第12話
「……はぁ、はぁ」
宵闇の中。
とある魔族の女性は足を引きずりながら必死に逃げていた。
このセレストの街に《魔族狩り》がいることは知っていた。
だが、夕方頃に、雇い主である貴族から外での仕事を命じられてしまったのだ。
魔族の女性は必死で終わらせたのだが、その仕事は夜までかかってしまい──
そして、《魔族狩り》に遭ってしまうとは。
「…………はぁ、はぁ」
どさっと地面に崩れ落ちる。
《魔族狩り》にお腹が切り裂かれたせいで、血がとめどもなく溢れてくる。
同時に意識も朦朧としてくる。もう助からないほど重傷なのだろう。
魔族の女性は最後に力を振り絞って顔を上げる。
そして──
月夜のもと。
騎士団の制服を身に纏った、燻んだ灰色髪の女性が剣を構えている姿を見た。
次の瞬間、灰色髪の女性が降り下された剣によって魔族の女性は絶命した。
◇ ◇ ◇
「……はぁ」
テオは溜息混じりに、声を漏らした。
職員室。
テオは自席で悩ましげな表情をつくっていた。
考えているのは、もちろんシュエのことだ。
あれから、シュエが戦えるように様々な訓練をしてみたが効果はなかった。
シュエ自身も何とか頑張って積極的に取り組んでくれているものの、恐怖のなかで正常に魔術が使えるようにはなっていなかった。
ただ──問題は、いつまでもシュエに時間を使っていられないということだ。
一周目の記憶通りならば、そろそろあの事件が起きてもおかしくはないのだから。
「先生」
「……ああ、イザベラか」
テオが声をかけられて顔を上げると、イザベラが隣に立っていた。
イザベラは宿題で命じた書類を抱えていた。それを手渡してきながら、一枚のメモを書類に挟んでくる。
「あなたが指示した通り、見張っているわ。そろそろ動きそうよ。細かいことはそのメモに書いてあるわ」
「わかった」
テオはイザベラから渡されたメモを一瞥して内容を把握すると、炎の魔術で燃やした。
瞬く間に炭となると、風に攫われて消えていく。
「また声をかける。それまでに準備をしておけ」
「わかったわ」
イザベラはこくりと頷いた。
テオは再び机に向き直ると思案する。
なるべくあの手段は取りなかったが、シュエを覚醒させるにはもうその方法しかないのかもしれない。
テオは覚悟を決めた。
◇ ◇ ◇
ぐー、っとシュエのお腹が悲しそうに鳴った。
放課後。
リリィ・ガーデンに併設された女子寮。
その自室で、シュエはへにょと眉を曲げた。
シュエは──というより、第七庭園の生徒は全員女子寮から通っている。貴族家系の生徒たちも含めてだ。
第七庭園は本来存在し得ない新設クラスだ。
アネモネの説明によれば、食事などの普段の生活も含めて優秀な魔術師を育成したいらしい。だからこそ、シュエたちは女子寮で三食食べることを義務付けられていたし、定期的に血液を採取されて何かを調べてもらっていた。
他の生徒ならば面倒に感じるかもしれない。
だが、天涯孤独なシュエにとって三食付きの女子寮は有り難かった。
とはいえ、困ってしまうのはそれ以外の食糧補給手段を知らないことだ。
シュエは滅多に買い物にはいかない。
例外はといえば、《ゲーちゃん》のおやつを買うぐらいだろうか。精霊なので魔力が主食ではあるのだが、おやつも好きで食べることがあった。
ただ、シュエ自身のご飯は買ったこともないし──買う場所さえ知らなかった。
「…………」
しかし、自室で休んでいてもお腹の空腹は解決しない。
寮の夕食もまだまだ時間がある。
取り敢えず、シュエは自室を出てリリィ・ガーデンの校舎へと向かった。
時々ではあるが、シュエは他の女子生徒からお菓子を恵んでもらえることがあるのだ。
どうやら、女子生徒の間でシュエは小動物のように思われており、運が良ければ歩いてるだけで「可愛いー」という言葉とともにたくさんのお菓子を貰えるのだった。
それを期待しながら、校舎へと向かっていくシュエ。
──と。
「あっ、アマリリスさん!」
校舎に入るや否や、デイジーが話しかけてきた。
どうやら校舎前で、誰か生徒を探していたようだった。
シュエを見かける否や、全速力で駆け寄ってくる。
「ちょうどよかった! 実は、明日の授業に必要なものを買い忘れちゃってねっ。でも、私、セレストの街に来たばかりだから、どこで買えばいいわからなくて! アマリリスさん、先生についてきてくれない?」
「え……あのっ、そのっ……」
いきなり捲し立ててくるデイジー。
シュエはコミュニケーション能力が高いわけではない。
ましてや、ほとんど喋ったことがない先生なら尚更だ。
だというのに、そんな先生と一緒にお出かけなんてどんな地獄だろうか。
シュエは心苦しいが、断ろうとして──
そのとき、ぐ〜っとシュエのお腹が鳴った。
その音を聞いて、デイジーが首を傾げる。
