第2話



 ──魔術と神は密接に関係している。



 かつて神は《選ばれし者》たちに自身の力を与えた。

 それは魔法と呼ばれ、神の一部の力を行使することを許されたものだった。

 だが一方で、それは決して、彼女たち以外が使えるものではなかった。


 だから、《選ばれし者》たちは神に許しを貰ったうえで術として昇華させた。


 すなわち、自分の弟子たちが使えるものへと。

 それが、魔術の始まりであると言われている。











 聖女リリィが創設したと言われる女性魔術師教育機関──《聖女の庭園リリィ・ガーデン》。


 その学舎は、サンクティア王国の中心から少し離れたセレストと呼ばれる街にあった。


 一言でいえば、セレストは魔術と歴史が入り混じった街だった。

 魔術と神の密接さを示すように、街の中心には歴史がある教会の施設が並ぶ。

 だが、その実は魔術で補強された建物ばかりだ。


 決して一般にまで普及しているとは言い難い魔術だが、この街では比較的身近にあるものだった。



 街の中心を教会エリアとすれば、

 東には交易が盛んな商業エリア、

 西には貴族が住むエリア、

 そして南には、ゆたかな田園風景とともに庶民が住むエリアが広がる。


 そして、リリィ・ガーデンは街から見て北部エリアに位置していた。

 巨大な城であり教会でもあるその学舎は、周囲が広大な森で囲まれていた。



 特徴的なのは、制服まで神官を想像とさせる純白の衣であることか。



 ともすれば、敬虔なシスターが集まっているようにも見えるが、彼女たちは魔術師の卵だった。


 魔術は神の力の一端を振るう術理である。

 神への信仰が深ければ深いほど、魔術師として大成するという考えを持つ者も決して少なくない。

 かつては、神官と魔術師の区別すらなかったというほど。

 だからこそ、魔術師の格好が神官に似てしまうのも、ある意味当然ではあった。

 そんな学舎で──



「…………」


 テオは呆然と目の前に広がる光景を眺めていた。


 死んだはずだった。

 片眼鏡の男の手によって。

 合成獣に頭から食われて、テオは死んだはずだった。


 ──だというのに、この光景はなんだ?


 花が咲き誇る庭園。

 敬虔なシスターにも思える女子生徒。

 歴史ある古びた校舎。

 テオの記憶通りならば、戦争がはじまった際に全て失ってしまったはずものだった。

 

 なのに、全て元通りになっている。



「…………」


 よろよろ、とテオは歩く。

 擦れ違う女子生徒たちに挨拶されるが、返事をかえす余裕もない。


 まるで夢の中にいるようだった。


 あまりにも手垢がついた表現だが、同時に無理もないと思っていた。

 何故なら、同僚の教師に確認したところ、間違いなく今日は三年前の始業日だったからだ。

 夢だと思ってしまっても仕方がない。


 しかし、古典的な方法かもしれないが、テオは既に自分の頬を思いっきり引っ張って確認していた。

 結果は痛かっただけ。

 ということは、おそらく夢の中ではないのだろう。


 ……あの死の記憶こそが夢だという可能性はないだろうか?



 つまり、先程まで四年間分の夢を見ており、つい先程その夢が覚めたという可能性は?


