第11-1話



 ──これは、過去の記憶だ。



 シュエは貴族の子女であったものの、決して裕福な生活は送っていなかった。


 アマリリス家の屋敷には何人もの魔族が共同生活をしていたからだ。

 大所帯であるがゆえに、寝床も他の魔族の子供たちと一緒に雑魚寝だ。


 だけど、それが楽しかったのは覚えている。


 まるで、毎日が楽しい旅のようで。

 父は忙しく屋敷を空けることも多かったが、寂しくはなかった。

 父の部下は常に屋敷で守ってくれていたし、他の魔族も大勢住んでいたからだ。


 それだけではなく、シュエの手元には母がつくってくれた『ぬいぐるみ』がいつもあった。

 小さな怪獣みたいな、ブサイクな顔。

 母の故郷の神様の名から取って、シュエが『ゲーちゃん』と名付けたそれは毎日持ち歩くほどお気に入りだった。


 シュエはそのぬいぐるみとともに、いつも屋敷から村に出かけていた。


 村人たちはシュエのことをお嬢様と温かく出迎えてくれた。シュエは歩くだけでクッキーなどのお菓子を貰え、村の中を好きに歩き回ることはできた。


 唯一「危険だから」と村の外に出ていくことだけは許されなかったが、村の中であれば自由に過ごすことができた。



 この異常さに気づいたのは、シュエが村の外に出るようになってからだ。


 このサンクティア王国で、魔族が何かの後ろ盾を自由に歩き回れることは非常に稀だ。


 たとえば、貴族の奴隷の証である首輪。 

 たとえば、リリィ・ガーデンの制服。


 もっとも、シュエのように角が生えている《先祖返り》は例外として、ほとんど魔族は見た目だけは区別がつかないのだが。


 凄まじい膂力や脚力。神の信者である紋章が身体に刻まれていない。そして、聖水に触れた瞬間にダメージを負う。 


 そんな現象を見て、初めて人々は魔族だと気がつくのだ。

 だから、シュエが知らないだけで、この国にはずっと多くの魔族がいるとは思うのだが。



 ただ、シュエが幼少期に住んでいた領地は魔族であることを誰もが隠していなかった。

 幸せだった。

 何に怯えることもなく、生きることができていた。




 ──あの事件で、国中が揺るがされるまでは。




 黒血病、とその病気は称された。

 感染したら高確率で死に至る病。全身の血液が黒く染まり、化け物になってしまう最低最悪の呪い。その病は血液を介して瞬く間に広がっていた。



 だが、最悪の例外があった。



 


 ──これは、魔族の陰謀だ。


 そう囁かれたのは、果たしていつだろうか。

 一度、火がついたその噂はいつしか『真実』となって流布された。


 魔族が創り出した呪いの魔術。

 奴らは我らに取って変わろうとしている。


 そんな『真実』を心から信じて、人々がシュエが住んでいた村を襲撃にくるのも時間の問題だった。

 驚くべきことに、シュエの村にやってきたのはただの近隣の村人だった。


 騎士団でもなく、魔術師でもなく、冒険者でもなく──


 彼らは善良な村人だった。

 至って普通の、シュエが住む領地の村人と何も変わらない、慎ましく生きているだけの心優しき『正義』を愛する人間だった。


 その村人たちが最低最悪な殺戮をはじめた。




「──やめて、ください! もう、やめてください!」




 屋敷が、村が、煌々と燃え盛る。

 目に映る光景がすべて真っ赤に染まる中、シュエは必死に叫びながら逃げていた。


 シュエは、母の手を引っ張って走っていた。

 母は病弱ゆえにいつも寝たきりで、長時間動き回ることすら難しかったからだ。


 しかし、煙を何度も吸い込んだせいか、叫ぶ声もだんだんと掠れていく。

 意識が朦朧としてくる。

 それでも声をあげることは止めなかった。それさえも止めてしまったら、おかしくなってしまいそうだった。



 いや、もうおかしくなっていたのかもしれない。


 男であろうと、女子供であろうとも、赤ちゃんであろうと、老人であろうと、魔族であろうと、人間であろうとも──その村の住人というだけで殺されていったのだから。



 ──ここは逃げよう。


 父が不在のなか、屋敷を仕切る魔族のリーダーの男はそう言っていた。


 ──ただ、みんな約束してくれ。力は使わない。もし使ってしまったら、あの馬鹿げた噂が本当に真実になってしまう。


 それは、魔族同士の約束だった。

 ここで近隣の村人に対して『力』を使ってしまえば、彼らに大義名分を与えてしまう。

 ほら見たことか、と余計に煽ってしまうことになる。


 そうすればたとえ生き延びたとしても、父に迷惑をかけてしまう。


 魔族に優しくてくれた父に報いるためにも、これ以上の悪評を流させない。

 それは、この村の魔族の総意だった。



 ──我々は他の魔族たちとは違う。それを証明しよう!



 そう言って、彼らは屋敷から逃げ出し──





 ──




 魔族が力を使わずに逃げる。

 そんな巨大な隙を、『正義』の村人たちが見逃すはずもなかった。


「おい、あいつらで最後だ!」


 煌々と燃え盛る村の中、『正義』の村人がシュエたちを追ってくる。

 仲間の魔族たちが命を賭して稼いでくれた時間。


 その猶予さえも、今や消えそうになっていた。



 でも、どうすれば。シュエたちの脚力では絶対に逃げられない。ましてや病弱な母もいるのに。いったい、どうすれば──



「……シュエ、大丈夫よ」


 不意に、母の優しい声が聴覚に触れた。

 母は額に冷や汗を浮ばせて咳き込みながら、必死に笑顔をつくっていた。


「ごほっ……お母さんはここまで。でも、大丈夫。シュエ、あなたは逃げて」

「なにを……言ってるの?」


 意味がわからない。

 いや、わかりたくなかった。


 シュエが笑顔を引き攣らせると、母は優しい手つきでシュエの頭を撫でる。 


「お母さんが時間を稼ぐわ。だからその間に逃げて。お母さんは体調が悪くて……あまり遠くまで逃げられないから」

「そんなの──」

「シュエ!」


 一喝の声。

 シュエが顔を上げると、母は泣きそうな顔をしていた。


「……お願い、シュエ。言うことを聞いて」


 懇願するように腕を掴まれる。


 言葉を、失う。

 母が無理してつくった笑顔を見ただけで、もう覚悟を決めたことはわかってしまった。


「……ほんとうに……大きくなったわね。ずっと一緒にいたかったけど……これで最期」

「い、や…………」

「あなたは……特別な力を授かってるわ。私たち……魔族の希望よ」


 母はシュエの頭とともに角を撫でる。


《先祖返り》の証。

 ずっと言われ続けた特別な力の証。


 そんな角から視線を落とし、母は慈愛に満ちた表情で続ける。


 まっすぐと、シュエの目を見つめながら。



「でも、そんなのなくたって……あなたは私の大事な娘。自慢の娘よ」




「──だから、生きて。愛してるわ、シュエ」




 母が泣きながら精一杯の笑顔を浮かべる。

 それが、シュエに向けられた最期の言葉だった。

 

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