4.

          *

 


 梟は、燃え尽きかけた煙草を、床に押し付けて消す。

 オープンして半年しか経っていないフロアの、まだ綺麗な床に焦げ跡がついた。

 少し前には小規模の爆発も起きていたし、この建物は改装か建て替えの必要が迫られるのは、目に見えていた。

 だからいい、というわけではないのだが、焦げ跡の一つなど、気づかれないと開き直った。


 CIAにヴァンサンとジェレミーを引き渡すと、この場に残っているのは、渕之辺 みちると梟だけだった。


 

 

「元気そうで何よりだ」

 梟は、割れ目のできた全面ガラスを背に座り込む渕之辺 みちるへ声をかける。

 はぁ、と深い溜め息をついて、背中を丸める姿はだいぶくたびれて見えた。

 

「いや、手榴弾の爆風受けた時に、あばらが折れたと思います。今はアドレナリンのおかげで痛くないだけ」

 痛そうな素振りは見せないが、渕之辺 みちるは、左手で肋骨をさすった。

 

「ケリーとオーナー、支配人、あといろんな人、みんな無事ですか?」

 渕之辺 みちるは何を思ったか、床に大の字になった。その眼は、天井を見つめていた。

 

「そもそも、ここ以外では何も起きていないからな」

 空港もヘリポートも、港も、ケリーの店の周りも、何事もなく静かに夜明けを迎えている。

 各所の警戒はすべて解除されるだろう。


 タワー内にいたヴァンサン・ブラックの部下は、渕之辺 みちるが制圧している。

 

 島内に潜伏していた部下は全員、オーナーやケリーが炙り出し、人質として身柄確保している。この部下たちも、CIAへ引き渡す。

 

「なら良かった」

 渕之辺 みちるは、折れたと思われる肋骨の痛みに呻きながらも、ゆっくり上半身を起こし、結んでいた髪を解く。

 癖のない真っ直ぐな髪が、さらさらと流れた。

 

「うぇーい!」

 突然、渕之辺 みちるは左手を挙げ、梟へタッチを求めてきた。

 

「なんか知らないが、そのノリが腹が立つ」

 渕之辺 みちるのヘラヘラした態度は、梟からすれば常に気に入らないが、渋々その手にタッチした。その勢いで、渕之辺 みちるの手を掴み、立ち上がらせる。


 梟が身動きしたタイミングで、靴の先に何かが当たった感触がした。すぐに下を見る。


 落ちていたのは、涙型のガラスか宝石。

 丁寧にカットされた涙型の石は、先端部がわずかに欠けていた。

 その石を拾い上げると、思っていた以上の重量感がある。

 これと同じものを見た、と思い、渕之辺 みちるの耳元へ目を遣る。

 

「その、ゴテゴテしたアクセサリーはどうした?」

「あぁ、外し忘れてた」

 渕之辺 みちるの両耳から流れていた血はだいぶ乾いている。

 梟に言われて、やっと思い出したらしく、おもむろに耳からアクセサリーを外す。


「ヴァンサン・ブラックからもらった。これが役に立ったみたいで何より」

 掌の中にあるピアスを見つめて、渕之辺 みちるは言う。

 

「役に立ったかは知らない」

 ピアスが何の役に立ったのか、梟にはわからなかった。


「私から合図送る手段が、実はなかったんですよ。手元にスマートフォンがなかったので。ヴァンサンたちの動きを鈍くするために、全館停電させた後だったし、どうしてやろうかと」

 渕之辺 みちるが語る内容に、梟は軽く目を見開く。

 

「だから太陽光を頼りにした。これは品質がいいダイヤだから、光があれば綺麗に輝く。日の出の光がこの石に当たれば、合図になるかな、と」

 だから、ピアスホールもないのに、無理やりピアスをつけたのだ。


「思った通り、光ってくれたみたい。狙撃手スナイパーさん、ダイヤとピアスを繋ぐ金具のところをピンポイントで撃ち抜いたんですよ。それで、ヴァンサンの膝にヒット。いや、本当にすごい」

 渕之辺 みちるは、涙型の石が欠けた、片方のピアスを左手で摘み上げ、うっとりした表情を見せる。

 

 ピアスについたダイヤモンドにうっとりしているのではない。

 ダイヤモンドとピアス本体を繋げる金具部分を狙った狙撃に、うっとりしているのだ。


 梟は眉間に皺を寄せ、目を伏せて何やら呟いていた。渕之辺 みちるに聞き取れる声量ではなかったが、心底呆れ果てているニュアンスなのは、なんとなく伝わっていた。

 

「今回は、俺より腕がいい人間がいて良かった」

 嫌味でもなんでもなく、梟は言う。

 クィンザグアでの戦闘で、敵を肉眼で狙撃した、眼と腕がいい狙撃手。シンプルに尊敬しているのだ。


「例のクルネキシアの人?」

 梟の様子を窺いながら、渕之辺 みちるは慎重に尋ねる。この問いに、梟は黙って頷くだけだった。

 

「話し合いできました?」

「話はした。話し合いではない」

「なら良かった」

「良くはない。何も解決してない」

 梟は視線をガラスの向こうへ遣る。

 港から船が動くのが見え、港の封鎖は解除されたのだと気づく。

 

「すぐに解決なんてしないですよ。でも、対話は第一歩でしょう?」

 その対話のために、どれだけの労力と痛みが伴ったか、一つ一つ挙げて行けばキリがない。

 それに、現に渕之辺 みちるはヴァンサン・ブラックを力で制圧した。今回も結局、対話が何かを成したという感覚はない。

 

「お前が言うと、説得力がない」

 梟が半ば呆れて吐き捨てると、渕之辺 みちるはクスクスと笑い声を上げた。それなりに自覚はあったのだろう。


「ほら」

 梟は、水色の包装のチョコレートを胸ポケットから探し当てると、渕之辺 みちるへ差し出した。

 

「お前が一番好きな味だろ」

 受け取った手の中のチョコレートをじっと見た渕之辺 みちるは顔を梟へ向ける。

 唇を噛み眉間に皺を寄せた、渕之辺 みちる。すぐに口角が上がり、目元は少し潤む。

 この表情は、安堵と喜びが入り混じって、泣きそうになった時の顔だ。

 

 渕之辺 みちるは、チョコレートを味わいながら頬張る。

 

「仲の悪い相手と成り行きで同じ船に乗る、みたいなことわざ、日本語でなんて言った? 昔、に教えてもらった記憶があるのに、思い出せない」

 梟は大きめの独り言に近い声量で、渕之辺 みちるに尋ねた。

 

「船? ……呉越同舟?」

 ゴエツドウシュウ。

 

 梟の故郷にいた教官と、同じ母国語を話す渕之辺 みちるが出した回答は、梟の中にある記憶と一致していた。

 

「それだ。すっきりした」

 思わず、梟の口元が緩んだ。

 

「やっぱり笑顔が不気」「黙れ」

 梟の口元が緩んでいるのを見た渕之辺 みちるが、馴れ馴れしく「不気味」と悪態をつきかけたので、遮った。


 陽が高くなっていくにつれ、気温も上がっていく。ガラスの割れ目から吹き込む風は、だんだんと温くなっていた。


 

 永い夜の終わり、静かな朝の始まり。



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