シュエ=アマリリス

第6話(プロローグ)




 テオ=プロテウスはかつて生徒を全員失った。

 他ならぬ、テオ自身の教えのせいで。



 だから、二周目の教職を歩むことにはなったときには、やり方を変えることにした。


 たとえ、生徒から嫌われようとも、悪人と思われても──そして、《魔王》とすら呼ばれることになったとしても。



 生徒を失わないために、強く育てることを自身に誓ったのだ。

 もう二度とあんな思いはしたくないから。




 だが、当然、反発はいずれ起きると予想していた。

 強引で、生徒の想いすら踏み躙るようなやり方が肯定されるわけがない。 



 ──そしてその想定通り、現在、テオは教職を失う危機に瀕していた。



 しかし、一つだけ想定外だったのはその理由だった。






「先生、あなたのお噂は兼ねてから伺っております。いえ、《魔術の祖に近き者》《現代魔術の申し子》……そう呼ばれるほど方のことを、魔術師で知らない者はいないでしょう。同時に人格者でもあると」


「………………」


「最近は……いえ、元よりそうだったのでしょうね。少し乱暴な方だということを知りました。ですが、それも問題はありません。天才と呼ばれるような方は、少し性格に難があるものです。我々があなたには求めたのは圧倒的な魔術の才だけ。決して聖職者ではありません」


「…………」


「ですが、まさか『』と称して女子生徒に不埒な真似をしている、というのはさすがに駄目なことは理解していますね? とある生徒がそんなことを言っている、という噂を耳にしたのですが。私の聞き間違いでしょうか?」


「………………聞き間違い、です」


 喉の奥から何とか声を搾り出す。



 放課後。校長室。

 端麗な調度品で整えられた部屋だった。

 足元には真紅の分厚い絨毯。大小様々の絵画が壁には幾つも掛けられている。


 部屋の奥にあったのは、重厚な机だった。

 古くから使われているのか、深い艶を輝かせながら鎮座している。


 そしてその奥に、校長・アネモネ=ブラックウッドが座っていた。


 綺麗な白髪を持つ老淑女だった。

 手には大きな宝石がついた指輪を幾つも嵌めているが、不思議と嫌味は感じない。上品な白の神官服を纏い、机の横には錫杖が置かれていた。

 古くから続く伝統的な格好をしている魔術師。


 その代表格であるアネモネは、老眼なのか、報告書を持ち目を細めながら読み上げる。


「その生徒は他にもこんなことを言っていたようです。『先生にしか感じない身体にさせられた』『抵抗できない状態で何度も痛ぶられた』『もう先生なしじゃ生きていけないのに、最近はお預けばかり』……これも聴取した先生の聞き間違いだと?」


「…………聞き、間違いです」


 ぎりっ、と自分の奥歯が擦り減っていく音が聞こえてくる。


 考えるまでもなく、イザベラの仕業だ。

 もちろん、反発を受ける可能性は考えていた。


 ほとんど無理に心を折ったのだ。

 それぐらいは想定内だった。


 だが──いったい、なんだこれは?


 まさかというレッテルを貼ってまで、僕を庭園から追い出そうとするとは。


 やるじゃないか、イザベラ。


 どんな汚い手を使っても勝つ。

 それこそが『強さ』だとイザベラには教えたつもりであったし、これからも教えていく予定だった。


 その教えをもうここまで使いこなす、とは。

 とんでもない成長だ。


 ……と同時に、テオはある可能性を無理やり脳内から消す。


 すなわち、単純に捻じ曲がってしまった性癖にもとづいて不満を訴えている、というだけの可能性を。



「……と、ここまで読み上げましたが、冗談です」


 不意に、アネモネは剣呑な雰囲気を緩めると、にこりと品のよい笑顔を浮かべた。


「おそらく嫌がらせでしょう。あなたを追い出そうとしたい生徒からの。よっぽど生徒からは人気者のようね」


「……申し訳ございません。校長先生のお手を煩わせてしまい」


「いえ、いいんですよ。こういう訴えは年に数回はあるものですから。ただ我々は教育者。優しく接するだけが職務ではありません。だから、先生のやり方が間違っているというつもりはありません。ただ」


