第1-1話



 がちゃん、と少し腕を動かしただけで繋がれた鎖が鳴った。


 テオが憔悴した顔で周囲を見回すと、視界に映ったのは雨漏りが酷い牢屋だった。

 暗闇では鋭い眼光が瞬き、ささっと物音をたてて何かが去っていく。

 おそらくネズミだろう。


 頭上にある窓からは朝日が降り注ぎ、じりじりと牢屋の内部を熱する。

 昨夜雨が降ったことで牢屋の床にできた水溜まりには、自分の顔が映っていた。


 痩せ細った顔。ボサボサだった髪はさらに荒れ、白髪すら混じっている。何日も風呂には入っていないため、フケも酷いだろう。テオ自身は臭いを感じ取れないが、悪臭もするはずだ。

 誰がどう見ても、囚人だとわかる扱い。


 ──テオがこの牢屋に押し込められてから、既に一ヶ月が経過しようとしていた。


 いや。

 もっと遡るならば、あの卒業式から三年が過ぎ去ったと言うべきか。


 たったそれだけの年月しか経っていないにもかかわらず、テオを取り巻く環境は何もかも変わってしまっていた。



 二年と半年前。

 隣国ライヴェルトが突然攻撃を仕掛けてきたのだ。


 ライヴェルトは小国だ。

 寒冷地帯にある国で北部に海があるものの、ほとんどの季節で海水が凍ってしまっており港は機能していない。寒冷な気候のせいでほとんどの農作物は育てられない。


 そのせいか発展したのは傭兵産業だった。


 魔術師を多く育成して輩出し、戦争や魔物討伐で稼いでいるのだ。

 ライヴェルトの魔術師といえば悪名高い。


 だが、当初、国はライヴェルトを軽視していた。


 単純な理由。あまりにも戦力が違いすぎからだ。

 しかし、結果は予想とはまったくの真逆。

 国境にある街一つが、僅か数時間で文字通り消滅してしまったのだ。


 雲行きが怪しくなってきたのは、戦場に《怪物》が現れてからだった。

 その《怪物》は従来の魔物とは大きく異なっていた。


 幾つもの魔物を無理やり合体させたような醜悪な体躯。多少の傷は即座に修復してしまう脅威的な回復力。《合成獣キメラ》と呼ばれたそれは、瞬く間に殺戮を開始した。


 結果として、自国の魔術師や兵士は何人も死んでしまった。


 だが、引くに引けなくなった国は、テオにとって最悪の選択をした。

 つまり、まだ若き精鋭たち──テオの教え子たちを前線に投入するという選択を。




 テオの教え子たちは《合成獣キメラ》を瞬く間に蹴散らしたらしい。

 一気に形勢を逆転し、彼女たちは《七人の英雄》とすら呼ばれるようになった。

 だからこそ、国は彼女たちを積極的に使い始め──



 




 テオが自ら戦地周辺の街を駆け回って聞いた話によれば、教え子の一人は敵であるはずのライヴェルトの負傷兵を助けていたらしい。


 人を殺すのは不本意である、と。

『魔術は人殺しの道具』ではないのだから、と言って。


 だが、結末は──その負傷兵に裏切られ、彼女は『魔術』で殺されてしまったらしい。





 ……まったく、馬鹿みたいな話だ。


 馬鹿だ。ああ、何度だって言ってやる。馬鹿だとも。

 なんで敵の兵士に情けをかけたんだ。


 それで──自分の命を落としてしまっては意味がないというのに。


 だが、もっとも許せないのは。

 




