第13-2話
「──逃げてッ!」
顔を上げれば、リラが全力で叫んでいた。
だが、リラが次の行動を起こすより早く。
「何してくれてるんですかああああああああああああああああ!」
デイジーが激昂しながら、彼女の腹に短剣を刺していた。
「────」
リラの四肢から力が抜ける。
ふらり、とまるで操り人形が紐を切られたように、リラは荷台から転がり落ちて地面に落ちていった。
だが、リラはしぶとかった。
地面の上をボールのように跳ねて転がっても尚、無理やり身体を起こすと、必死の形相で叫んでくる。
「さあッ! 何してるのッ、逃げなさいッ!」
「──逃げない、ですよねぇ」
リラの言葉に重ねるようにして、デイジーが暗闇から現れた。
前方で馬車を止めて降りてきたのだろう。
デイジーはリラの髪を掴んで無理やり顔を上げさせた。身体強化の魔術でも使っているのか、細腕にもかかわらず片手で持ち上げる。
「アマリリスさんは優しいですもんねぇ。逃げたりしませんよねぇ。さあ、こっちに来て、ごめんなさいって頭を下げながら降伏したら、このお姉さんは見逃してあげますよ。最初から私の目的は、アマリリスさんなんですから」
「逃げ、なさい……ッ! こいつの言うことなんて聞いちゃダメよッ!」
二人の声が、シュエに向かって放たれる。
無意識のうちに、足ががくがくと震える。
自分の選択で、まさに誰かが死のうとしていた。
シュエが逃げるのは簡単だ。──だけれど、そのときにはリラは確実に殺される。
シュエが降伏すればどうだろうか。──しかし、そのときにデイジーが約束を守ってくれる保証はない。本当にリラを助けてくれるのかわからない。
でも。
そうだとしても。
シュエが取れる手段は一つしかなかった。
「……ごめん、なさい……わたし……逃げ、ません……放して、あげて……ください」
シュエは地に頭をつけていた。
無防備に、これ以上がない体勢で、シュエはデイジーの足元で懇願していた。
シュエ=アマリリスは戦えない。
もう、ずっとずっと前に、その心は折られてしまっていた。
誰かを傷つけるのも嫌で、自分が傷つくのも嫌で。
生きることも嫌で、死ぬことも嫌で。
だから、シュエは世界を見ることをやめた。殻に閉じこもることを選択した。母親から貰った大切なぬいぐるみを抱いたまま、地に蹲ることを選んだ。
何も見なければ、何も知覚しなければ、それは『痛くない』ことを一緒だから。
だから、シュエは戦わないことを選んで頭を下げる。
「わ、わたしを……殺して、ください……アッシュさんを……逃してあげて、ください」
「なにを……あなた、は、言って……ッ!」
「いひひ、いひひひひひ、きゃははははははははははははははッッッ!!」
シュエの選択に、デイジーは高笑いをあげた。
「さっすが、お優しいですねぇ! 先生、アマリリスさんの献身に感銘を受けちゃいました! だから、リラ=アッシュさんは逃してあげましょう! さっきも言った通り、最初から目的はアマリリスさんですから。余所見はよくありませんし!」
どさっ、と。デイジーは手を緩めて、リラを地面に落とした。
シュエはゆるりと顔をあげる。
話が通じた。リラは助かる。その事実に思わず口元を綻ばせ──
「──んなこと言うと思いましたか、ばああああああああああああああか!」
ザシュッッ!
最初、それが魔術がリラの体躯を貫く音だとはわからなかった。
デイシーが魔術を唱えた直後、炎の剣がリラの背中に突き刺さった。熱風が吹き荒れ、火の粉を振り撒いた後に、炎の剣は四散する。
少しの間の後、リラの身体から大量の血が溢れていく。
月夜のもと、血の池がつくられていく。
シュエはその光景を呆然と見ていた。
理解が追いつかない。だって、今、先生は助けてくれるって──
だが、それで終わらなかった。
「ほんと、アマリリスさんは残念な子ですよねぇ」
デイジーはシュエの両腕から小さな怪獣を掴むと、無理やりに引き剥がした。
本来であれば、使役する精霊魔術師以外に精霊を掴むことはできない。
だけれど、デイジーは何でもない様子で
「先生、ちょっと残念です。少しでも考えられれば、先生がこのお姉さんを見逃すはずがないってわかるのに──」
「──だから、あなたのお気に入りの精霊が死ぬのも、あなたが考えるのをやめたからですよ」
リラの血液で染まった短剣が、精霊を貫いた。
精霊をそんなことで殺せるはずはなかった。何故なら精霊とは魔力で構成される存在だからだ。物理攻撃で死ぬはずもない。
しかし──デイジーの宣言通り、次の瞬間、小さな怪獣の精霊は四散した。
「…………え?」
何が──いったい何が起こっているのだろうか。
いつの間にか、シュエは声もなく泣いていた。
デイジーは嗤いながら見下ろしてくる。
「驚きましたかー。あなたのために、わざわざこんな魔術を創ったんですよ。精霊を殺す魔術を。解体するときに、抵抗されちゃったら興醒めですからねー。それを用意するために、こんなに時間がかかっちゃいましたけど」
「冥土の土産に一つだけ教えてあげちゃいます。私、魔族の魔術を食べると、自分に複製することができちゃうんです。精霊を殺す魔術も、その手に入れた魔術でつくっちゃいました」
「──だから、このお腹には綺麗な魔術がたくさん詰まってるんです。アマリリスさんもその一部にしてあげますね」
何もわからない。
わかりたくもない。
わかっているのは、ずっとシュエを守っていてくれていた精霊が、消え去ってしまったこと。母がくれたプレゼントがなくなってしまったこと。
──シュエ。きっと、この子があなたを守ってくれるから。私がいなくなってもね。
もう、シュエを守ってくれる存在は何もない。
シュエは独りぼっちだ。
母も、父も、屋敷の皆も、村の皆も、最後の形見も、何もなくなってしまった。
なら、
「…………もう、やめて……おわって……ください……」
掠れた声で、口から言葉から溢れでる。
それが、最後に残った願いだった。
もう、痛みを感じたくない。
もう、何も見たくない。
もう、ずっと殻に閉じこもっていたい。
だから──もう終わりにして欲しかった。
シュエが、そう口にした瞬間。
不意に、隣から声が響いてきた。
「──シュエ、お前が望んだ《願い》は本当にそれか?」
聞き慣れた、されど、こんな場所にいるはずがない教師の声が。
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