第1-2話



 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!


 地鳴りがするほどの歓声。

 いや、憎悪の声だ。


 テオは牢屋から引っ張り出されると、その苛烈な大気の震えを直接食らった。

 テオが捕えられていたのは、自国とライヴェルトの国境周辺にある城の牢屋だった。


 兵士たちにその城のバルコニーにまで引き摺られると、無理やり立たされる。


 バルコニーからは大広場の光景が見えた。

 埋め尽くさんばかりのライヴェルトの兵士。


 一つ一つの言葉を聞き取ることはできないが、怨嗟の想いを吐き出しているのだけはその鬼気迫る表情から読み取ることができた。


 圧倒的な音の爆弾に、テオは思わず吐瀉しそうになる。

 だが、敵の前で無様な姿を見せるわけにもいなかった。



「──諸君!」


 その音の津波に割ってはいるように、片眼鏡の男が声を張り上げた。

 何かしらの魔術を使っているのだろう。

 大音量で憎悪の声が喚き散らされているにもかかわらず、片眼鏡の男の声は通った。


「この戦争が始まる前から、我々はずっと奴らに苦しめられてきた! 特に、カリナ=ルドベキアを初めとする若き《七人の悪魔》のことはよく覚えているだろう! 奴らは我々の街を壊滅させ、合成獣を放ち、戦争を仕掛けてきた! 我々がたゆまぬ努力で合成獣を従える術を身につけると、今度は幾つもの街の民間人を焼き尽くした!」


 何を──言っているんだ?


 テオは片眼鏡の男の言葉が理解できずに、内心で叫んだ。

 街を壊滅させたのも、合成獣を放ったのも、戦争を仕掛けてきたのも──全部、お前らじゃないか。


 なのに、何故、テオたちが仕掛けたことになっているのか。



「っ!」


 テオは否定するために声を張り上げようとするが、口をぱくぱくとするだけで音は発せられなかった。


 まるで見透かしたようなタイミングで、ちらり、と見下ろしてくる片眼鏡の男。

 ぱちりとウィンクをし、口を動かす。音としては聞こえなかったが、その唇の動きを読むだけで何を言ったかはわかった。



 ──黙っていたまえ。



 こいつは──こいつはッッ!

 おそらく魔術でテオの声をを奪っているのだろう。何度声を発しようとしても自分の耳にすら届かない。

 物理的に腕や足は金具で拘束され、魔術も封じられてしまっている。

 何一つとして抵抗することもできない。


 テオが必死に争っている間にも、片眼鏡の男は演説を続ける。



「だが、もう安心してほしい! 不安の種は取り除かれた!」




「何故ならば、《七人の悪魔》の最後の生き残り──カリナ=ルドベキアも討ち取ったからだ! 諸君、我々は勝利に大きく近づいたのだ!」



「────」


 声は、出なかった。

 だが、あらん限りの声を発して否定したかった。


 カリナが死んだなんて、そんなわけがない。《聖女リリィの再来》と言われたすら彼女がそう簡単に死ぬわけが──


 しかし。


 胸の内に何とか掻き集めた希望を、片眼鏡の男はとある物をどこからか取り出して掲げたことで、呆気なく打ち砕いた。


「とはいえ、最悪の悪魔、カリナ=ルドベキアを打ち倒したとは素直に信じられない者もいるだろう。それほどまでにあの悪魔はしぶとかった。故に、諸君らには特別にその証拠をお見せしよう」




