3.

        ******



 

 

 ――時間は遡って、昨日の昼間。

 アリスティリア・ヤシルド=リングネンツェが、梟と渕之辺 みちるが泊まる部屋の窓辺を狙撃した後。

 狙撃地点を割り出し、訪れた時点まで戻る。



 アリスが残した「クィンザグア補給基地を忘れるな」の書き置きを見て、梟が別行動をすると宣言した後、こう切り出した。

「お前に一つ、言っておくことがある」

 渕之辺 みちるは、梟の真剣なトーンに対し、黙って首を縦に振る。

 

「クルネキシアの人間は、お前から俺を引き剥がすためにヴァンサンなんとかが仕込んだ囮だ」

「ヴァンサン・ブラック。いい加減、名前覚えようか。私たちを別行動させたい理由は?」

 渕之辺 みちるは、ツッコミの後に本題へ戻るのを忘れない。

 

「あんまり考えたくないが、『神の杖』『ファラリス』の開発データ」

 そして、この時梟がした読みは当たる。

 

「悪夢かな」

 右腕を左手でさすり、渕之辺 みちるは虚ろな瞳で虚空を睨む。

 

「だから、ヴァンサン・ブラックが売り込もうとしている相手へ、先に偽物ダミーデータを流す」

 梟がこの後、CIAへ渡した開発データは、数値を改竄した偽物だ。

 梟の流した開発データが、CIAの調査により偽物だと発覚するのは、これから三年後のことだが、それはまた別の話。

 

「偽物ってバレたら、割とガチで殺されるやつでは?」

 開発データの偽物を売ろうとしている梟に対して、渕之辺 みちるは至極真っ当な心配をする。

 

「ヴァンサン・ブラックとクルネキシアの人間にさんざん振り回されて死ぬより、そっちの方がまだマシだ」

 梟は鼻で笑う。

 クルネキシアの狙撃手に殺されるより、偽物を掴まされた恨みで殺される方が、まだ納得できると思っていたのだ。

 

「もし、ヴァンサン・ブラックから開発データの在処を聞かれたら、どう振る舞った方が良さそう?」

 渕之辺 みちるの質問。

 梟は腕を組み、天井を睨みつけ、しばし考える様子を見せた。

 

「期待させただけ落胆が大きくなって、大袈裟にキレられても面倒だしな……」

 質問に対し、明確な回答は出せなかった。とりあえず、否定的なニュアンスに留めていた。

 渕之辺 みちるもそれは察したらしく、わかった、と頷く。

 

「今後、俺からのメッセージが届いたら、中身に何が書いてあっても関係ない。開発データの情報が売れた、もしくはヴァンサン・ブラックを仕留める準備ができた合図だと思え」

 メール、SMS、メッセージアプリは、第三者がなりすまして送信できてしまう。手書きにこだわるのには、意味がある。

 

「曲がりなりにも、相手は武器商人。持っている在庫を輸送されたら、さすがに厄介。だから、夜明けまでにカタをつける」

「夜明けまでに?」

 一日と言わず、一晩のうちに解決すると聞かされた渕之辺 みちるは、もう一度聞き返す。

 

「今説明しただろ。長引くと面倒だから、さっさと潰す」

 少し苛立った様子で、梟は繰り返す。

 

「お前も俺も、ヴァンサン・ブラックがどんな性格か知らない。あまりに手荒な手段を取るなら、しょうもない兵器の開発データごときと、己の命を天秤に掛ける必要はない。俺が持っていると言え」

 ヴァンサン・ブラックが渕之辺 みちるに接触を取ろうとしているのが明確だったので、梟なりに気を遣って言った。

 

「もちろん」

 結果的に、渕之辺 みちるは、その言いつけを守らなかった。

 そもそも、ヴァンサン・ブラックは、基本的には温厚な振る舞いをしていたので、そこまでする必要がなかったとも言える。

 

「クルネキシアの人は、どうするんですか?」

「殺すしかないだろう」

「相手も狙撃手スナイパーでしょう?」

 梟は、渕之辺 みちるの言葉に険しい顔をする。

 クルネキシアの狙撃手に狙われているのは、重々承知している。安っぽく言えば、命懸けだ。わざわざ心配されても、意味がない。

 

「何が言いたい」

 心配されているのが、鬱陶しく思った。

 だが、渕之辺 みちるがしていたのは心配ではなかった。

 

「その狙撃手さんを仲間にできたら、実はめちゃくちゃ心強いのでは?」

 全身の力が抜けていってしまいそうになるほど、突拍子もない発言だった。

 梟の目が見開く。

 言った本人の渕之辺 みちるは、ふざけて言ったわけではなく、とても真面目だ。

 

