第13-4話


「なんで、こんなところにいるんですか……ねぇ、テオ=プロテウス先生」


 闇夜の森の中。

 テオがゆるりと視線をやると、デイジーは警戒するように短剣を構えていた。


 テオは、先程までの戦いを当然のように見ていた。

 もっとも、魔術で姿を隠しながら、だが。


 デイジーの武器は、シュエの怪獣の精霊を殺した《精霊殺しの剣》だ。

 現代魔術の天才、と評されるテオですらそんな魔術は知らない。

 ということは、デイジーの固有魔術なのだろう。


 テオは剣を一瞥しながら、淡々と答える。


「僕の教え子をあえて襲わせたんだ。不測の事態に備えておくのは当然だろう?」

「あえて? 色々言いたいことはありますけど……まさか全部、計画のうちとかでも言うつもりですかー?」

「ああ、そう言ってるつもりだ。唯一計画外だったのは、お前が早々にシュエから逃げたことぐらいか。そのせいで、僕が対処する羽目になった」

「へぇ……言ってくれるじゃないですか、学者風情が」


 デイジーは片頬だけ持ち上げて笑ってみせる。


「なら、その仮定が事実として。私が生徒を襲うところを静かに眺めてたってことですかー? イカれてんじゃないですか?」

「お前に言われたくはないな、《魔族狩り》」

「いひっ、それも知ってるんですねー。本当に見てたってわけですかー?」


 デイジーは歪な笑顔を浮かべる。


「なら、手加減はいらないですよね?」

「ああ、いらないな。僕はしてやってもいいが」


 テオは冷徹に言い放つ。

 デイジーはその言葉で顔から感情を消した。



 ──魔術師としての本気の顔。



 それが、開戦の合図だった。

 テオとデイジーは、ほとんど同時に腕を伸ばして魔術を唱える。


「「《術式解放リリース──》」」


 そうして、二人の魔術師の戦いが火蓋を切って落とされた。




  ◇



 意味がわからない。

 たった数回魔術を交えただけで、デイジーはそんな感想を抱いた。


 魔術戦は基本的に魔術の撃ち合いになる。

 もちろん例外はある。

 以前の、テオとイザベラの魔術の模擬戦がそうだろう。


 デイジーは人伝てに聞いただけだが、イザベラはテオに近接格闘で一方的にやられたらしい。あの例が示す通り、魔術の撃ち合いにも適切な距離がある。



 だが、基本的には先程も言った通り──魔術戦は基本的に撃ち合いだ。

 そして、そんな魔術戦はある傾向が出るようになった。



 たとえば、第三世代の魔術までは、魔術戦は習得している魔術の数が肝だった。

 第三世代の魔術は、魔術の術式を事前に脳や身体に留めておいて行使する理論。

 つまり、魔術を習得できる数は、脳や身体──人間の生まれつきの資質に影響する。


 基本的には、魔術を覚えている数が多い──すなわち選択肢が多い方が有利だった。




 だが、第四世代魔術からはそれは変わる。

 何故なら、第四世代魔術は、魔道具にも術式を記憶させる理論だからだ。

 これによって、一人の人間が術式を持ち運べるおおよそ上限が決まった。魔術師が一度に運用できる魔道具の数には限りがあるからだ。



 人間の資質と魔道具を合わせて、術式数は最大約五十。要するに何の用意もなく、撃てる魔術がそれだけあるということ。



 言ってみれば、魔術師は互いに五十枚のトランプを持っているようなものだ。



 カード一枚に、どんな魔術を事前に記憶させるかは魔術師次第。

 中には、一つの術式で複数枚のカードを使ってしまうほど強力な魔術もあるかもしれない。



 だが、この五十の魔術構成が、第四世代の一般的な魔術戦には非常に重要だ。

 自分と相性が良い火の魔術で、五十の術式を記憶するか。

 あるいは、相手の魔術にも対応できるように、水の魔術も覚えるか。




 そんな事前準備で、魔術戦の勝敗はすべて決まると言っても過言ではない。


 



 特定の魔術を打ち消す《反転魔術》。

 五十の術式の中に、それを幾つも組み込むことは。



「《術式解放リリース:──》」

「《術式解放リリース:──》」


 デイジーは腕を伸ばしながら魔術を唱える。

 すると、テオも同じように腕を伸ばした。

 タイミングはほとんど同じ。魔術を放つ速度も変わらない。


 だというのに、


「──陽光巨槍フレア・ランス》!」

「──反転・陽光巨槍ディスペル》!」


 いったい何度目だろうか。

 デイジーが放った巨大な炎の槍は、テオが放った反転魔術に打ち消されて掻き消えた。魔術同士の衝突で風が巻き起こり、森がざわめく。


 これまで、デイジーが記憶している五十の術式から様々な魔術を放っていた。

 なのに、そのすべてが悉く打ち消されてしまう。

 まるで悪夢でも見ているようだ。


「……いったい、どういうつもりですか?」


 十以上の魔術を放った後、デイジーは頬を引き攣らせてそう訊ねた。


「さっきから打ち消すだけで一向に攻撃してこない……私を馬鹿にして遊ぶつもりですか?」

「ああ、そうだ」


 最後の言葉は冗談のつもりだった。

 だが、テオは冷徹な表情のまま言い放つ。


「お前を逃さない。それもあるが、一番はそのためだ。確かに、僕がお前にシュエを襲わせたが……冷静に見ていられたかと言われれば別だ」

「……は? 何を言って──」



「──だから、これは単に憂さ晴らしだよ」



 テオがまるで興味を持てない玩具を与えられた子どものような顔で、はっきりと宣言する。


 デイジーはその言葉を理解するのに時間を要した。


 あまりにも信じられないことを言われたからだ。

 何人も魔族を殺してみせた自分を前にして、単に憂さ晴らしでこの場にいると?


