第4-2話




「──《接続、開始コネクト》」



 イザベラは魔力を熾すと、制服にも循環させていく。

 魔力が導火線の如く現れ、淡く輝く線は制服にも刻まれていく。


 リリィ・ガーデンの制服はただの衣ではない。

 魔術的防護はかかっているだけではなく、この制服自体が術式を記憶する『器』だ。



 つまり、第四世代の魔術。

 一般的に術式の等級が高いほど、術式を記憶する『器』も大きくなくてはならない。


 だが、イザベラのように先天的に術式許容量が低い『弱者』であっても、第四世代の魔術であれば行使することができる。



「《術式解放リリース──!」


 イザベラは腕を伸ばして、人差し指で魔術の指向性を決定する。

 次いで、制服に留めておいた術式からお気に入りを選び取る。


 炎や光の魔術を代々得意としてきたルミエール家の十八番。

 第四等級魔術:陽光巨槍フレア・スピア



 第四世代の理論がなければ習得できなかったそれを、イザベラは放とうとし。




 ──テオの姿がどこにもないことに気づいた。



「…………は?」


 慌てて首を動かすが、テオの姿が見つからない。

 ほんの一瞬前までいたはずなのに、いったいどこに──


「ッ!」


 何かが接近してくる気配。

 イザベラの五感がそれを察知したときには、もう遅かった。


 視界がひっくり返り、頭が地面に激突する。

 自慢の金髪が泥に塗れて、口の中にまで入ってきた。

 気がつけば、イザベラは雨が降り注ぐ曇天を見上げていた。



 足をひっかけられて転ばされたのだ、と理解し、慌ててイザベラは起き上がろうとする。


 しかし、それより先に、テオの指が脳天に突きつけられた。

 零距離。テオは魔術を唱えてはいないが、この距離ではたとえ第八等級魔術しか使えないとしても完敗だった。


「……い、いったいなんのつもり?」


 イザベラは声を震わせる。

 魔術戦の決闘を申し込んだつもりだった。


 本来、魔術戦とは言葉通り魔術の撃ち込み合いだ。

 片方が魔術を撃てば、片方は防御魔術で受ける。


 とはいえ、それがルールというわけではない。


 必然的にそうならざるを得ないのだ。

 近づけば、高速で迫ってくる魔術を躱すことも防御することも難しくなる。剣術家や騎士相手ならともかくとして、魔術師同士ならばそうなるはずなのだ。


 だというのに、



「何でもありなんだろ」


 学者であったはずのテオは、冷たい声で言ってのけた。


「距離は二十歩分程度。熟練の魔術師ならともかく、相手はただの生徒。なら、魔術を撃たせない方が遥かに簡単だ」

「それ、は──」


 テオの言う通りだった。

 そんなことが本当にできるなら、何も間違ってはいなかった。

 だが、それはイザベラが魔術戦すらさせてもらえないことを意味していて。


「それで、どうするんだ?」

「なにが、よ」

「僕はまだお前に魔術を撃ってないぞ。まだ続けるか? それとも諦めるか?」

「────」


 嘲るような笑みを浮かべるテオ。

 そのわかりやすい挑発に黙っていられるほど、イザベラは性格がデキてはいなかった。


「やるに決まってるでしょう!」


 吠えて、イザベラは再びテオから二十歩分離れる。

 今のは油断していたからだ。自分にそう言い聞かせて構える。



 そうして──屈辱の時間が始まった。










 ──なんなのよ! なんなのよ、これは!


 何度も転ばせられ、泥を食べさせられ、立ち上がるたびに、イザベラは怨嗟の声を内心で吐き続けた。


 こんな状況は想定していなかった。


 もちろん、現代魔術の天才に勝てるとは思ってなかった。

 魔術の腕が下手だと、馬鹿にされる可能性だって想定していた。


 でも、こんなのは──使は考えてもなかった。




 ──私には魔術戦に立つ資格もないってこと?



 転ばされる。



 ──私が今までやってきたことは何だったの?



 転ばされる。



 ──私が、家族に見返されたいって……あの女に勝ちたいって思うこと自体、無謀な夢だったの?



