第13-1話


 ──これは、過去の記憶だ。



「はい、シュエ。プレゼント!」


 屋敷の一室。

 そっ、と母からぬいぐるみを手渡された。


 小さな動物を模したぬいぐるみだった。

 ただ顔はブサイクで、決して万人が好むような愛らしさはない。

 そして、何の動物かはまったくわからなかった。


「お母さん、これ何のぬいぐるみ?」

「えっと、これはね、お母さんの故郷の神様のぬいぐるみよ」

「お母さんの故郷の神様ってこんなにブサイクなの?」

「あ、あはは……それは、私が下手くそというか、なんというか……」


 困ったように笑ってみせる母。

 確かに、ぬいぐるみの顔はブサイクだ。

 動物ではなく、怪獣にすら見える。


 だが、シュエにとってその怪獣のぬいぐるみはとても可愛いらしく見えて。


 ぎゅーっとぬいぐるみを抱きしめながら、シュエは笑顔を咲かせる。


「ありがとう、お母さん! 大切にするね!」

「──うん」


 母は微笑む。


「シュエ。きっと、この子があなたを守ってくれるから。私がいなくなってもね」


 母は別れを予見していたのか、それはわからない。

 でも、それが、母からの最期のプレゼントだった。




◇ ◇ ◇

 