「──カリナ=ルドベキアの首、だ」




「──────」


 果たしてこの十分足らずの間で、何度驚愕したことだろう。


 片眼鏡の男が掲げた首は、あどけない少女のそれだった。

 綺麗な輝きを誇っていた金髪は汚れのせいか燻んでいる。芸術品のような顔には数多の戦場を駆け抜けたせいか、幾つもの傷が刻まれている。



 それでも見間違いもない。

 紛れもなく、テオの教え子であるカリナの首だった。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」



 再び熱狂的な歓声が爆発し、音の爆弾が耳朶を打つ。

 大気が震え、身体が揺さぶられ、テオはその場に吐瀉した。


 まともな物を食べなかったせいか、胃液が出てくるのみだったが、何度も何度もえずいて吐き続ける。


 夢、だと思いたかった。

 デキが悪い夢だと。



 だが、これは。この身を叩き続けるような音の衝撃は、どうしようもなく現実であることを伝え続け──





「ところでね、君には一つだけ言いたいのだが」


 と、そこで。

 熱狂的な歓声が広場に響き渡り続けるなか、片眼鏡の男はテオの耳元でぼそぼそと囁く。


 またもや魔術でも使っているのだろうか。

 小声にも関わらず、男の声は妙にはっきり聞こえた。



「どうやって、カリナ=ルドベキアを殺せたと思う? 《聖女リリィの再来》とまで言われる彼女のことを」


「わからないだろうねぇ。君も疑問に思っているんじゃないのかい? だが、現実は驚くほど間抜けな話なんだ」


「あのカリナ=ルドベキアはなんと戦場にもかかわらず、人間に対しては可能な限りを不殺を心がけていたんだ。まあ、それでも、なんとかできてしまうのが、彼女の強さなのだが……そんな甘ちゃんならば、やりようがある」


「君の国の兵士に魔術爆弾を括り付けて送り返してやったのさ。さすがに何人も同時にそれをやられれば、あの聖女様も対処できなかったみたいだね。幕切れは、本当に呆気なかったよ」


「人類の至宝とすら呼ばれた彼女が実に悲しい最期じゃないか。まったく、可哀想だ。ああいや、彼女の最期ではないよ」


「──良い教師に恵まれてなかったことが、だ。きっと愚かで甘ちゃんな教師に教えられたんだろうねぇ。ああ、本当に可哀想に。教師がまともであれば、きっと彼女は──いや、七人の英雄たちは全員生きていただろうに」



「わかっているだろうが、彼女たちが死んだのは君のせいだよ。




「──、──、──────ッッッ!」


 言葉なき咆哮が喉から漏れる。


 目の前の男をぶっ殺してやりたい。

 ぐちゃぐちゃに潰して足蹴にしてやりたい。

 何よりも、片眼鏡の男の言う通り、彼女たちが死んだ原因である自分を殺してしまいたい。



 だが、現実には身動きを取ることも、声を荒げることもできなかった。

 そんなテオを見て──




「あひゃ、あひゃひゃひゃ、ひゃははははははははははははははは、あははははははははははははははははははははははははははははははははははははは──────ッッッ!!」


 何がおかしいのか、片眼鏡の男は腹を抱えていて笑っていた。


 一瞬だけ叫ぶことも忘れて呆気に取られるテオに、片眼鏡の男は楽しくて堪らないように指で涙を拭う。


「あひゃ、ひひっ……ああいや、悪いね。だが、この瞬間が楽しみで生きているようなものでね。君のような顔をたくさん見るために戦争という手段を取ったといっても過言じゃないのさ。それで待ちに待った瞬間が来たと思ったら、君の顔が私の予想を超えてくるからねぇ。何度見ても──あひゃ、あひゃひゃ、ひひひひひひ!」


「お前は……お前は何者なんだッ!」


 魔術が解けたのだろうか、テオの声が久しく発せられる。


 片眼鏡の男は周囲の兵士とはまったく異なる格好をしていた。最初は貴族だからこそ、上質で違う服装を身に纏っているのかと思った。


 だが、別の可能性もある。

 すなわち、そもそも隣国とはまったく異なる組織に所属している可能性が。



 片眼鏡の男はにやりと片頬をあげてみせる。


「私かい? まあ、君はそろそろ死ぬのだったね。ならば特別に教えてあげよう」



「──君の推測の通り、私はライヴェルトの人間ではない。《正神教会》。正しき神を追い求める者さ、どんな手を使ってでも──戦争を引き起こしてでもね」



 ああ。

 直感にも似た感覚が全身を駆け抜け、テオは確信した。


 こいつだ。

 自国も、ライヴェルトも関係ない。

 合成獣を放ち、ライヴェルトを襲わせ、今度はテオの国を襲い、戦争を引き起こしたのは。

 テオの教え子たちが死ぬきっかけを作り出したのは。

 二つの国の善良な人々を陥れて憎しみあう結果をつくったのは。


 こいつだ──こいつこそが全ての元凶だ!



