3.

「わざわざジェレミーがいない時に言いに来るのは卑怯だよ」

 卑怯者め、と憤る気持ち半分、自力で事態を動かせない己への怒りが半分。苛立ちを奥歯で噛み締めて耐える。口の中には、さっき食べたチョコレートの甘さが残っていた。

 

「オーナーが持っていた島の土地の権利を、がっつり横取りした人に言われるのは、ある意味光栄」

 にこやかに微笑むふりをしている渕之辺 みちるの口から出る嫌味は、止まりそうにない。

 お得意の笑顔を見せる気にもなれず、ヴァンサンは無表情で舌打ちする。

 

「ヴァンサンのことは嫌いじゃない。馴れ馴れしいのが嫌なだけで」

 嫌いと言っているのと同じじゃないか、とヴァンサンは口に出さず、呆れた笑いを浮かべた。

 なので、

「でもあの時、殺されるかと」

 展望フロアでピアスを渡した時の出来事を持ち出した。

 

「腹は立ってました。的外れなプレゼントをゼロ距離で渡してくるから」

 だいぶ機嫌を損ねてしまっていたらしい。ヴァンサンは、お詫びのつもりで微笑んだ。こうするだけで場の空気が和らぐのは経験上、知っている。そして読み通り、渕之辺 みちるとの間に流れる空気の重さが、少し軽くなった。

 

「部下に単価が高いゴツい銃器を渡したり、装備に惜しみなくお金をかけるのは、さすがヴァンサン・ブラック」

 渕之辺 みちるは作り笑いだったが、声のトーンから察するに、嫌味ではなく、純粋に褒めているようだった。

 

 硝子の塔に配置した部下たちを蹴散らしてきただろう渕之辺 みちるは、ヴァンサンの部下の装備を知っている。装備を見て、単価を計算している。

 国やゲリラであれば兵士、ギャングやマフィアであれば、その構成員。下っ端にあたる人物が何を持たされているかで、大本営のおおよその懐事情が把握できる。これは、武器商人のさがだろうか。

 

「部下たちは、僕たちを守るのが仕事。そりゃしっかり用意しなきゃ」

 そう答えたが、実際は見栄を張りたかっただけなのだろう、とヴァンサンは心の中で呟く。

 実際、値の張る武器だから高性能なわけでもない。廉価で市中に出回っている玩具みたいな構造の銃でも、十分な性能を持つ。だが、安物を持たせている、と思われたくなかったのだ。――高級志向なジェレミーのことだ、きっとそうだ。

 

「あなたと私は、結構似ている」

 渕之辺 みちるは冷ややかな眼差しをヴァンサンに向ける。

「へらへら笑って、外面を良くして、その場を凌ぐのに必死」

 ヴァンサンと渕之辺 みちるは、似た者同士だからお互いを嫌う。

 

「周りからは、本来の自分は必要なくて、外面と名前だけが独り歩きしている」

 ヴァンサンは自嘲して、渕之辺 みちるが言わんとしている言葉を先回りした。

 

「ヴァンサン・ブラックの肉体ガワはヴァンサンだけど、頭脳アタマはジェレミー。だから、あなたには物事の決定権がない。徹底した役割分担ですごいなぁって」

 ここで出る「すごい」は、誉め言葉だろうか、皮肉だろうか。ヴァンサンのエメラルドブルーの眼が、虚空を睨む。

 

「ジェレミーが決めてくれないと、ここにいる私を排除すらできない」

 渕之辺 みちるは、ヴァンサンが自分を見ていないと気づきながらも、ヴァンサンを見つめ続けた。

 

 不意にヴァンサンの視線が床に落ち、また正面へ戻ってくる。その間に、にこやかな笑顔は消え失せ、真っ白な顔色で、無表情になっている。

「わかったような口をきくね」

 口調は穏やかながらも、いつもより二トーンは低い声で、囁いた。

「何か違った?」

 渕之辺 みちるは動じない。

 

「違うも何も」

 ヴァンサンは低い笑い声を漏らす。

 目の前の黒い眼の女は、悪意の塊を丸出しにした皮肉をぶつけてくる。けれど、当の本人は悪気がない顔をしているのが、もはや面白いとすらヴァンサンは感じていた。

 

 

 「ヴァンサン・ブラック」の名前がついた、お飾りの人形と蔑まれたのは、いつからだったろうか。

 自分にできる仕事は、人から慕われる美しい笑顔を浮かべて、美辞麗句を並べる交渉ごと。

 指示をするのはジェレミー。

 後ろ暗い仕事は全部、ジェレミーが率先してやっていた。

 いつの間にか、取引相手に信頼されていたのは自分ではなく、ジェレミーになっていた。自分は、ジェレミーの代理。

 

 これ以上、ジェレミーが輝いたら、自分が影になってしまう。

 


 頭をもたげた暗い考えに、ヴァンサンは溜め息をつく。ここ最近、一人っきりになると、良くないことばかり考える。

 膝の上に置いていた手を、ギュッと握り締めた。ポーズだけでも、自分が抱えた悪い感情を潰す。

 だが、何もかも見透かした顔をしている渕之辺 みちるを見ると、潰したはずの暗い感情がこみ上げてくる。

 

「じゃあ、僕はどうしたらいい?」

 少しだけ声を荒げたヴァンサンは、拳をテーブルに叩きつけた。

 何時間も前に飲んで、そのまま置きっぱなしにしていたワイングラスが、振動で甲高い音を鳴らす。

 

「それは自分の頭で考えようか」

 わずかに怒りを発露させたヴァンサンを無視して、至って冷静に、渕之辺 みちるはクッションを元あった場所に戻した。

 感情のない黒い眼に反射して映り込む自身の姿は、心許ない。そう見えてしまうのは、ヴァンサン自身の心が、不安に駆られているからだ。

 渕之辺 みちるは、ふらっと立ち上がる。

 

 引き止めた方がいいのか、ヴァンサンにはわからない。

 引き止めた後、どうしたらいいのか、ヴァンサンには判断できない。

 

 早くジェレミーに戻ってきてほしい。ジェレミーに連絡しよう、と胸ポケットに入れたスマートフォンを出そうとする。

 

「あ」

 何かを思い出したように、渕之辺 みちるは振り返った。ちょうどスマートフォンを手にしたタイミングだったヴァンサンは、ビクッと肩を揺らした。

 

「9ミリパラベラム、余ってたら欲しい」

「は? 君に売れ、って?」

 無茶苦茶な要求に、ヴァンサンは端正な顔を曇らせる。

 渕之辺 みちるは、自身が使用する拳銃に合う9ミリパラベラム弾を売れ、と言ってきたのだから。

 

「武器商人に、敵味方は関係ないでしょう?」

 強気な眼差しでこちらを睨みつけた渕之辺 みちるの主張は、間違っていない。

 商売は、相手が誰であろうと、売り物と買い手が存在すれば成り立つのだから。

 

 渕之辺 みちるは、自らの財布から札を全て取り出す。テーブルに置かれた札は、しっかりとした量があった。

「信じらんない。ミシェル、君はイカれてる」

 渕之辺 みちるから見たヴァンサンは、敵味方ではなく、ただの売り手でしかないのだ。

 あまりに都合のいい割り切り方に、ヴァンサンは頭を抱える。


「で、9ミリパラベラム、売ってくれるの? 売らないの?」

 渕之辺 みちるは、深刻に悩んでいるヴァンサンに決断を促す。



 

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