第11-2話
「──だから、生きて。愛してるわ、シュエ」
母が泣きながら精一杯の笑顔を浮かべる。
それが、シュエに向けられた最期の言葉で。
瞬間、母は背を向けると、迫りくる武装した村人に向かって走り始めた。
病気で、全身が悲鳴をあげているはずだ。
だが、速度は落ちない。むしろ上げていき──
「いやああああああああああああああああああああ!」
シュエが悲鳴をあげた直後、母の全身が淡い燐光に包まれた。
他の人間には見えないのかもしれない。
だが、シュエの目にははっきりと映っていた。
あの淡い燐光は、精霊が放つ光だ。
精霊の力を介し、母は魔術を放つ。
──直後、母の周囲に氷が溢れた。
足元から氷結していくと、そのまま村人へと迫っていく。
規模こそ小さいが、それはまるで氷の津波だ。
だが──氷の津波は、村人を飲み込む寸前で四散してしまった。
「……が、ごほ……っ!」
気がつけば、母は地面に崩れ落ちて吐血していた。
先程まで見えていた精霊の力も霧散してしまっている。
「──おかあ、さんっ」
「逃げ……なさい、って言っているでしょう!」
「……で、でもっ」
あんな母を置いて、逃げられるわけがない。
シュエも力を解放しようと、両腕を前に掲げる。
魔族が力を使えば誤解を受ける。魔族同士でそう取り決めたが、最早とっくにその段階は過ぎ去っていた。
力を使わなければ、母が死んでしまう。
ならば使え。特別だと称されたその力を。
使え。使え、使え、使え! 力を行使し、あの村人をすべて吹き飛ばせ。
あんな奴らなんか殺したって──
「…………なん、で……?」
だが、シュエの腕が震えるだけで一向に魔力が熾せなかった。
いや、腕だけではない。
がくがく、と足が震え、視界も狭窄していく。
目の前がどこか遠い世界にすら感じる。
普段は当たり前のように使えている力が、今だけはまったく感じられない。
「……なん、で……なんで、なんで、なんで!」
お母さんを助けなきゃいけないのに。
「なんで、なんで、なんで!」
シュエの力は特別なはずなのに。
「ち、力が……な、なんで……だ、だって、わたし、いつも通りに……」
もう、足元の感覚すらなかった。
自分が立っているのか、倒れているかすらも、わからない。
まるで金縛りにあったかのように、シュエは自身の身体すら動かせなくなり──
そして、その間隙のうちに、村人たちは母のそばまで迫っていた。
ザシュッ!
村人の剣が母の背中を貫く。
シュエは全身を震わせながら、その光景を黙って見ているしかなかった。
「…………いや」
シュエはゆるゆると首を振る。
視線の先では、剣を引き抜かれ、母が糸が切れた操り人形のように倒れる。傷口からは血が溢れ出て地面を染めていく。
母の目は虚ろだった。
それでも、ゆっくりとシュエに向かって手を伸ばし。
「──ったく、驚かせやがってよぉ!」
そして、一人の村人が母の手を踏み潰した。
母の瞳からは光が消えていた。
この世にはもういない。
血はとめどめもなく溢れ、やがてシュエの足元近くまで広がってくる。
「正真正銘、こいつで最後か」
村人たちはシュエを取り囲むと、血だらけの剣を差し向けてきた。
その血は真っ赤だ。
他の人間と何も変わらない色。
血液で感染する。
魔族を殺すことに躍起になって、そんな『事実』はとうに忘れ去ってしまっているように、人々は血だらけだ。
「……ああ」
いったい、シュエが何をしたのだろう。
いったい、シュエたちが彼らに何をしたのだろう。
どうして、そんな『正義』で人々を殺すことができるのだろう。
「ああ! ああああ! あああああああああああ!」
もう見たくない。
もう視界に入れたくない。こんなにも残酷な世界は。
誰かに傷つけられるのも、誰かを傷つけるのも、もうすべてが嫌だ。
こんな世界を見るならば──殻に、閉じこもってしまった方がマシだ。
「──ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
瞬間、シュエの全身からようやく力が溢れ出した。
大事な時には何の役にも立たない──特別だと称された『力』が。
シュエと世界を断絶するように、水がどこから現れた。
やがてそれは洪水となって襲撃者どころか村自体を飲む込む。それだけではなく、水は氷へと徐々に変わっていく。
まるで、シュエを守るように『殻』になるように。
そしてこの後、シュエ=アマリリスは騎士団から追われることになる。
──ただ、みんな約束してくれ。力は使わない。もし使ってしまったら、あの馬鹿げた噂が本当に真実になってしまう。
その懸念通り、魔族が悪であるという世論に拍車をかけてしまって。
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