「おやおや、テオくん。牢屋の居心地はどうかな」


 不意に、不快極まりない声が響いてくる。


 テオがゆるりと顔を上げると、鉄格子の向こうでは長身痩躯の片眼鏡の男が立っていた。隣には護衛なのか、二人の鎧姿の兵士が控えている。


 片眼鏡の男の見た目の年齢は、四十代。

 軽薄さやイケすかなさ、胡散臭さを凝縮したような相貌だった。


 整った顔立ちであるが、薄っぺらい笑顔を貼り付けているせいで、詐欺師のようにしか見えない。

 服の生地は上等すぎて、隣の兵士と比べてあまりにも場違いだ。



「テオくんが愛しの教え子たちを探すために戦場で暴れ、私たちに捕えられてからもう一ヶ月か。月日が経つのは早いものだね」

「…………」

「もう、私と話すのも嫌かい? だが、事実だろう。私が言ったことは」


 そう。事実だった。


 教え子が死んだ──その噂を聞きつけたテオは、居ても立ってもいられずに戦場へ行くことを志願した。


 真実を知るために。

 自分が教え子たちに教えてしまった結果、何が起こったかを把握するために。



 だが、戦場は地獄でしかなかった。


 敵国の兵士だけではなく、無数の《合成獣》で埋め尽くされていたからだ。

 テオはありったけの魔術で《合成獣》を焼き尽くした。


 そんなテオの魔術を信じてくれた者は多くいた。

 学者であるとはいえ、数々の異名で呼ばれていたからだろうか。



 そして、仲間の兵士たちは自ら盾となった。

 ある者は「娘を守るために頼むぜ」と笑って逝ってしまった。

 ある者は「都市にお店を開くことが夢だ」と泣きながら語りながら死んでいった。



 数多くの自国の兵士がテオを信じ、時には戦い慣れていないテオに戦闘方法を教え、時にはテオが魔術を教え、信頼関係を構築し──一人残らず、死んでしまった。



 戦場は地獄だった。


 テオは魔術という力を持つだけの、理想論しか語れない学者でしかなかった。

 それでも、テオは戦場を駆け回った。


 教え子を探すために。

 味方よりも遥かに多くの敵の兵士と合成獣を殺して。

 この両手を、絶対に消え去ることがない血と罪で染めながら。

 

 だが、一人では軍に太刀打ちするのに限度があった。

 そうして──捕えられてしまったのだ、この片眼鏡の男に。


「懐かしいねぇ、君に大事な合成獣くんたちを吹き飛ばされたときはひやっとしたものだが。さすが、《英雄を育てし者キングメーカー》だ」

「…………」

「そろそろ反応してくれないかい? 寂しくて泣いてしまいそうなんだが……」


 片眼鏡の男はわざとらしく悲しそうなポーズを取る。


「……どれだけここに来ても、お前らに僕の教え子について話すつもりはない」

「おや、やはり気になるのはそれかい?」


 嬉しそうに、男は片頬を持ち上げる。


「ま、私のせいなのだろうね。来る日も来る日も、君の最後の教え子、カリナ=ルドベキアのことばかり。テオくんがそう拗ねてしまうのも無理はない」


 カリナ=ルドベキア。

 今生き残っている、テオの最後の教え子。


 片眼鏡の男の言葉通り、テオがずっと尋問されているのはカリナについての情報ばかりだった。


「《七人の英雄》の一人で、《聖女リリィの再来》。さすがにそうとまで評価される君の教え子を、私たちも警戒しないわけにもいかない。実際、私たちの軍への損害は甚大だ。テオくん、彼女にどれほどの合成獣が潰されてたか知っているかい?」


 何がおかしいのか、くくっと突然片眼鏡の男は笑い出す。


「十万だよ、十万。彼女こそ怪物だよ。ああいうのが、神から選ばれた存在なのだろうね。巷でなんと言われているか知ってるかい、《勇者》とすら呼ばれてるみたいだよ」

「…………」

「でも、残念。今日来たのはカリナ=ルドベキアのことじゃないんだ。──おい、つれていけ」

「は?」


 片眼鏡の男は急に声色を変えると、傍に控えていた兵士が牢屋からテオを無理やり立たせて引きずっていく。


「……お、おい。なんの……つもりだ!」

「テオくんの役割は二つ。一つは言うまでもなくカリナ=ルドベキアの情報について。二つ目は君が創り上げた魔術理論の秘匿情報について。まあ、二つ目は最初から期待してないがね。ただ、もう一つ目もいらなくなっちゃったんだ」

「なにを言って──」


 いるんだ。

 テオはそう口にしようとするが、最後まで言葉を紡ぐことはできなかった。


 何故なら、兵士によって引きずられていったからだ。

 ほとんど強引に連れ回され、蹴飛ばされる。


 やがて牢屋から連れ出されて建物から出た瞬間──大音量の声がテオの体躯に叩きつけられた。




 ──果たして、それは大勢の人間の熱狂的に叫びだった。

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