2.
「ミシェルの出方次第で、お友達の運命が変わるかもよ」
「大丈夫、覚悟はできてる」
護衛だか友達だかの身の安全を引き換えに、『神の杖』の情報を出させようと考え、口にした言葉は、あっさり遮られた。
覚悟はできていると、何の躊躇いもなく言う姿は、正直に言って気味が悪かった。
無様な強がりだと指摘したが、楽しげに言い放つ黒い眼は、生き生きと輝いている。
「開き直るのもいい加減にした方がいいよ」
渕之辺 みちるの堂々とした態度に、呆れ笑いが出る。
「こっちは毎日、
平凡な日常を愛している、と言っている割には、取る手段が暴力に塗れている。心にもない綺麗事を言う女だ、とヴァンサンはますます呆れる。
「目障りな存在を殺して解決しよう、がどれだけ無駄か。平和な世界線にいた私とあなたは、知っている」
渕之辺 みちるの言葉に対し、ヴァンサンは少し怪訝そうに首を傾げる。
ヴァンサンは、自分が「平和な世界線」で生きていたつもりはない。
数年前は、生まれ育った街の小さなギャングの女に手を出して、さんざんな目に遭って、渦中で薬物中毒になった。ジェレミーに助けられなかったら、今ここに自分はいない。
ヨーロッパ圏のギャングやマフィアと関わりを持って以降、身の危険に晒されたのは一度や二度じゃない。ジェレミーに手を取り合って、なんとか生き延びてきた。
だから、二人で「ヴァンサン・ブラック」。
「もちろんわかってますよ? 自分がいた場所は平和なんかじゃなかった、って言いたいのは」
渕之辺 みちるは、クッションを抱えていた手の片方を、ボトムスのポケットに滑り込ませる。拳銃を取り出すのかと、ヴァンサンは身構えた。
「私の
渕之辺 みちるのボトムスのポケットから出てきたのは、小さな四角いお菓子の包みだった。包装紙はホルスタイン柄で、「MILK」の文字が入っている。
お菓子の包みはテーブルの上に置かれ、はいどうぞ、と差し出される。
「彼が、市民を蜂起させるのは、そんなに難しくない。プロパガンダは戦争に不可欠なので、手法を理解している」
渕之辺 みちるは深刻そうに言ってくるが、今日明日でどうこうなるわけではないだろう。だったら手を打てるはずだ、とヴァンサンは考える。
「蜂起した民衆の制圧に、武力行使をしてごらん。あなたの
この女の護衛を人質にしようとしたら、逆にこの女は、島民を人質に取ってきた。
島の権利を手に入れても、住民全員が自分の支配下ではない。
もう少し時間があれば、大半の住民を引き入れられただろう。
だが、ヴァンサンがこの島に来て、まだ半日しか経っていない。島民にとっては、名前しかわからない、「謎の人」。
こちらに引き入れようとしたはずの相手は、意気揚々とヴァンサンの足元を
嫌な汗が、ヴァンサンの背中に流れ出す。
ジェレミーがこの場にいれば、うまく切り返せたはずなのに、と奥歯を噛み締める。
「さて、ヴァンサン・ブラックには、島民の意志を翻させるほどのカリスマ的な魅力はあるのでしょうか」
疑問形で話しているが、意地の悪い遠回しな表現でヴァンサンを否定してくる。
渕之辺 みちるが話し出してから、部屋の空気が止まっているように、ヴァンサンは感じていた。
ガラス張りの高層の部屋は、窓を開けられない。
窓から滑り落ちれば、即死できる高さであるし、地上とは比にならない風速で風が吹く。
24時間循環の換気システムと、空調が稼働している。物理的には、空気は動いている。
だが、体感している空気の流れは、重くひんやりと、停滞している。
「……ジェレミーじゃないと、そんなの、わかんないよ」
ヴァンサンは、渕之辺 みちるがテーブルに置いた、ホルスタイン柄の包装のお菓子に手を伸ばす。
包装を剥くと、チョコレートの甘い匂いが薄っすら鼻に届く。
「訳知り顔で、
だが、渕之辺 みちるのやり方は、調停役としては強引すぎる。
チョコレートを頬張ると、甘めの庶民的なチョコレートの味がする。自分は好きだが、ジェレミーは硬い表情をしそうな味だと、ヴァンサンは思った。
「まさか。そんな面倒な仕事はしない」
渕之辺 みちるは、ふふっと笑うが眼は笑わない。この笑顔は、演技にしか見えない。
「
この女は、自分を通してジェレミーへ撤退しろと言わせようとする気だ。
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