 そこで言葉を区切ると、アネモネは真っ直ぐと見つめてくる。


「ただ、その手法を取るならば徹底的にやりなさい。それがかつて教鞭を取ったときに《女王》とまで揶揄された教師からのアドバイスです」


「……はい、ありがとうございます」


 深く頭を下げる。


 校長・アネモネ=ブラックウッドは、魔術師の育成論について名が知れた教師だ。

 彼女の元からは、有名な魔術師が何人も輩出されている。


 そして、その魔術師たちは現在世界においても大きな影響力を持っており──それは、そのままアネモネ=ブラックウッドの影響力といっても過言ではない。


 卒業した今も、度々《聖女の庭園リリィ・ガーデン》には彼女の教え子たちが挨拶にくる。

 現役を退いても尚、アネモネは魔術師たちが無視できない存在だ。


「そういえば、ちょっとした噂程度ですが」


 テオが校長室から出ていく直前。

 アネモネはふと思い出したように言ってくる。


「最近、《魔族狩り》が流行っているようです。少し気をつけておいてください。あなたの教え子には……いえ、こういう言い方はよくありませんね。


「はい」


 テオは頷く。

 忘れてはいない。あの事件が起きるのはちょうど今頃だった。


「頭に留めておきます」


 そう言って、テオは今度こそ校長室から出て行った。










「先生、校長に呼び出されたようね。いったいどうしたの?」


 校長室から出ると、待ち構えていたのはイザベラだった。

 もしかしてテオがクビの宣告を受けるのを盗み聞きしていたのだろうか。


 あるいは、別の思惑によるものか。

 テオは様子見でまずは事実だけを端的に口にする。


「僕を陥れるために、おかしな噂が流されていたようだ。それで校長先生に呼ばれただけだ。もちろん、虚言だとはわかってもらえたが」


「そう。もしかして、先生と私の仲を嫉妬した奴らの策略かしら」


「…………」


 思案するような、真剣な顔つきをつくるイザベラ。

 テオは何だか考えるのが馬鹿らしくなった。


「ところで、先生。次は何をすればいいのかしら」


 と、思い出したように、イザベラがそう話を切り出してきた。

 頬は何故か熱を持ったように赤く染まっている。


「ご褒美……いえ、先生の直接指導を受けられるレベルになるために、私は何をすればいいの? 言っておくけど、何でもいいわよ。どれだけキツい訓練でも耐えてみせるから」


「…………」


「でも、出来るだけ先生の存在が感じられる訓練がいいわね。もちろん、先生自ら指導してしてくれるならそれが一番よ」


「………………」


 本当に何でもいいわけではないようだった。


 キラキラしたような目で見上げてくるイザベラ。

 いったい、何故こんなことになってしまったのだろうか。



 テオは少しだけ考え、そして思考を放棄した。

 こんなこと考えるだけ無駄だ。


「じゃあ、外周を一◯◯周走ってこい」


 テオが投げやりに言うと、イザベラは浮かべていた笑顔を引き攣らせる。


「……え、一◯◯周? ちょ、ちょっと待って。そ、それいつもの十倍じゃない。さすがに冗談よね……?」


「冗談じゃない。終わるまで次の指導はなしだ。お前が指導を受けたくないならいいが──」


「い、いえ、やるわ。やってみせるわ。待ってなさい。爆速で終わらせるから。一瞬もしかしたら普通に嫌がらせかも、と思ったけどそんなわけないわよね。先生はいつも私のことを考えてくれてるもの」


「いや普通に嫌がらせだ」


「ふっ、先生も意地悪ね。口ではそうは言っても、先生には深い考えがあるのはわかってるわ。一見理不尽にも思えるけど、これも強くなるため、なのよね?」


「いやただの理不尽だ」


「じゃあ、行ってくるわ。今日中に必ず終わらせてくるから待ってなさい!」


 喜び勇んで外へと走っていくイザベラ。

 テオは可哀想な子をみるような視線で彼女を見送った。











 ──と、その前に、一つだけ聞きたいことがあったので呼び止める。


「イザベラ。そういえば、シュエの場所を知っているか?」

「……ん? あの子? そういえばさっき外に出ていくのを見かけたけど」



 そう言って、イザベラは自身が推測するシュエが向かった場所を教えてくれる。

 その場所は、リリィ・ガーデンがある街・セレストの商業区。


 テオはそれを聞くと、今度こそイザベラを見送る。


 



 つい先日、イザベラの心をへし折ったことで、彼女は劇的な成長を見せつつある。

 戦いを、そして戦争をくぐり抜けるにはまず何よりも体力が必要だ。

 イザベラはその弱点を克服しつつある。

 何よりも、テオが目指す『強さ』へと歩みつつあった。



 だが、それだけで終わりではない。

 テオの教室はまだ他の教え子がいるのだから。


 そして、次はシュエ=アマリリスという少女がターゲットだった。


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