 これに思い当たったのが十分前。

 現状では、これが最も高い可能性だった。


 ただテオが知る限り、現実としか思えない夢を何年も見せる魔術は存在しない。

 もしそんな魔術があれば、失われた《魔法》の域に達している、といっても過言ではないだろう。



 だけれど、もう一つの、あまりにも馬鹿馬鹿しい可能性に比べればまだ信憑性があった。



 テオはそれを確認するために、とある場所に向かっていたのだが。

 その光景を見たとき、テオは自身の推測を何も信じられなくなった。






 仮にテオの記憶が正しかったとして、初めての始業式の日を『一周目』とした場合。

 一周目では、カリナは校舎裏にある修練場の武器庫の剣に、一人でこっそり簡易的な《防護魔術》を掛け直していた。

 授業の修練では、生徒たちが怪我をしないように刃を『防護』することが多い。

 だが、何度も使っていれば刃こぼれするように防護魔術を擦り減っていく。


 故に、定期的に誰かが掛け直す必要があるのだが──本来であれば、三年生であるカリナの仕事ではない。


 一年生が魔術の練習も兼ねて担当することが多い。

 だから、たまたま修練場に訪れたとき、カリナが一人で防護魔術を掛け直していた光景を見てびっくりしたことは、今でもはっきり覚えている。





 ──そして、二周目でもその光景は同じだった。





「あれ? 先生、どうされました?」

「……いや、なんでもない」


 修練場の武器庫。

 テオの記憶通り、カリナは古びた剣に防護魔術を掛け直していた。


 既に何度も魔術を掛け直したのだろう。

 床に何本もの剣が転がっている。

 そしてその全てに掛けられた魔術のカタチがほんの少しだけ歪だった。

 

 魔術のカタチとは、紋様のことだ。


 紋様が整っているほど魔術は効力を持ち、崩れるほど効力を失い──最悪は発動しない。


 つまり、魔術のカタチを整えることは基礎中の基礎といってもいい。

 だが、カリナが描いた魔術は決して綺麗とは言えなかった。


「その……見なかったことにしてくれませんか?」

「え?」

「私が、ここで練習していることです」


 テオの視線に何かしらの意味を見出したのか、カリナは顔をほんの少しだけ赤らめて俯かせる。


「恥ずかしながら、私は三年生になっても魔術を描くことが苦手で……だから、いつもここで練習をしているんですが……その、なかなか上達せず」

「ああ、知ってる」

「え?」

「……担当する生徒たちの情報はちゃんと把握しているからな」


 思わず口に出てしまった言葉を、変に思われないように補足する。


 カリナ=ルドベキアという少女は、一年後には《聖女リリィの再来》と称されるほどの実力を持っている。

 しかし、今の時点では才能はあるものの、際立った存在ではなかった。


 魔術の細かい作業が不得手で、身体を動かすことが得意。

 そんな、どこにでもいる少女の一人だった。



「魔術の練習をするときには、魔術の紋様は全て消した方がいい」


 気がつけば、テオの口からはそんな言葉が発せられていた。


「何本か直接、紋様を上書きしてるだろ? それは高度な技術だ。いずれは必要になるかもしれないが、まず習得したいなら全てリセットすることだ。それから注ぎ込む魔力量を一定にすることだ。どれもバラバラになっている。あとは──どうした?」

「いえ、その……少しびっくりしただけです」

「びっくり?」


 オウム返しに訊ねると、カリナは頷く。


「先生の噂は知っています。ですが、今日初めてお会いしたときには印象が噂とは違いましたから。てっきり、その……教職は望んでおられないのかと」

「僕が嫌々ここに来ている、とでも?」

「雰囲気に敵意のような感情が混じってましたから……いえ、失礼な発言でした。忘れてください」

「いや……」


 カリナの指摘はもっともだった。


 テオの記憶では、ほんの数時間前まで戦場にいたのだ。

 確かに、夢を見ていた可能性がある。

 魔術で見せられた幻想を見ていた可能性がある。


 だけれど、あの数々の感覚は夢であったとしても、テオの性格を変えてしまうには十分だった。

 そのせいで、口調も、雰囲気も、ずっと戦場のときのまま──ぶっきらぼうなままだ。


 かつて生徒と接していたとき、自分はどのように振る舞っていただろうか。

 記憶の糸を辿りつつ、辿々しく言葉を発する。



「……ごめん……そんな、つもりじゃ、ないんだ。ただ、ちょっとびっくりしていてね」



 何が真実で、何が虚実なのか、判断がつかない。

 目の前にいる彼女が本物なのかすら、正直わからない。


 それでも、もう一度カリナに──教え子たちに出会えたことを感謝していることだけは紛れもない真実だった。


「君たちを……教えるのが、嫌なわけじゃない。もう一度……いや、君たちの先生になれて、本当に、光栄だと思っている」

「それは私もです。《魔術の祖に近き者》《現代魔術の申し子》……数々の異名を持つ方の授業を受けられること、本当に光栄に思っています」




「──これから一年間よろしくお願いします、先生」




 ……ああ。


 その言葉を、その台詞を聞くのは初めてではなかった。

 初めて始業日を迎えた『一周目』、カリナはあのときにも同じことを言っていた。



 果たして、魔術で夢を見せたとして──まったく、同じ台詞を現実でも言わせることは可能だろうか?