「あれ、もしかしてアマリリスさんお腹減ってる? もし良かったら、何か好きなものを買ってあげるけど……それでも駄目かな?」
その申し出に、シュエは勝てなかった。
「はぁ〜、アマリリスさんが一緒についてきてくれて本当に助かった〜!」
セレスト・商業区。
買い物の帰り道。
デイジーとのお出かけは、思ったほど苦痛にならなかった。
何故ならデイジーが喋りっぱなしで、シュエは相槌を打っていれば良かったからだ。
シュエのようにコミュニケーションが高くない者にとっては、これほど楽な相手はいなかった。
夕暮れ。
そろそろ足元が徐々に見えなくなるほど夜が近づいてきた頃。
リリィ・ガーデンへと向かいながら、デイジーは相も変わらず喋り続けていた。
「──で、どこまで話をしたっけ、私が先生を目指したきっかけ」
「えっと、その……と、友達の女の子の、話です」
「そうそう。私の家は没落貴族なんだけどね。その家に働いてくれてた魔族の使用人さんの娘さんだったの。いっつも、遊んでたなぁ〜」
「……そう、なんですね」
「そうそう、特別に魔族の魔術を見せてくれてね。とっても綺麗だったの、覚えてる」
懐かしむように遠くを見るデイジー。
「そこからなんだ、魔術に興味を持ったの。魔術を細かく分析したくなっちゃったり、解体したくなっちゃったり」
「……解体、ですか?」
「そうそう。たとえば魔法陣を一つ一つ分けて意味を見出すの。それを見つけたり、発表するのが楽しくてね。気がつけば先生にまでなっちゃってました、えへへ」
「すごい、と思いますっ」
「ほんと? アマリリスさんにそう言われると嬉しいなぁ〜」
デイジーがにこにこと笑顔を浮かべる。
──と。
「……あれ?」
不意に、デイジーが怪訝そうな声を漏らす。
シュエはその声に疑問を持って顔を上げて──違和感の正体に気づいた。
セレストの商業区。
リリィ・ガーデンへの近道のために、一つ裏の路地に入ったところだった。
普段通りであれば人通りは多少あるはずだ。
だというのに、この路地では見る限り自分たち以外にいない。妙な静けさがある。
いや。
正確に言えば、前方に一人だけ人の姿があった。
燻んだ灰色髪の女性。騎士団の制服を身に纏い、腰には帯剣している。
そして、次の瞬間──その女性は静かに抜剣した。
「ひっ…………」
シュエは喉を震わせる。
この路地裏には自分たち以外にはいない。
彼女が自分たちを狙ってきたのは、明白だった。
だけど──何故?
騎士団にシュエが狙われる理由などないはず──
──違う。一つだけあった。シュエが狙われる理由。
ここ最近、セレストの街に蔓延る闇。
それがあったではないか。
シュエは寒気がするほどの恐怖を覚えながら、その名前を呟く。
「魔族、狩り……!」
リリィ・ガーデンから出かける際、その存在は確かに脳裏には過った。
だが、先生と一緒ならば大丈夫だと思い込んでいたのだ。
しかし──それにも関わらず襲われるなんて。
逃げなければ。だけど、いったいどこに?
シュエは恐怖で身を竦ませながらもデイジーに声をかけようとし。
──されど、それよりも早く、騎士団の女性が口を開くと続けざまに言葉を紡ぐ。
「昨日の殺し、あれは失敗だったわね。いつもより少し早い時間に殺すなんて。そのせいで、ばっちり目撃者がいたわ」
「魔族狩りはこの春からちょうど開始された。同じ時期にこの街に来た人間を洗っていた段階で、あなたも容疑者には入っていた。でも、正直当たって欲しくなかったわね。ガーデンの教師になれるほどの実力者を敵に回すのはしんどいから」
「だから、その剣はもう降ろしなさい。その子を殺してどうするつもりだったのかしら、デイジー・ガーデナー先生。いや……」
「──《魔族狩り》さん?」
「────え?」
理解ができない。
騎士団の女性が紡ぐ言葉が、頭に入ってこない。
だけれど、言葉より早く突きつけられた事実があった。
「せんせい……何を、してるんですか……?」
──シュエの首筋には、短剣が突きつけられていた。
剣先が柔らかい肌に食いこむと、つーっと血が流れ落ちる。
デイジーは嗤っていた。
不敵に。まるで精神に異常をきたしたように。
唐突に理解する。
騎士団の女性は人がいないタイミングを狙って現れたわけではない。
人がいないタイミングを狙ってシュエを殺そうとしてきたデイジーを止めるために、彼女は現れたのだ。
「いひっ」
デイジーは笑い声をこぼす。
その表情には教師だった頃の面影は一切ない。
「なーんだ、バレちゃってたんですか。なら、今更取り繕っても仕方がないですね」
「──さっさと武器を置いて、こちらに来なさい。この子がどうなっちゃってもいいんですか? 魔族殺しを見過ごせなかった優しい騎士様?」
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