「…………ぁ」


 シュエは意識を現実に戻した。

 両腕も、両足も、魔術的拘束効果もある縄で縛られていた。必死に魔力を熾そうとするが、熾すたびにどこかに逃げていくような感覚が襲ってくる。


 腕のなかでは、小さな怪獣精霊であるゲーちゃんがぐったりとしていた。

 精霊は魔力を食べて活動する。

 それ故に、主人が魔力を供給できなくなれば精霊は力を失ってしまうのだ。


 精霊魔術師は精霊に能力のほとんど依存する。

 その弱点を、的確に押さえた拘束だった。


「っ」


 ごとん、と荷台が揺れる。

 現在シュエたちは縄で縛られたまま、馬車でどこかに運ばれていた。


 月夜のもと、馬車は森の中を駆けている。


 荷台には、シュエ、騎士団の女性、デイジーがいた。

 騎士団の女性はシュエを人質に取られたせいで、デイジーに従わざるを得なかったのだ。そのせいで彼女も同様に縄で縛られて、荷台に放り込まれているというわけだった。


 そして、馬車の御者としては──


「姐さん、そろそろ着くよ!」


 いつぞやに、シュエを襲ってきたリーダ格の女性冒険者がいた。

 騎士団の女性は縄で縛られたまま、呻くような声で問いかける。


「あなた恥ずかしくないの? 今、あなたがやってるのは犯罪の片棒よ」

「さあ、知ったこっちゃないわね。私がやってるのは、馬車で荷物を運ぶだけ。そのためのお金はたんまり貰ってるし」

「いひひ、無駄ですよぉ。善意に訴えても、何も変わりません。もう何回これをやってると思ってるんですかー?」


 どこか馬鹿にするような口調で語るデイジー。

 次いで、ひらひらと何かの金属板を取り出して見せびらかす。


 身分証明書等としてよく使われるタイプのものだ。

 その金属板には、騎士団のマークと『リラ=アッシュ』という文字が刻まれていた。


「ねぇ、リラ=アッシュさん。もういい加減諦めて、死ぬのを待ちましょうよー」

「……生憎と諦めるのは苦手なのよ」

「またまた、そんな強がっちゃってー。どうせ、あなたなんて誰も探しやしないんですから。さっさと諦めた方が気持ちが楽ですよー?」

「……どういう意味よ?」

「だって、あなた魔族じゃないですかー?」


 驚くべき真実を、さらりと口にするデイジー。

 リラははっと目を見開いた後、引き攣った笑みをつくる。


「……とっくに気づいてたってわけね」

「よく誤魔化せてたとは思いますよー。でも、私、そういう勘ってよく当たるんですよねー。ほら、魔族って臭いですから」


 煽るように、鼻を摘んでみせるデイジー。

 それに対して、リラは不敵に笑ってみせる。


「ここまで偏見が酷いと、いっそ哀れね。魔族の騎士を一人殺す程度なら、騎士団から見過ごされるなんて本当に思ってるの? うちの騎士団を舐めすぎじゃないかしら?」

「あははー、なにを言ってるんですかー? あなたのところの団長こそ、偏見の塊だったじゃないですかー」


 ぐりっ、と。デイジーはリラの腹を靴で踏み潰す。


「そんなに、おいたが過ぎると、うっかり手が滑っちゃいますよ。ほら、こんな風に」

「──あ、ぐっ、ああッ!」


 デイジーが小瓶を取り出すと、中身の水をリラの顔に零した。

 リラの肌に触れた途端、煙とともに火傷のような痕ができ、絶叫をあげる。


 それだけで、シュエは中身を察した。


 聖水だ。対魔族の天敵。《聖浴》に使われる、儀式魔法で清められた水。

 だが、その苦痛を受けても尚、シュエと目が合うと、リラは気丈に微笑んでみせる。


「──大丈夫よ、あなただけは私が無事に必ず返すから」

「なに、この期に及んで夢みたいなことを言ってるんですかー。そんなこと、できるわけないじゃないですかー。今から、あなたたちは私に解体されるんですから」

「それが、私たちを攫ってる原因ってわけ?」

「そうですよー。やっぱりメインはちゃんとした場所で、楽しみながら捌いた方がいいですからねー」


 デイジーは笑いながらシュエを見下ろす。

 その目は、まるで害獣を見るかのようだった。


 そもそも、彼女の目には人間として映っていないかのようで。


「なん、で……ですか?」


 シュエは震える声を発した。


「なんで、こんなこと……するんですか? だって……魔族の友達、いたって」


 つい先程、デイジーは話してくれたばかりだった。

 魔術の女の子から魔術を見せてもらって。

 それで、先生になるまで魔術にのめり込んだと。


「あー、あの子のことですかぁ」


 デイジーは懐かしむように声を漏らす。

 だが、続けられた言葉はシュエの常識の埒外だった。


「ええ、さっきも言った通り、魔族の友達はいましたよー。最終的には解体しちゃいましたけど」

「…………え?」

「だから、解体ですよー解体。知ってますか、魔族って臭いんですけど、魔術だけはとても綺麗なんです」


 きらきらと、まるで興味津々な子供のような瞳を向けてくるデイジー。


「魔族は魔術に合わせて身体すらも特化している。身体強化が得意な魔族は、そもそも身体能力が高い。本当にそうなのか気になって捌いてみたら、あったんです! 内臓をぐちゃぐちゃにしたその向こうに、魔法陣が! わかりますか? つまり、魔族は常時特定の魔術を稼働させているんです!」


 興奮気味に叫ぶデイジー。

 シュエはそんな話は聞いたことがなかった。

 あるいは、デイジーが何か特別な『目』でも持っているからこそ見えたものなのか。


「そこからです、私が魔術に興味を持ったのは。解体して、解析して、食べちゃって。これまで、たくさんの魔族を解体してきちゃいました。両親には途中でバレちゃって領地から追い出されちゃいましたけど、まあ、最終的に教師になれたので、何も問題ないですねー」

「っ」


 デイジーがやってのけたことを想像して、シュエは思わず嗚咽した。

 気持ち悪かった。同じ人間だなんて思いたくなかった。


「教師になったら、さすがに少しは自重しようと思ったんですけどー。まさか、こんなに凄い女の子がいるとは思わないじゃないですかー。ねぇ、アマリリスさん」

「わ、わたしですか……?」

「もちろんです! 《先祖返り》で魔族の血が濃い。加えて、あのアネモネ=ブラックウッドが特別だと認めた逸材! そんな女の子の中身なんて、気になるに決まってるじゃないですか! 何度捌きたくなる衝動を我慢したことか! まあ、そのせいで他の魔族を捌いちゃいましたけどー」

「だから、魔族狩り……」

「ええ、そうですよー。他の子たちはあなたの前菜。あくまでメインはシュエ=アマリリスさん、あなたです」


 月夜のもと、デイジーは嗤う。


 月の光以外は真っ暗で、その表情ははっきりと見えない。だが、眼鏡の向こうから見える鋭い眼光だけがはっきりと見下ろしていた。


「さあ、そろそろおしゃべりは終わりにしましょうかー。もうすぐ着くはずです。まずはリラ=アッシュさんから捌きますから、大人しく順番を待っててくださいね。ああ、今日は本当に幸運ですね。魔族が二体も手に入るなんて────え?」


 デイジーが不意に声を漏らす。

 単純な理由。リラがいつの間にかシュエの縄の拘束を切断していたからだ。


 自分の拘束を切るよりも彼女が先に選んだのは、民間人の救出だった。リラは縛られた両足でシュエを蹴り飛ばす。


「ッ」


 荷台から落とされて、シュエは地面の上をごろごろと転がっていく。


 地に叩きつけられたせいで肺が押し潰されて、一瞬呼吸が止まる。一拍置いて起き上がって荒い呼吸を繰り返すと同時に、強烈な叫び声が鼓膜を震わせた。


「──逃げてッ!」


 顔を上げれば、リラが全力で叫んでいた。



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