3.
*
「あれ?」
何かに気づいた渕之辺 みちるが顔を上げるなり、驚いた声を出す。
ジェレミーも、その声につられて、渕之辺 みちるが見つめる方向を見た。
「あぁ、さっき撃ったのは別の人間。あと、そこを代われ」
近づいてくる低い男の声は、ヴァンサンの膝を撃ったのは自分ではなく別人だ、と言いたいらしい。
渕之辺 みちるに親密そうに話しかける態度で、誰がやってきたのか、ジェレミーには見当がついた。
だんだんと煙草の香りが空間に漂ってくる。
渕之辺 みちるがジェレミーから体を離すと、入れ替わりで、何者かがジェレミーの体の上に乗ってきた。
「お前がヴァンサン・ブラックか。初めまして」
煙草の匂いがするのは、低い声の男が咥え煙草だからだ。
初めまして、と挨拶された次の瞬間には、左頬へ重いパンチが入っていた。
左頬を中心に顔全体で衝撃を受け、視界が真っ白になる。
ジェレミーを殴ったのは、緩いウェーブヘアの髪、灰色の眼をした彫りの深い東欧系の顔の男。
――リエハラシアの「
「彼はジェレミー、ヴァンサンはこっち」
ジェレミーをヴァンサンと呼ぶ梟に訂正を入れるが、梟は舌打ちで返すのみだった。
渕之辺 みちるはジェレミーから離れ、泣き喚いているヴァンサンの膝の傷を押さえて止血作業をしていた。
「どうでもいい」
梟は、ジェレミーを立ち上がらせると即座に頭を掴み、壁の代わりに存在している全面ガラスに何度も叩きつける。
ガラスにぶつかったジェレミーは、そこから見える地上の風景を見て、その高さに息を呑む。
ここからの風景は、安全だから見下ろせる世界なのだ。開いた割れ目から放り出される想像をすると、背筋が凍る。
「意外だろうが、俺は女子供を殴る男が嫌いなんだ」
窓際に追いつめたジェレミーの内臓を潰す勢いで、梟は膝蹴りを何度も繰り返した。
「サバちゃん、やりすぎ。やめなさい」
ヴァンサンのすすり泣きをBGMに、渕之辺 みちるは冷静に声をかける。
梟は鋭く睨みつける眼差しを渕之辺 みちるへ送るが、渕之辺 みちるは一切気にせず、ヴァンサンの止血を続けている。
梟は、抵抗する力を失くしたジェレミーの胸ぐらを掴んだ。
「大それた計画を立てた、お前らの度胸は認めてやろう。だが」
梟の煙草の煙がジェレミーの顔にかかる。煙が目に入り、痛みで涙目になる。
「『神の杖』のデータは昨日の昼間、CIAに売った。お前らが手に入れたとして、価値は遥かに下がった。他国へ売るか? どこに売る? こんな再現性の低い開発、どこの国ができると?」
咥え煙草で、口元を笑う形に歪める梟は、ジェレミーを冷徹な眼差しで見下ろしていた。
ジェレミーは痛みと悔しさで、血が出るほど唇を噛む。
「机上の空論だから、欲しくても作れないんだ。わかったか? ガキが夢を見るのは否定しないが、なぜ夢のテクノロジーは実現していないのか、その少ない脳みそで考えるべきだった」
梟が咥える煙草の灰が、喋るたびに、はらりと落ちていく。
ジェレミーは眼を見開いて、梟を見つめている。
「だが、お前らがありもしないデータを探して、意気揚々と踊っているのを見るのは、とても楽しかった」
楽しかった、と言う割には、梟の顔はまったく笑っていない。
「どういうこと?」
急に我に返ったヴァンサンは、床に倒れたまま、隣で手当てしている渕之辺 みちるに尋ねる。
「いきなり正気に戻った」
渕之辺 みちるは、ヴァンサンの反応に驚きつつも、説明する。
「要するに、昨日の昼間の時点で、『神の杖』のデータをCIAに売っちゃったから、全米挙げて対策される。
他の国に売りに行ったところで、万能の武器ですよって宣伝文句は通用しなくなるよ、って話」
その説明を聞いたヴァンサンは、数秒黙って、渕之辺 みちると視線を交わし合う。
「僕を騙したな!」
ヴァンサンは怒鳴る勢いで起き上がろうとしたが、右太腿と右膝の傷に激痛が走って、再び床へ横たわる。
「思い込みで動くのは良くない。相手が確実に売り物を持っていると確信してから交渉するのが、商売の基本」
渕之辺 みちるがヴァンサンに商売論を語るのは、二回目だ。
スイートルームで二人きりで話した時も、今も、渕之辺 みちるから、まるで相手にされていない。
「お前らは、島の権利を買うために他の武器商人どもから金を借りたはずだ。返済の宛てがなくなってかわいそうに。なんなら、少し金を貸してやろうか?」
梟は最後に、CIAからの謝礼金がたんまりとあるんだ、と嫌みたらしく付け加えた。
一気に言葉を畳み掛ける梟の笑い顔は、ジェレミーの顔を引き攣らせる。
目の前にいる男は、口角を最大限上げて、大振りな鎌を楽しそうに振り回す死神。
そう表現するべき笑顔と、強烈すぎる嫌味。
「性格悪い成金みたいな発言」
半ば呆れた様子で、渕之辺 みちるは梟の発言をそう評した。
そうこうしているうち、久しく聞こえなかった、エレベーターの稼働音がする。
到着を知らせる電子音の後にドアが開くと、エレベーターの定員いっぱいに乗り込んでいたスーツ姿の男女が現れた。
みな、防弾ベストを着込んだ状態で拳銃を構えた姿は、島民ではなく、明らかに訓練された人間の動きだった。
さっき、梟の口からCIAの名前が出ていたので、その場にいた全員が、彼らの正体を何とはなく察せた。
彼らは、割れたガラスの周りにいる梟たちを包囲する。
「こいつらを早く連れて行け」
自分にまで拳銃を向けてくる彼らを呼び止めた梟は、ジェレミーとヴァンサンを交互に顎で指す。
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