 片眼鏡の男は広場に向き直ると、魔術を利用して再度声を張り上げる。


「諸君! 今日はカリナ=ルドベキアを打ち倒した記念すべき日だが、喜ばしいのはそれだけではない! 紹介しよう、こちらこそ七人の悪魔を育て上げた悪辣な教育者! 彼が存在する限り、悪魔は次々と生まれてくる! 故に、今ここで終止符を打とう!」




「──彼こそが《魔王》テオ=プロテウスだ!!!」




 何度目かわからない盛大な音の爆弾が、テオの体躯に叩きつけられる。

 先程までと違ったのは、すべての憎悪がテオに向けられていたことだろう。


 あいつのせいで。あいつが存在したから。死ね、報いを受けろ、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね──────!



 無数の人間から怨嗟の声をぶつけられ、ついにテオの中で大事な『何か』が壊れた。



「は、はは、ははは、かっ、はハハハハハハハハハハハハ──────────ッッ!」



 何もかも馬鹿馬鹿しくなり、高笑いをあげてしまう。


 理由を知らなければ、何も知らなければ、テオの振る舞いはまさしく悪辣な『魔王』そのものだった。




「何か言い残したいことは?」

「殺してやる」


 テオは嗤いながら、そう言い放った。


「──殺してやるッ! 絶対に殺してやるッ! お前だけはッ、お前だけは絶対に許さないッッ! 僕の教え子を殺したお前だけはッッッ! 死んでも、どんな手を使ってでも、お前だけは必ずッッッ!!」


「あひゃ、ひゃはははははは! 素晴らしい素晴らしいよ! テオ=プロテウス! まったく期待していなかったが、最高のショーだった!」


 片眼鏡の男は呼応するように叫びながら、両腕を大きく広げる。


「悪辣な《魔王》には我々の手ではなく、彼らの作品によって死ぬのが相応しい! そうだろう!?」


 そう叫んだ瞬間──


 テオは背後に、《怪物》が立っていることに気づいた。

 戦場を闊歩していた合成獣。

 それが、今はテオの国が創り上げたものだと呼称され、テオを殺そうと広場に現れていた。



 だが、戦場にいた合成獣と異なったのはその全長だった。


 戦場の合成獣は全長三メートルが精々だったが、目の前の怪物は全長はその倍以上はあると思われる巨大だった。


 抵抗の声を上げる間もなく、怪物はテオを飲み込む。

 その刹那、おそらく聞き間違いだろうが、何か声が聞こえたような気がした。



《……■■せ■、た■■て…………》



 直後、テオ=プロテウスは絶命した。















 ──そう、思っていた。



「…………?」


 最初、テオは五感が知覚した情報を正確に認識できなかった。

 心地良い春の風が頬を撫でる。風で木々の葉がざわめく音が鼓膜を振るわせ、花の甘い匂いが鼻をくすぐる。


 そして、視界に映るのは大きな黒緑の板。

 数秒遅れて、テオはそれが黒板であることに気づいた。


 ちょうど自分の名前を書き終えたらしい。

 『テオ=プロテウス』という文字が自分の筆跡で残っていた。

 視線を落とすと、自分の手には少し先が減った白いチョークが握られていた。



「先生、どうかされましたか?」



 背後からの聞き覚えがある声。

 テオは反射的に振り向き──そして絶句した。

 もちろん、目に映ったのが教室だったこともある。


 だが、それよりも衝撃的だったのは、声を発したであろう少女がカリナだったからだ。


 カリナの顔は記憶にあるそれよりも数年以上は若かった。

 まるで若返ったとしか思えない。


 いや、それだけではない。

 教室にはがいたからだ。

 全員死んだはずの──殺されてしまったはずのテオの教え子たちが。




 同時に、とある閃きが──あるいは、確信に似た何かが脳裏を駆け巡った。

 すなわち、この光景を見たことがあると。



 だが、そんなはずなかった。

 だって、それは──テオが初めて彼女たちの教室を受け持った日。






 


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