第7-2話
氷の壁の向こうで、冒険者が口々に悪態をつく。
シュエは両耳を塞ぎながら蹲っていた。
何も聞きたくなく、何も見たくなかったから。
だが、これが、シュエ=アマリリスという少女の日常だった。
──魔族はどこに行っても迫害される運命だ。
サンクティア王国や周辺の諸外国では、神といえば指し示すものは一つである。
そして、遥か遠くにあると言われる国の神は悪神扱いだ。
魔族ということは、神を信じない者であり、悪神を信じる者だ。
違う神を信仰する者を、どうして信じることができようか。
だから、魔族は排除されて追いやられた。
ある者たちは人里離れた場所に集落をつくって、魔族だけで人知れず過ごした。
だけれど、全員がその手段を取れるわけでもなく、中には貴族に仕える者たちもいた。
──シュエの母は、そんな一人だった。
仕えた相手は、優しい貴族の領主だった。
シュエの母のような魔族を積極的に受け入れ、同時に神の信者である村人とも友好的にしていた。辺境で苦労は多かったが、それゆえに魔族も信者も関係もなく、平和に暮らしていた。
そんなときに、母は貴族の領主との間にシュエを身籠ったらしい。
シュエは誕生すると、両親から愛してもらい健やかに育った。
シュエは魔族の血が強かったらしく、年齢を重ねるに連れて《先祖返り》をして角が生えてくるようになった。
神様に愛された証拠だね、と母は言ってくれた。
だから、そのときはまだシュエはこの角を誇りに思っていた。
母の笑顔が嬉しかったから。
そして、サンクティア王国内であの事件が起きるまでは。
その事件以降、《魔族狩り》が流行り、魔族は居場所を失った。
シュエも例外ではなかった。
その日暮らし、生きるために残飯を漁った日もあった。
生の渇望があったわけではなく、ただ死ぬことが怖かったから、ただ生き続けた。
そんなとき、シュエの前に、アネモネ=ブラックウッドが現れたのだ。
──あなたは魔族の中でも、更に特別な力を持っています。
──その力、私の夢のために貸してくれませんか?
リリィ・ガーデンという学舎の校長と名乗った彼女は、そう言って手を差し出してきた。
それが、つい三年前の話で──
「──《
突如としてそんな声が響くと同時に、強烈な熱波が襲ってきた。
途端に意識が現実に引き戻される。
慌てて顔をあげると、目の前には炎が広がっていた。
シュエを守っていた氷の壁が急速に溶かされ、崩落していく。
目の前には、リーダー格の女性冒険者が腕を伸ばして火炎の残滓を振り撒いていた。
その指には魔術の発動に利用されたと思われる指輪。
「ったく、テオ=プロテウス様様よね」
リーダー格の女性冒険者が崩れた氷の壁を踏み砕いて迫ってくる。
「私みたいに学がない冒険者でも、魔術が使えるようになった。知ってる、お嬢ちゃん? 最近は魔術が記録された魔道具を買うだけで、誰でも魔術が使えるのよ。まったく、本人に直接感謝を伝えたいくらいよ」
「──へぇ。なら、ぜひ言ってもらおうか」
「「ッ」」
殺気。
リーダー格の女性冒険者は慌てて後ろへと飛び退くが、他の二人は間に合わなかった。
ごすっ、という鈍い音が響き、二人は地面に崩れ落ちる。
同時に虚空から現れたのは、黒髪の男性教師・テオ=プロテウス本人。
おそらく、第八等級魔術:光屈折を使っていたのだろう。
「……何の用、お兄さん。突然割って入って」
その一瞬だけで実力差を思い知ったのか、リーダー格の女性冒険者はたらりと額から冷や汗を垂らす。
「テオ=プロテウス本人だと言ったら?」
「……はは、冗談は止めてほしいわね。学者先生がこんなところにいるはずがないでしょ。──おい、お前ら行くよ」
分が悪い判断したのか、リーダー格の冒険者は子分の二人に声をかける。
苦悶の声を漏らしながらも、何とか立ち上がる二人。よろよろと頼りない足取りで去っていく。
「じゃあ、また会おうね、お嬢ちゃん」
そう言い捨てるリーダー格の女性冒険者の目は、未だぎらぎらと光っていた。
冒険者たちが去っていた後──
無意識のうちにずっと息を止めていたのか、シュエは慌てて呼吸を繰り返す。
やがて落ち着くと、テオにぺこりと頭を下げる。
「……せ、せんせい……その……ありがとう、ございました」
テオは何かを考え込むように顎に手を当てていた。
シュエのお礼にも何も返さない。代わりに問いかけてくる。
「何故、精霊魔術を使わなかったんだ?」
「…………え?」
「どうして精霊の力を使って反撃しなかった、と聞いてるんだ。シュエ、お前の実力なら撃退することもできたはずだ」
どうしてそんなことを聞くのだろう。
シュエの頭にまず浮かんだのは、そんな疑問だった。
次いで、ある事実に気づいてびっくりする。
シュエの頭に乗っかっている『ゲーちゃん』を精霊だと初見で気づいたのは、テオが初めてだったからだ。
ただ、いつまでも黙っているわけにもいかない。
シュエは頭をフル回転させて答える。
「その…… い、痛いから……です」
「痛い?」
「は、はい。冒険者さんたちが、痛いのは……その、嫌、だな……って思った、からです」
「…………」
もしかして自分は回答を間違えただろうか。
テオは黙り込んだままだった。
シュエがびくびくしていると、テオはぽつりと呟くように言う。
「……そうか。最近はこの辺りで《魔族狩り》の噂もあるらしい。気をつけろ」
「……は、はい……わかり、ました」
ぺこぺこ、とシュエは頭を下げる。
そうして、この場の雰囲気には耐えられずに慌てて走っていった。
テオはシュエが去っていく姿を見ながら、こっそりと尾行していく。
あの冒険者たちがすぐさま狙うとは限らないが、念の為だ。
テオがこの路地裏を通りかかったのは偶然だった。
イザベラにシュエの場所を教えてもらった後、テオが商業区にやってくると、商人たちが魔族の女の子のことを口々に噂しているのが聞こえたのだ。
貴族お抱えでもない限り、魔族はその姿だけで噂になり、排除されるのが常だ。
ただ、このリリィ・ガーデンのお膝元では例外があった。
すなわち、庭園の制服を着た魔族だけには手を出さないという不文律があるのだ。
それだけアネモネ=ブラックウッドの名の影響力は強く、それ故にシュエはセレスト内においては比較的に自由に歩き回ることができる。
とはいえ、リリィ・ガーデンの制服がわからない来訪者──たとえば、先程の冒険者のような存在には通じない論理なのだが。
しかし。
「……冒険者が痛いのは嫌だ、か」
テオは呟く。
一周目の頃から、シュエは優しい少女だった。
それだけではなく、臆病で、引き篭もりがちだった。
一周目のテオはそれを是とし、優しい心は武器であるとすら信じてきた。
だが──あの悲惨な戦いを経験をしてきた二周目では、あれでは駄目だと思ってしまう。
戦うことができない少女を、戦えるようにする。
それが、今回のテオのミッションだった。
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次回は三日後に更新します。
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