第9-2話


「せんせいのこと、嫌い、です」


 川から引き上げたシュエは拗ねていた。


 シュエは精霊である小さな怪獣を両腕で抱き締めていた。長い氷色の前髪からはぽたぽたと水滴が落ちている。


 くしゅん、と可愛らしいくしゃみをするシュエ。


「……それで、ここはどこですか?」

「見ての通り森だ」

「どうして、森に……?」

「もちろん訓練のためだ」

「……まだ、終わって、なかったんですか」


 がっくりと肩を落とすシュエ。


「でも、大丈夫ですっ。さっきのより……怖いもの、ありませんっ」


 健気に微笑んでみせるシュエ。

 自信満々だ。まだまだ気力に溢れているようだった。


 それならば、テオも手心を加える必要はないだろう。


「ところで……さっきから、せんせいは何を?」


 シュエはこてんと首を傾げる。

 テオは植物を取り出しながら、シュエの頭に括り付けていた。


 軽く手で引っ張りながら、走っても外れないことを確認すると、テオは説明する。


「これは魔物の好物の植物だ」

「…………ほう」

「ついでに、魔術でシュエの全身から香ばしい匂いがするようにしておいた。魔物から見れば、今のシュエはさぞ美味しそうに見えるだろうな」

「…………」


 シュエは何かを察したように、ぎぎぎとゆっくりと後ろを振り向く。


 森のあちこちから集まってきたのだろうか。シュエの背後には、大量の魔物が集結してこちらを見ていた。


「……あのっ、これ、もしかして」

「頑張れ、シュエ。全力を出せば食べられないはずだ」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ」


 言葉にならない絶叫をあげながら駆けていくシュエ。


 それがスタートの合図だったかのように、魔物たちはシュエを追いかける。

 ちなみに、シュエは純粋な脚力で逃げることはできたものの、魔術で戦えるようにはならなかった。







「全然駄目だったな」

「はい……」


 あれから何時間経っただろうか。


 片っ端から恐怖を与え続けたものの、シュエは一向に戦えるようにはならなかった。

 そもそも、やり方が間違っているのか。あるいは恐怖が足りないのか。



「次は、ドラゴンの巣に突っ込んでみるか」

「……あのっ、今、すごく怖いことが、聞こえたような……」

「冗談だ。ドラゴンの巣など、今時見つからないからな」

「冗談なの、そこなんですね……」


 がっくりと肩を落とすシュエ。


「ただ──今日はもう遅い。帰るぞ」

「はい、帰りましょうっ」

「明日以降も訓練はあるからな。今日は早く帰って身体を休めたほうがいい」

「…………はい、そうですね」


 喜んだかと思いきや、途端にとぼとぼと歩き始めるシュエ。


 一周目でも、ここまで感情表現が豊かではなかったような気がする。


 ──と。



「あっ、プロテウス先生っ。ちょうどよかったです!」

「ガーデナー先生?」



 リリィ・ガーデン。

 校舎の正面玄関。


 テオが足を踏み入れた瞬間、慌てたように駆け寄ってくる女性教師の姿があった。


 テオと同じタイミングで、今年の春から教職に就いたデイジー・ガーデナーだ。


 見た目は二十代前半で、大きな眼鏡と走るたびに揺れる大きな胸が特徴だった。

 それに付け加えるならば、


「あ、はっ、わわっ」


 慌てて走ってきたせいか、手に持った書類を廊下にぶちまけてしまうデイジー。


 そう。特徴としてもう一つ加えるならば、デイジーは極度に不器用でおっちょこちょいだった。


 何回、段差もないところで転けたり、書類をぶちまける姿を見たことか。

 だが、庇護欲をそそるらしく、生徒からは大人気の先生ではあった。


 もっとも、舐められているだけかもしれないが。


「す、すみませんすみません」


 周囲にぺこぺこと頭を下げながら、慌てて書類を掻き集めるデイジー。


 テオも腰を落として一緒に書類を集める。

 やがて集め終わると彼女に手渡しながら、テオは訊ねる。



「それで──どうされましたか? ちょうどいいとは?」

「あっ、そうなんです。じ、実は」

「──実は、ブラックウッド先生に《魔族狩り》について話をしにきたのだが、ぜひ他の先生たちにも同席してほしくてね。少しだけ時間をもらえないだろうか?」



 第三者の声。

 廊下の奥からやってきたのは、豪奢なコートを身に纏った男だった。



 優しげな微笑を浮かべる男だった。

 だが、その笑顔は薄っぺらくまるで仮面のようにも思える。鋭い眼光は裏を感じさせ、油断できない印象を抱かせる。


「名乗るが遅れてしまったな。私の名前はグレゴール・ヴァルデン。サンクティア騎士団の団長だ。もっとも、セレスト地区のだがね」




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