3.

         *



 


 渕之辺 みちるへ手榴弾を投げつけた直後、ヴァンサンの手を取りエレベーターホールまで走り抜けた。

 途中で爆発が起こり、爆風に背中を一瞬押される。

 エレベーターのボタンを押してから、爆発で起こった火が絨毯や壁を焦がしているのを目にする。渕之辺 みちるの姿は見えなかった。吹き飛ばされて死んだのか、それとも起き上がれないほどの重傷か、見に行く余裕はなかった。

 

「なんで動かない……」

 ジェレミーは苛つきながら、エレベーターのボタンを何回も連打する。

 すぐに何かに気づいた顔になり、ボタンを押す手を止めると、今度は握り拳にした手でエレベーターのボタン部分を殴る。

 

「管理システムか。管理システムを弄って、エレベーターを閉鎖しやがったな」

 このビルは、最新鋭のデジタル技術を使用した管理システムで制御されている。ゆえに、エレベーターの運行管理など簡単だ。

 

「ミシェルが?」

「知らねぇよ、支配人の可能性もあるだろうが」

 ヴァンサンの質問に対する回答を、ジェレミーは面倒くさそうに吐き捨てた。

 

「ねぇ、管理システム握るなら、このタワーの出入りも自由になっちゃってない?」

 非常階段からは確認できない場所にある、業務用エレベーターは動いているかもしれない。

 業務用エレベーターに乗って、ヴァンサンたちに反旗を翻した島民が侵入しているとすれば。

 

「階段を使う」

 ジェレミーはエレベーターホールに背を向け、非常階段に向かおうとする。

 

「100階まで? 無理あるよ!」

 ヴァンサンの悲鳴にも似た声は、40階近く階段を上る苦痛を嫌がっている意味合いの方が強い。

 

「違う! 上に登ったら逃げ道がないんだよ! だから、降りるしか……」

 ジェレミーの顔から、色という色が失われていく。

 上階に行けば行くほど、逃げ道の選択肢が減る。

 階下に下りる方が選択肢は多い。しかし、窓から飛び降りられる高さを目指すとすれば、だいぶ下の階まで下りなければならない。

 

「逃げるも何も、下りるしかなくなってるじゃん……」

 ヴァンサンは呻く。

 ジェレミーは今一度、置かれた状況を観察した。


 手にした拳銃の残弾数。

 予備の弾薬の数。

 何も持っていないヴァンサン。


 嫌な汗が、じわりとジェレミーの背中に染みてくる。

 おろおろと狼狽えているだけのヴァンサンの姿が、憎たらしく見えた。


 20階を無視して階下に下りてみよう、とヴァンサンに言い聞かせ、ジェレミーは階段を下り続ける。

 階下に行けば行くほど、狙撃手に狙われやすくなる。外から撃てない非常階段で移動するしか、なかった。

 

 泣き言を言うヴァンサンを叱咤して、不気味なほど静まった非常階段を降り続けた。

 

 渕之辺 みちるは、この上り下りをおそらく何十回と繰り返したのだ。

 その諦めの悪さは表彰してやりたい、とジェレミーは思う。


 そうこうしているうちに、時間は経過していく。イコール、渕之辺 みちるに次の一手を打たせる隙を与えているのと一緒だ。

 気持ちが焦れば焦るほど、足がもつれていく。呼吸が乱れ、肩が上下する。汗が目に入って沁みるのも構わず、進んでいく。

 

 やっとの思いで20階に到達したのを、踊り場に設置されたフロアサインで確認すると、ヴァンサンは膝から崩れ落ちた。

 ヴァンサンはジェレミーと違って、何も武芸やトレーニングをしていない。だから体力がない。階段を20階分下りるだけで、疲労困憊している。

 

「ヴァンサン、まだだ。まだ下りる、頼むから止まるな」

 ジェレミーは中腰になるだけで、膝を曲げて屈もうとはしない。一度座ってしまうと立ち上がれなくなるのではないかと、不安がよぎるほどの疲労感があったからだ。

 ヴァンサンの腕を掴み、立ち上がらせようとするジェレミーだったが、ヴァンサンの体は鉛のように重く、動こうとしなかった。


「生きていれば、やり返せるんだ。このまま終わりにさせて堪るか! だから立て!」

 ヴァンサンンにかけたこの言葉は、本当はジェレミーが自身に言い聞かせている。ここで、もたついていられないのだ。

 

 ジェレミーは視線を、進むべき方向へ向ける。下るための階段。

「……嘘だろ」

 ダークグリーンの眼が、大きく見開かれた。


 19階の踊り場は、ベニヤ板や業務で使用している鉄製のワゴンなどの、大きくて重いホテルの備品で塞がれていた。

 バリケード自体は、押し退けていけば何とかなりそうだと思えた。

 だが、そうはいかなかった。

 

 猿轡をされ、胴体に爆弾を巻かれたスーツ姿の男が、この簡素なバリケードにはりつけされている。

 渕之辺 みちるの部屋で襲われ、気絶していたので部屋で休ませていたはずの、ヴァンサン・ブラックの経理担当の男だった。

 

 それを見たヴァンサンは、わずかに残った体力を振り絞って足を動かし、磔にされた男のもとへ寄る。ジェレミーはヴァンサンの後ろに立った。

 

「あの……人でなしが!!」

 怒りの色を露わにしたヴァンサンが、今までの階段移動で息を切らしたまま、部下の猿轡を外そうとする。

 

「バリケードに振動が加わると、起動するんだ!」

 猿轡を外された部下は声を荒げ、ヴァンサンに潤んだ瞳を向ける。

「これが爆発したら、以降のフロアに設置した爆弾を爆発させるって……支配人が」

「あのジジイ、建物を倒壊させる気か」

 支配人の名前が出て、ジェレミーは頭を抱える。

 いつも紳士的な振る舞う支配人の姿からは想像できない、野蛮な行為。

 

 ホテルの支配人はオーナーの恋人・ケリーの養父だと聞いていたから、注意していた。

 従ったふりをしても、絶対に歯向かってくる匂いを、落ち着き払った態度から嗅ぎ取っていたのに。


 

「クソがクソがクソが」

 ジェレミーは何度も壁を蹴りつける。

 蹴る動作が見えるたび、部下が体を竦める。振動で起爆装置が作動するのが恐ろしいのだ。

 

「ジェレミー、とりあえずミシェルと話しに行こう」

 ヴァンサンは部下の手足の拘束を解き、荒れるジェレミーに声をかける。

「ミシェルのやり方は、フェアじゃないよ」

「あぁ……お前にしてはマトモな意見だ」

 壁を蹴るのをやめ、ジェレミーは鼻で笑う。そんなジェレミーの言葉に、ヴァンサンの胸はちくりと痛む。


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