第9-1話
「……駄目だったか」
保健室。
第七庭園の生徒が全員意識を失って寝ている中、テオはぽつりと呟いた。
あの後──シュエにはありったけの魔術を撃ち込んでいた。
それこそ、死の恐怖を否応なく感じさせてしまうほどには。
それでも、シュエは反撃することもなく、最後まで守り一辺倒で、テオの魔術を食らって意識を失っていた。
精霊魔術の速度に対抗するには、精霊魔術が最も適している。
もっと言うならば、シュエの精霊魔術は特別だ。
だからこそ、テオの擬似的な精霊魔術に真正面から対抗できるとすれば、シュエのみだったのだが。
シュエはそもそも立ち向かうことが、性格的に向いていないようだった。
イザベラのときと同じように叩き潰せば、解決するかと思ったが、そう簡単な問題ではないようだった。
「……どうすれば、シュエは戦えるようになる、か」
思わず口に出してしまいながら、テオは保健室を後にする。
だが、どれだけ考えても適切な案が思いつかない。
いや、正確に言うのならば案はある。
だが、さすがにあれは──
「あ、あのっ……ま……待って、ください」
不意に響くか細い声。
テオが振り向くと──シュエが保健室から出てきて廊下に立っていた。
いつの間に起きたのだろうか。
先程の訓練で制服は汚れだらけ。顔には泥がついたままだ。
それでも、シュエは必死の表情で何か喋ろうと桜色の唇を開き──
「………………あ、あう」
テオと目が合ってしまった途端、固まってしまった。
何かを紡ごうとしてか、シュエの口がぱくぱくと動く。
だが、意味のある音が一切出てこない。
ただ──このタイミングで、シュエに呼び止められる理由は一つしか思いつかなかった。
「さっきの、聞いていたのか?」
「…………(こくこく)」
テオの言葉に、ぶんぶんと首を縦に振るシュエ。
さっきの、とは言うまでもなく、「どうすればシュエが戦えるようになるのか」という呟き。
生徒全員は意識を失っていると思い込んでいたが故の吐露ではあったが、まさかシュエに聞かれていたとは。
シュエはおそるおそるこちらの様子を伺うように、声を漏らす。
「あ、あの……聞くつもり……なかったんですけど。お、起きたとき……せんせいが、言ってたから……その、聞こえちゃって」
「そうか」
「あ、あの、せんせい──」
シュエは顔を上げて、前髪の向こうからつぶらな瞳を向けてくる。
続く言葉はおそらく非難だろう、とテオは予想していた。
何故、そんな酷いことを考えているのだと。
だが、シュエが口にしたのは思ってもみなかった言葉だった。
「そ、その……わたし……戦えるように……なりたい、です」
「え?」
テオが思わず視線を向けると、シュエは逃げることなくまっすぐと見つめ返してきた。
「え、えっと……せんせいも、知ってます……よね。わたしが、魔族だって。……だ、だから、昔から、ずっと……虐められてて……」
過去の出来事を思い出したのか、シュエの顔から血の気が失われていく。
それでも止めることなく、シュエは必死に言葉を続けて紡ぐ。
「でも……わたし、怖くて……相手を、傷つけるのも……自分が、傷つくのも……そうやって、考えて……怖くなったら、なんにも……できなく、なっちゃって……」
「……家族みんな、それで……いなく、なっちゃいました……」
「でも……ほんとは、そんなの……嫌、です……何もできない、自分が……嫌い、です」
「だから……戦えるように……なりたい、です」
「──せんせい、わたし……戦えるように、なりますか?」
どれだけ勇気を振り絞ったのだろう。
どれだけ苦悩したのだろう。
シュエはまるで全力疾走したように汗を掻いていた。前髪はぺたり額に張りつき、顔は真っ赤になっている。
それでも。その瞳に宿る真剣な光は変わらなかった。
……ああ。
テオはどこか思い上がっていた。
生徒のことは一周目で全てわかった気になっていた。
だが、シュエのそんな想いは──一周目では知ることができなかった。
シュエがそんな悩みを抱えているなんて、当時は知らなかった。
そんな想いを、まさか生徒の気持ちを踏み躙ってもいいと覚悟した二周目で、知ることになんて。
「……ああ。きっと戦えるようになるよ、シュエ」
思わず優しい口調で、テオはそう断言する。
