大な氷の獣が現れる。

 まるで氷の亀が立ち上がったようにも見えなくもない。


 デイジーは笑みを引き攣らせながら、その光景を見て後退する。


「なんです、それ? だって、私、精霊を殺したんですよ? なんで力が使えてるんですか?」


 精霊魔術師を封じるならば、精霊を封じる。

 それが、魔術師の常識だ。

 何故ならば、精霊魔術師は精霊がいなければ力が使えないも同然だからだ。


 だが──正確に言えば、シュエは精霊魔術は使えるが、精霊魔術師ではない。


《ゲーちゃん》と呼んでいた小さな怪獣の精霊も、ただシュエの力の一部を与えていたにすぎない。母がいつかプレゼントしてくれたぬいぐるみに力を与えていただけだ。本当に自分を守ってもらうために。


 だって、──使


 シュエは精霊が混じった《先祖返り》の魔族。

 シュエ自身の一部がそもそも精霊。

 それが、アネモネが、テオが、母が特別だと評していた理由なのだから。


 シュエが宿す精霊は水神とすら扱われた存在。

 ──等外魔術・精霊術式エクストラ:霊獣玄武。

 それが、シュエの力の正体だ。


「ッ」


 デイジーは地を蹴ると距離を取った。

 魔力を熾すと同時に、腕をこちらに向ける。それは魔術発動の宣告だ。


 デイジーは初めて本気の魔術を放とうと、第四世代の魔術を選択する。


「術式解放:《陽光巨フレア──」

「──《霊獣玄武・氷龍咆哮アイスブレス》」


 確実に、デイジーの方が早く魔術を唱えていたはずだった。

 魔力の熾し方も、解放工程も、何もかもの技量がデイジーの方が上手だった。


 


 それが、精霊魔術の優位性。

 人間の術式処理能力を含む魔術基盤より、精霊の魔術基盤の方が高機能で高精度。

 精霊と人間では、決定的に格が違う。


 シュエの精霊化した口の前に、凄まじい冷気が収束していく。


 刹那。


 ──轟ッッッッッと、冷気のエネルギーが宙を駆け抜けた。


 森の木々や地面を抉りながら、その閃光は虚空へと消えていく。

 その一撃は、デイジーの横を掠めるだけで直撃しなかった。


 だが、その余波だけで、デイジーの片頬は氷で覆われ、森は銀世界に変貌していた。

 それどころか、その足も地面に凍りついていて。


「足、が……ッ」


 デイジーは氷で地面に固められた足を必死に抜こうとする。

 だが、その間隙は、今のシュエを前にしては致命的な隙だった。


 何かに気づいたのか、デイジーはハッと顔を上げる。

 だが、そのときにはもう遅かった。


「──死んじゃ、え!」


 シュエの魔術の腕が、デイジーの顔を捉える。

 その風圧で、氷が地面に剥がれ──デイジーは森の中へと吹っ飛んでいった。












「──あ……ガ……ッ!」


 デイジーは押し潰された肺に必死に空気を取り込もうと、何度も地面に向かいながら呼吸を繰り返す。


 シュエに全力で殴られたせいで顔は腫れ、身体中が傷だらけだった。

 ただ殴られただけで、シュエの姿が見えなくなるほど吹っ飛ばされてしまった。


 たった一撃の交錯。

 それだけで彼我の実力差を思い知った。


 あんな化け物に真っ向から勝てるはずもない。


 だからこそ、デイジーは何とか立ち上がるとシュエがいない方向へと走り出した。


「い、いひひ……でも、次は必ず……捌いて、みせますからねー……」


 デイジーの目は淡く輝いていた。

 生まれつき、デイジーの目は特別だった。


 いわゆる、魔眼と呼ばれるものだ。

 その特異性に気づいたのは、幼い頃に魔族の死体を初めて見たときだろうか。


 父親は貴族家系で、魔族の男を奴隷にしていた。

 ある日、その魔族の男が父親が大事にしていた皿を割ってしまったのだ。


 たったそれだけのこと。

 だが、父親は当然のように魔族をその場で殺してみせた。


 デイジーはそのとき偶然にも見てしまったのだ。魔族の腹から術式の光が溢れているところを。

 まるで夜の星空のようなその光景に、デイジーは虜になってしまった。


 そして、その目から見て──シュエ=アマリリスは極上の獲物だった。


 まず精霊化したシュエは全身すら輝いて見えていた。

 あれほどの魔術を構築する術式。

 さぞ綺麗に違いない。


 デイジーは全身に激痛がはしりながらも、笑いが止まらなかった。


 そう。

 命さえあれば終わりではない。


 教師はもう無理だろうが、シュエに近づく方法ならまだある。長い目で見守り、一瞬の隙を見せたときにまた襲えば──


「ッ」


 そのとき。

 不意に背中に悪寒が走り、本能がけたたましく警鐘を鳴らした。


 反射的に防御魔術を展開する。


 次の瞬間、防御魔術として眼前に展開された魔法陣に、強烈な魔術が叩きつけられた。


「────が、アッ!」


 衝撃を殺せず、吹っ飛ばされ、デイジーは地面の上を転がっていく。

 ちかちかと明滅する視界のなか、顔を上げると、目の前には黒衣の魔術師が立っていた。


 それも、よく知っている顔だ。

 デイジーはぎりっと奥歯を鳴らしながら、言い放つ。


「なんで、こんなところにいるんですかねぇ……」






「──ねぇ、テオ=プロテウス先生」


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