 そんなことはできるわけがない。

 仮にできたとしても、その夢は限りなく『未来』に近いことに変わりはない。



 あの夢で見たことが、テオがその身で体感したことが、そのまま現実でも起こり得る可能性が高い、ということに変わりはない。



 つまり、未来の夢を見たにせよ、未来の時間軸から過去に戻ってきたにせよ。




 ──



 あの片眼鏡の男の手によって。

 そんなこと許せるはずもなかった。



 ならば、どうするか。


 一年半後に始まる戦争を止める? 

 ただの教師であるテオが?


 それは不可能に近いだろう。

 だいたい、あの片眼鏡の男の目的がわからない以上、戦争を止めたとしても解決されるかわからない。別の形で争いが発生する可能性だってある。


 そのとき、おそらくテオの教え子たちは招集される。

 七人の英雄とまで称される彼女たちを、国が放っておくはずもないだろう。



 テオの目的は、あくまで教え子を救うこと。

 だとすれば、教師であるテオが取れる手段はただ一つだ。



 ──魔術は『人殺しの道具』じゃない。『人を救うための術理』だ。

 ──その心はずっと持っていてほしい。


 あんな馬鹿なことを教えてしまったから、テオの教え子は死んでしまった。

 今、このサンクティア王国に長らく戦争はない。


 だけれど、将来あの片眼鏡の男は戦争を起こすだろう。

 だとすれば、そのときに備えておけばいい。

 教え子はもちろん、テオ自身も含めて。



「そういえば、カリナ。君は……『魔術で苦しむ人々をすべて救う』のが夢だったね」

「はい、そうですが……どうしてそれを?」

「さっきも言った通り……担当する生徒たちの情報は、ちゃんと把握しているんだ。それで一つ聞きたいんだけど……君はその『夢』と『生』を天秤にかけたとき、どちらを選ぶ?」



 夢に殉ずるのか。

 夢を諦めても生を選ぶのか。


 前提も何も説明していない二択。

 だが、それでも、カリナは迷うことなく即座に答えを選び取る。




「──もちろん、夢です。それが、私が存在していい理由ですから」




「……そう言うと、思ったよ」


 本当は言って欲しくなかった。

 だが、同時にカリナならそう言うだろうという予感もあった。


「明日から授業だ。絶対に遅れるな」


 優しい先生の口調を捨てると、カリナに背中を向けて、テオは前へと歩き出す。



 覚悟は、決まった。

 魔術は『人を救う術理』だと教えたから、テオの教え子は死んだ。


 戦争で甘い考えを持ち続けた。

 だから、もうそんなことは教えはしない。


 甘い気持ちを捨てさせ、戦闘に特化させる。

 なぜなら、魔術は『人殺しの道具』で『相手を傷つけるためもの』だからだ。

 テオはあの戦争で嫌というほどそれを思い知った。



 しかし、普通にやったのでは確実に間に合わないだろう。



 たとえ、生徒に嫌われてもいい。悪人だと思われてもいい。カリナの、教え子たちの大事な夢を踏み躙って捨てさせてもいい。

 いや。



 ──こちらこそ七人の悪魔を育て上げた悪辣な教育者! 

 ──彼が存在する限り、悪魔は次々と生まれてくる! 

 ──故に、今ここで終止符を打とう!





 ──



 たとえ、などと言われてもいい。

 何をしたとしても、最速で彼女たちを強く育てよう。





「……それでも、僕は教え子には生きていて欲しいんだ」




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