 そんな理由、認められるわけがない。

 いったいどれだけ虚仮にすれば──


 だが。

 デイジーが激昂するよりも早く、今度はテオが動いた。


 バン、という風の音すら置き去りにして高速で迫ってくる。

 瞬きをする間に、テオはもう目の前まで接近していた。


「……ガ、ア……ッ!」


 テオの蹴りが、デイジーの腹を捉え、勢いそのまま吹っ飛ばされた。


 まるでボールのように地面に跳ね──大木に叩きつけられる。肺腑に溜まった空気が押し出され、呼吸のために喘ぐ。


 そんなデイジーを見下ろしながら、テオは悠然とした態度で言う。


「どうした? そんなものか、《魔族狩り》は?」

「──っ、ざけんなあああああああああああああああああ!」


 デイジーは大木に身を預けたまま絶叫をあげ、魔術を次々と放つ。

 だが、すべてが反転魔術で打ち消されてしまう。

 どんな魔術を撃っても、テオには届かない。


「いったいどうなってるんですかああああああ! おかしいだろうがッッッ! なんで全部消せるんだよッッッ! 術式は五十程度が限界だろうがッッッ!」


 怒号を放ちながら、デイジーは立ち上がるととっておきの魔術を展開する。


 それは、魔族から奪った術式。

 デイジーが魔族を捕食することで得た魔術だ。


 デイジーはその魔術を放とうとして──

 しかし、それより先に、テオの魔術がデイジーの腹を貫いた。


「……ガ……ッ!」


 腹が焼き切れるような感覚とともに、血と臓物が溢れ出てくる。

 それと一緒に溢れ出るのは、きらきらと輝く──これまでデイジーが魔族から奪ってきた術式。


「……あ……わたしの、魔術が……」


 痛みで薄れていく意識のなか、デイジーは地面に落ちてしまった術式を拾い上げようとする。


 だが、それは実際にはデイジーの目にしか見えない虚像だ。

 どれだけ手を伸ばしたところで、手が血で染まるだけで一つとして拾えることはない。


「五十の術式が限界?」


 いつの間にか、テオはデイジーの眼前までやってきていた。


 拳を出せば届く距離。

 魔術を撃ち合える距離はとうに超えた、近接格闘の間合い。


 魔術戦では有り得ない距離まで詰めた上で、テオは腑に落ちたような声を漏らす。


「……ああ、魔道具と合わせたときの限界保有術式数の話か。確かに一般的にはそう言われているな。だが、本気で、僕がその程度しか術式を記憶できないとでも思ってるのか? 第四世代の魔術理論を構築した僕が?」

「…………ぁ?」

「僕でもどれだけの魔術を使えるか……五百を超えたところから、そんなこと数えるのをやめたよ」


 意味が、わからない。

 最低でも普通の魔術師の十倍。

 確かにそれだけの魔術が保有できるのであれば、反転魔術を組み込むことができる。


 そして、その話が本当であれば、デイジーがテオに勝つことなんて到底不可能で。



「……は、はは……ばけもの、ですか……」



 デイジーはそんな呟きとともに、意識を昏倒させる。

 結局、最後までテオに魔術の一つも当てることはできなかった。

 



◇ ◇ ◇




「私は悪くない、私は悪くない!」


 デイジーに命じられ、馬車の御者を務めていた冒険者の女は、必死に森を駆けていた。


 楽な仕事のはずだった。

 命じられるがままに、魔族を運べばいいだけのはずだった。

 だというのに、あの女性教師があんな風にやられてしまうなんて──


「ぐ、えッ!」


 不意に、冒険者の女は『何か』に躓いて地に転がってしまった。


 いったい何だろうか。木の根はしっかり確認していたはずなのだが。


 しかし、次の瞬間、何もない空間から突如として現れた少女を見て、冒険者の女は眉をひそめながら違和感を覚える。


 どこか気品を感じさせる顔立ちで、まるでどこかのお嬢様のような金髪の少女だった。


 だが、違和感は覚えた一番の原因は──その金髪の少女がリリィ・ガーデンの制服を身に纏っていたからだ。


「……こんなところで何の用、お嬢ちゃん?」

「あなた、ガーデナー先生の共犯者でしょう? 正直、私はあなたに思うところがあるわけじゃないわ。ただ、先生にあなたのことを殺せって言われれてるのよ」



「──だから、死んでもらえるかしら?」



 金髪の少女はすらりと腰元から剣を抜き放つ。

 だが、冒険者の女は少女の言葉がいまいち理解できなかった。


 殺す? 私を? こんな小娘ごときが?


「舐められたもんねぇ……ッ!」


 冒険者の女は抜剣し、目の前の少女を睨みつける。

 最初こそ、逃走が見つかったことで全てが終わったかと思った。


 だが、この金髪の女子生徒だけが相手であれば問題ない。


 この少女を殺せば、いつも通りの生活に戻れる。

 あとは、この魔族狩りで何を問われても知らぬふりをすればいいだけ──


 だけれど、女の意識があったのはそこまでだった。


「ッ」


 気がつけば、金髪の少女は目の前まで迫っており。

 ──心臓に剣が突き刺さっていたからだ。


「先生に……人を殺すことに慣れろ、って言われたけど、案外とこんなものなのね」

「あ……がっ」

「じゃあ、さようなら。どこかの冒険者さん」


 すらり、と剣を抜かれ、冒険者の女は地面に崩れ落ちる。

 そして、冒険者の女は自身がつくった血の池を眺めながら絶命したのだった。




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