先程も言った通り、シュエを戦えるようにさせる案は既に思いついている。
だが、シュエにはできないと決めつけていた。
気が弱く、心が優しいシュエには。
でも、それはテオの勝手な判断だった。
当のシュエは戦えるようになりたいと必死に抗っていた、というのに。
であるならば、教師であるテオは、シュエができると信じて背中を押してやるだけだ。
生徒の可能性を信じる。
それこそが、教師の仕事だというのに。
テオは覚悟を決めると、膝を折ってシュエの目線に合わせる。
「わかった。僕も全力を尽そう。だから僕を信じてくれ。そうすれば必ず、僕がお前を戦えるようにしてやる」
「…………はいっ」
そんなテオの言葉に──
シュエはぱっと花のような笑顔を咲かせた。
そして一時間後。
シュエの笑顔は引き攣っていた。
「シュエ。お前は相手を傷つけるのも、自分が傷つくのは嫌だと。その恐怖に呑まれて何もできなくなる、とそう言っていたな」
「……は、はい。それは……そう、ですけど……あ、あのっ」
「つまり、恐怖に陥ったときでも、いつも通りに力を出すことができれば、お前は戦えるようになる可能性が高い。そういうことだな?」
「……は、はい。それは……合ってると、思います……でも、あのっ」
「だから、シュエ。とても心苦しいが、お前には今から恐怖を味わってもらう」
「……あのっ、だから……その、橋の上……なんですか?」
「そうだ」
肯定すると、隣でシュエが何故か死んだ目をした。
ばさばさ、と突風が吹き続ける橋の上。
橋の上から下を覗くと、遥か遠くに川底があった。
高所恐怖症であれば、その光景だけで気を失ってしまいそうなほどの高さである。
「よし。じゃあ、シュエ。まずはここから飛び降りろ。大丈夫だ、魔術が上手く使えばきっと無事に着地できるはずだ」
「…………あ、あのっ。でも、もし、万が一……魔術が、上手く使えなかったら……?」
「そりゃ川底に咲くだろうな。真っ赤な花が」
「…………(ふるふる)」
「大丈夫だ。失敗しなければ問題ない。失敗しなければな」
「ぜ、ぜんぜんっ……大丈夫じゃ、ないです……!」
か細い声で叫ぶシュエ。
次いで、おそるおそる下を覗き込んだり、顔を引っ込めたりするシュエ。
やがて確認を終えると、シュエはぺこりと頭をさげる。
「……せ、せんせい……わかり、ました……わたしには、その……無理です……今日はもう、帰りますね……?」
「おい、どこに行く」
「うぎゅっ」
シュエは勝手にとてとて歩いて帰ろうとする。
その首根っこを掴むと、テオは強引に引き戻した。
「なに勝手に帰ろうとしてるんだ?」
「あのっ、わ、わたしには、その、無理だと……」
「シュエ。僕はお前の可能性を信じている。お前ならきっとできるはずだ」
「そんな……か、勝手に可能性……信じられても……!」
「僕はお前を信じて背中を押すだけだ」
「まさかのっ、物理っ……!」
シュエの背中を押して橋から突き落とそうとすると、必死に叫んで抵抗してくる。
「こ、この高さ……と、飛ばなくても……わかり、ますっ。む、無理……です……っ」
「やってみなきゃわからないだろ──じゃあ、行ってこい!」
テオはシュエを首根っこを掴んだまま、全力で空へと放り投げる。
果たして、小柄なシュエはふわりと橋の上の空中へと浮かび。
次の瞬間、川底に向かって真っ逆さまに堕ちっていった。
「──きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ!」
シュエの口からは聞いたことがない声量の絶叫が放たれると、みるみるその姿が小さくなっていく。
そして、
ざっぱーん! という音とともに水飛沫をあげると、シュエは川に着水した。
ついで、溺れたように、あっぷあっぷと水面から顔を出したり消えたりしながら流されていく。
どうやら、あの様子だと墜落寸前で反射的に魔術を使って身を守ったらしい。
それでも溺れているようでは、魔術を使いこなしているとは言い難いが。
「……これじゃ駄目か」
テオは残念そうに呟いた。
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二話連続更新です。
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