「……無茶を言うな」

 溜め息と一緒に、呻きにも似た声が出た。梟は右手で髪をかき上げながら、渕之辺 みちるを睨みつける。

 

「敵だったからこそ、分かり合える部分もあるでしょう?」

 落ち着いて話す渕之辺 みちるの言葉は、無茶苦茶だ。しかし、一理ある。

 

 クィンザグア補給基地襲撃の時。

 夜間にスコープなしで狙撃をやってのけた狙撃手。自分が所属していた特殊部隊のメンバーを二名葬り、二名を負傷させ、前線から遠ざけた。


 そして今でも、この場所から正確に、二人が取っていた安宿の部屋の窓際、そのテーブルに置かれたチョコレートの山を撃ち抜いた。

 

 この腕前は狙撃手として尊敬に値する、と梟は心のどこかでは思っていた。


「あなたたちがいるのは、戦場じゃない」

 渕之辺 みちるが、ここで言う「あなたたち」は、梟とクルネキシアからきた狙撃手のことだ。

 

「もし、あなたに余裕があるなら、話してみたらいいと思う。無理はしないで」

 自分が、敵だった狙撃手を尊敬の目で見ていると見抜かれ、梟は奥歯を噛み締めた。

 対話してみろ、と高みの見物でアドバイスされたのが癪に障る。

 

「なに?」

 目の前の相手が、不機嫌そうに顔を歪めているのを見て、渕之辺 みちるは不満があるなら言え、と言外に匂わす。

 

「別に」

 梟は返事を吐き捨てる。渕之辺 みちるはボトムスのポケットに手を入れ、探り当てたものを差し出した。

 

「はい、どーぞ」

 掌にあるのは、梟の想像通り、カラフルな包装がされた四角いチョコレートだった。

 この女は、空気が悪くなるとチョコレートを手渡そうとしてくる癖がある。

 受け取らなくても別に問題ないのだが、梟は受け取った。


「できたら、ヴァンサン・ブラックを狙撃しやすい位置まで誘導してほしい」

 この島は、ケリーによって管理されている。ケリーの情報網ネットワークから、ヴァンサンの居場所は自ずとわかる。

 あとは、狙撃できる位置に誘導できればいいと考えた。

 

「了解。でも、一つ懸念があります」

 渕之辺 みちるは、梟の考えを承知した上で、不安要素を口にする。

「おそらく、護衛をぞろぞろ連れてくるであろうヴァンサン・ブラックが、その辺の安宿に泊まるとは思えない。この島で一番グレードの高いホテルは、硝子の塔グラス・タワー。スイートなら、地上100階」

 調子がいい武器商人は金があるから、グレードが高いホテルを使いたがる、とさらにダメ押しで付け加える。

 

「下から上を狙うのは難易度が高い」

 渕之辺 みちるは左手の人差し指を立て、上を目指すジェスチャーをする。

 梟は、硝子の塔グラス・タワーの外観を脳内で思い浮かべてみる。下から狙うには、現実味のない高さだ。

 

「なら、狙いやすいように、できるだけ下の階へおびき出してほしい、としか言えない」

 あのタワーの20階まで下りれば、硝子塔の次に背が高いビルの屋上あたりの高さには、なるだろう。

 

「できるだけ、やってみますね」

 心許ない返事だったが、無責任に断言しないだけ、梟は渕之辺 みちるの慎重さに好感が持てた。


「もし、夜明け前にヴァンサンを下層階まで誘き出せたら、合図を送れ。合図はどんな形でもいい。合図がなくとも、夜明けを迎えたら強制的に乗り込むが」

 夜明けまでにヴァンサン・ブラックを狙撃できなければ、朝一番で乗り込んでくるCIAに後始末を願うしかない。

 その展開にならない方が、理想的だ。

 

「めちゃくちゃざっくりな指示をしてきますね」

 なんでもいいから合図を送れ、と言われた渕之辺 みちるは、少し首を傾げながら、苦笑いしている。

 

「事細かに説明してやらなきゃいけないほど、お前は馬鹿じゃない。なんなら優秀な方だろ。だから信頼している」

 珍しく梟から褒められた渕之辺 みちるは、満面の笑みで胸を張った。

「だよね! 私、優秀だもんね!」

「調子に乗るな、うぜぇ」

 面倒くさそうに眉根を寄せた梟の前に、渕之辺 みちるは何も持っていない左手を差し出す。

 

「私も信頼してますから。サバちゃんに背中を預けます」

 握手を求める手。黒い瞳は、1ミリの疑念もない眼差しで梟を見ている。柔らかく微笑んだ口元に、悪意はなく、ただ穏やかだった。


 梟は差し出された手を握り返して、はっきりと口にした。

「安心して任せろ」

 


 


 ――これが、二人が別行動する前に交わした会話だ。

 



        ****** 

 

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