 転ばされる。転ばされる。転ばされる転ばされる転ばされる転ばされる転ばされる転ばされる転ばされる転ばされる転ばされる転ばされる転ばされる転ばされる転ばさ転ばさ転ばさ転ばさ転ばさ転ば転ば転ば転転転転転転転転転転転転転転転転転────。



 いったいどれほどの時間が経っただろうか。

 自分が最も得意とする大技の魔術を使おうとする度に何度も転がらされ、半ば無意識的に立ち上がるなか、テオの声がで聞こえてくる。




「イザベラ、お前が望んだ《強さ》は本当にそれか?」



「等級が高い魔術を覚え、行使する。それが、お前が望んだ《強さ》ではないのは理解しただろう?」



「家族に、カリナに、社会に。自分の力を証明したかったんじゃないのか?」



「──。いつまでそんなくだらないプライドを守っているつもりだ?」






「────っさいわよッッ!」


 イザベラは叫びながら己の両頬を引っ叩いた。


 じんじんと痛みが走り、熱を持つ。

 だが、頭は冷静になっていた。



 次は何十回目かわからない決闘が始まるところだった。


 周囲を見てみれば、小雨はいつの間にか大雨になっており、第七庭園の生徒たちはとっくに修練場にはいない──


 いや。

 よりにもよって、最も見られたくない女──カリナだけが大雨の中、濡れたまま見守っていた。


 しかし、それならば余計に無様な姿だけを見せるわけにもいかなかった。



「ッ」


 イザベラは先手を取って魔力を熾す。

 魔術は一度も発動できないものの、そろそろ限界は近かった。


 魔力の熾りを感知してか、再びテオの姿が消える。


 だけれど、冷静に考えてみれば、テオの姿が文字通り消えるはずがないのだ。

 瞬間移動、というわけでもない。


 それならば、テオが消えてからイザベラが転ばされるまでに時間差がある理由に説明がつかない。



 考えろ。テオがいったい何をしているのか。

 考えろ、考えろ考えろ考えろ────ッ!


「────あ」


 と、そこで。

 イザベラはあることに気づいた。


 雨でぬかるんだ地面。

 それに靴跡が残されながら、素早く近づいてきていたのだ。


 つまり、姿を消しているのではなく──光を操り、イザベラの視界を誤魔化しているのだ。


 第八等級魔術:光屈折スペクトラム


 奇しくも、ルミエール家が得意とする光の魔術。

 しかし、ここまでの精度は見たことがない。


 相手が視線を動かせば、それに合わせる必要があるからだ。

 完全に姿を消したと見えるほどの精度は、ルミエール家の当主でさえできると聞いたことがない。


 ──この天才がッ!


 イザベラは内心で咆える。


 でも、理屈さえわかれば打つ手はあった。


 イザベラは無意識に魔術を行使する。

 そして、それはこれまで頑固に選択してきた大技ではなかった。


 第八等級魔術:身体強化フィジカル・エンハンス


 この二週間走る際に行使していた魔術が、極めて円滑に発動する。



「──はああああああああああああああ!」


 視界には映らないが迫っているはずのテオに向けて、イザベルは蹴りを全力で放つ。


 果たして、それは確かな衝撃とともに『何か』にぶつかった。

 一拍遅れて光のヴェールが剥ぎ取られて、テオの姿が現れる。


 イザベラの蹴りは、テオの片腕に止められていた。

 それでも、イザベラにとっては前進だった。


「正解だ」


 テオの端的ではあるが確かな賞賛とともに、イザベラは頬を緩めながらその場に崩れ落ちかける。


 それを寸前で受け止めたのはテオだった。

 テオの腕を支えにしながら、イザベラは何とか立つ。


 だけれど、それも限界だった。

 これまで引き締めていたはずの気が緩んで、途端に気怠さが襲ってくる。


「……戦場で有用な魔術の一つはこれだった。極めればこれほど使い勝手がいい魔術もそうはない」

「……戦、場……?」


 テオ=プロテウスが戦場にいたという話は聞いたことがない。

 されど、すぐに何かの聞き間違いだろう、と思い直す。

 代わりに、何故かはわからないが、無意識のうちにこんな言葉が漏れ出た。


「見な、さい……私、すごい……でしょう……?」


 認めてもらいたかったのかもしれない。

 少なくとも、現代魔術の天才に。

 目の前で超絶的な技術を見せてくれた魔術師に。



 イザベラの意識はここまでだった。

 最後の数秒、何か言葉が聞こえたような気もするが、あれも幻聴だろう。



 だって、ぶっきらぼうで、どこかおそろしい先生があんなことを言うはずもないのだから。


 あんなにも優しい声で。





「そうだね、イザベラ。君は凄いよ」




「──昔から、それも知っているよ」



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