第5話
保健室。
テオはベッドに気絶したイザベラを運び終えていた。
保健医はちょうど離席していた。
仕方なく幾つかの簡単な回復魔術をかけたうえで、テオは保健室から出ていこうとする。
その寸前。背中に声をかけられた。
「せん、せい……ちょっと、待って」
振り向くと、イザベラがベッドから起き上がるところだった。
頭を振り、状況を把握するように周囲を見回す。
やがて、決闘の後に意識を失って保健室まで運ばれたと理解したのか、イザベラは放心したような顔つきでぽつりと呟く。
「……私、気絶したのね」
「そうだな」
「……私は、目指す方向を間違えてたの?」
「ああ、そうだ」
きっぱりと断言する。
はっきりと言われたせいか、イザベラは悔しそうに唇を噛む。
窓の外では雨は止み、代わりに雲の隙間から斜陽の光が差し込んできていた。
オレンジ色に染まる保健室。
テオはその光景を見ながら言う。
「イザベラ、お前は優秀だ。今は兄弟姉妹、あるいは同級生にも劣っているだろう。だが、このまま努力していれば、一年後には宮廷魔術師を超える魔術師にはなれるはずだ」
「それは……凄いこと、じゃない」
「ああ。でも、それだと死ぬ」
「……死ぬ?」
「戦いでは、使えない魔術師になるということだ」
サンクティア王国の周辺では長らく戦争が起きていない。
それゆえに、宮廷魔術師といえども、戦闘に特化した技量は軽視されやすい。
それよりも派手で、強力で、見栄えが良い魔術を習得していることが評価されやすい。
たとえば、等級が高いような魔術が。
一周目は、テオはイザベラの希望もあって彼女の長所を伸ばすように教えた。
結果として、イザベラは宮廷魔術師を超える存在になった。
だが、それは決して戦闘に強いという意味ではなかった。
強力な魔術を撃ち放つ固定砲台としては有用だったかもしれない。
未来で起きるはずの戦争でも『英雄』と称されるほどの評価は得たかもしれない。
しかし、それも戦争が開始した直後までだった。
何度も食い下がる合成獣の群れに、イザベラは度々移動すること強制させられ、体力の限界が早々にきた。
そして殺されてしまった。そう聞いている。
だから、そんなイザベラの意識を早々に変える必要があった。
とはいえ、イザベラは人の話を素直に聞くタイプでもない。
一周目でも苦労し、時間をかけて彼女の信頼を勝ち取ったのはよく覚えている。
でも、今はそんなに時間をかけていられない。
そう遠くない未来で戦争が起きることがわかっている以上、強くなるための修練に時間をかけたい。
故に、彼女のプライドをへし折った。
徹底的に。それは間違っていると伝えるために。
「このままでも、お前はきっと立派な魔術師にはなるだろう。だが、それでいいのか? 使えない魔術を習得するのが、お前が本当に目指したい姿か? 誰からも認められる、弱みがない絶対的な存在になる。それがお前が望む姿だろう」
テオのそんな言葉に、イザベラは顔を俯かせて。
「……じゃあ、どうしろって言うのよ」
ぽつり、と呟き、自嘲気味に笑った。
「強くあれ。そんな父の教えを守るために頑張ってきたわ。兄や姉に、同級生に勝つために。強くあるために、たとえ傲慢に思われようとそう振る舞ってきたわ」
イザベラは憔悴したような表情を浮かべる。
「目指している方向が間違っていることはわかったわ。決して強いわけではないことはわかったわ。でも、どうしろって言うのよ。私はこれしかやり方を知らないのよ」
「僕を信じればいいだろう」
「────え」
イザベラが顔を上げる。
対して、テオはまっすぐと見つめ返した。
不敵な笑みを浮かべながら。
「僕を信じろ。もっと傲慢になれ。等級が高い魔術を使えるだけで満足するな。それを戦いで活かせられるほどの、絶対的な存在になりたいと願え」
「──僕が必ずお前を高みに連れて行ってやる。だから僕を信じて従え、イザベラ=ルミエール」
言いながら、テオは彼女に手を差し出した。
最低な方法であることは自覚していた。
生徒の心をへし折り、選択肢を奪い、再起を促す。
乱暴に、その心の隙間に入り込む。
一周目のテオでは、絶対に取らなかった──取ることができなかった方法だった。
果たして、イザベラの表情は目まぐるしく変わった。
最初は、はっと驚いたように大きく目を見開き。
次に、どこか陶酔したようにテオを見つめ。
最後には、イザベラは頬を染めながらテオの手を取った。
「わかったわ、あなたを信じるわ。高みに行けなかったら、絶対に許さないから」
「──だから、これからよろしくね、先生」
イザベラは気恥ずかしそうに小さく笑みを見せてきた。
「……ところで、なのだけど」
と、そこで。
イザベラは金髪の髪先を指でくるくると弄りながら、明後日の方向を向く。
頬だけではなく、耳の端っこまで真っ赤にしながら。
「……つ、次の訓練はいつあるのかしら?」
「………………は?」
「だから、あなたが私に『指導』をしてくれる日はいつなの、って聞いてるの。か、勘違いしないで。あ、あんな屈辱なんてもう二度と味わいたくないわ。みんなが見ている中、魔術すら使わせてもらえず、一方的に地面に何度も押し倒されて。足でお腹をぐりぐりって押しつけられて、ぞ、ぞくぞくするような冷たい視線で見下ろされて……」
「………………」
「で、でも、仕方ないわよねっ。強くなるためだものっ。だから、嫌で嫌でたまらないけど、スケジュールを確実に空けておくわ。ねえ、先生。次はいつなのよ」
「………………」
テオは無言で保健室の外へと視線をやった。
嫌味なぐらい、綺麗な夕日が見える。
確かに、生徒の心をへし折るつもりでやった。
すべては生徒を変えるために。
だけど、性癖まで変わるのは、現代魔術の天才と呼ばれていても想定できなかった。
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イザベラ編は終わりです。
次は明日更新します。
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