15. Confused
1.
この島の公用語は、英語だ。
だが、現地に住む人間は、島独自の言語を使う。特に高年齢層はそうだった。
屋台では英語と、島の言語が行き交っている。
そこへ、どこかの屋台が用意したオーディオから、南国感のあるBGMが混じり、雑多な印象がより強くなる。
だが一方、道を一本外れると、屋台が歩道を塞ぐように、みっちりと並んでいる。
表通りの、建物の中へ入った飲食店とはまた違う趣で、ここもまた、観光客を呼び寄せる一帯になっていた。
テラス席と呼べば聞こえはいいが、路上にテーブルと椅子を並べただけの席。脇には、ホテルの医務室で借りた松葉杖が立てかけてある。
殴られた顔を隠さないライオニオが座る席に、ビールと串焼きが三本並んだ白い皿が置かれた。
その皿を置いたのはアリス。
レシートを口に咥え、ライオニオの向かいに座った。
ライオニオは串焼きへ視線を落とす。
「部屋に戻ったと思ったら、また俺の部屋に飛び込んできたから、びっくりしたけど」
ライオニオは苦笑いしようとしたが、顔に痛みが走ってすぐに涙目になる。
「梟が現れたのに、そのまま帰しちゃったって聞いて、余計びっくりだよ」
アリスの前に突然現れた梟は、言いたいことだけ言って、窓から去って行ったのだ。
手慣れた所作から見るに、おそらく侵入してきたのも窓だったのだろう。アリスとライオニオの部屋があるフロアは6階だというのに。
心拍数が跳ね上がっているのに気づき、深呼吸を繰り返してから、アリスはライオニオの部屋を再び訪れた。
「自分でも、どうかしてると思う」
アリスはテーブルの上で組んだ両掌を、きつく握り締める。
アリスは、ヴァンサン・ブラックの手下の監視をすり抜け、ライオニオを連れ、宿泊先のホテルから街へ流れてきた。
「どんな話、したの?」
ライオニオは、梟を殺さなかったのを責めなかった。
梟を殺すためにここまできたのに、と怒られても仕方ないと思っていた。
アリスの脳裏にいる仲間たちは、こんな弱腰のアリスを皆総出で責め立てている気がして、気が休まらない。
「手伝ってほしい、って……」
「ん? んん? んー? 何を?」
まったく話についていけないライオニオは、一緒にオーダーしていたジントニックに口をつける。
傷だらけの口の中へ、アルコール混じりの液体が入って、ライオニオは苦痛に悶える。
「ヴァンサン・ブラックを潰したい、って」
テーブルに肘をついたアリスは、周囲の様子を窺って、囁き声で答えた。
周囲にヴァンサン・ブラックの手下らしき人影はなかったが、アリスは全身で警戒していた。
ライオニオは目を見開いて、信じられないといった顔でアリスを見る。
「私、これから、どうしたらいいと思う?」
ライオニオに尋ねる口調だったが、言葉の端に、背中を押ししてもらいたそうな空気が、薄っすら漂っている。
「たとえばね? 島を出るって方向性はどう?」
ライオニオは虚を突かれた顔になった後、ヘラヘラと笑い、表情を動かした痛みで涙を零す。
ライオニオの眼に映るアリスは、突然のリエハラシアとの戦争終了に戸惑っていた頃のアリスの姿に戻っている。
困惑、怒り、失望、やりきれなさ。ごちゃ混ぜになった感情が、仮面みたいに虚ろな表情にさせる。
「やっと目の前まで来たのに、諦めたくはない。でも……」
アリスを突き動かしてきた復讐。
それを揺るがしている何かが、アリスの身に起きた。
「じゃあ、ころ……片付けるわけ?」
ライオニオは不穏な言葉を、はっきり口にする前に言い直す。
「我々の決着に、ヴァンサン・ブラックが絡んでくるのが許せないと思った」
アリスの手元には、手つかずのビールがある。
飲む気もないのに、手ぶらで屋台の席を陣取るわけにもいかず、渋々頼んだビールだった。
「何言ってんの? いまさらじゃん?」
怪我でうまく曲がらない指を駆使して、串焼きを摘まむと、ライオニオは肉にかぶりつく。
焼き目をつけて焼いたチキンに、甘辛く、少しスパイシーな風味のするタレがかかっている。
肉は硬いがタレがおいしい、とライオニオは素直に感動する。この口の中の状態で、食べるのは非常にしんどそうだったが。
「それは、そうなんだけど」
アリスはテーブルを握り拳で、軽く叩く。
「あのさ……」
串の中段にある肉をかじろうとして、頬にタレがついた。気にせず、ライオニオは串の肉にかじりつき、咀嚼する。
「ずっと聞けてなかったんだけど、アリスはこれから先、どうしていきたいの?」
「これから先?」
アリスは軽く首を傾げた。
「あいつをブチこ……片付けた後、クルネキシアへ帰って、仕事探して見つけて暮らして、その後」
ライオニオの視線の先には、こちらをずっと見つめてくる灰色の眼をした男がいる。
「そうね……ライオニオが結婚するのを見届けてから、死にたい、かな」
アリスがぼんやりとしか描かなかった、未来の話だ。
自分が死んだ時の未来は、さんざん考えて対策してきた。
こうやって、自分とライオニオが共に生き延びている未来を、はっきり描いていなかった。
「努力してるけどモテないんだよなぁ」
そう言って頬にタレをつけながら、ライオニオは難しい顔をしている。
子供の頃から変わらない、飾り気のなさ。
相手が欲しがらない限り、料理を分けようとしないところ。
たぶん、そういう小さな気遣いのなさがモテない原因なのだろう、とアリスは思う。
「これから先、欲に任せて生きてもいいし、人のために生きてもいいじゃん? 好きなことだけしてもいいんだし」
「好きなこと、ねぇ……」
欲に任せて生きるのも、人のために生きるのも、ましてや好きなことをして生きるなど、今までの自分からは程遠い生き方だ。
戦場以外の場所での生き方がわからないままなのに、と心の奥底では思っている。
「うまいコーヒーを飲んで一息つく瞬間とかさ、そういう小さい積み重ねでいいんだって」
ライオニオは、頬についたチキンのタレを手で拭いながら、アリスへ諭すように語り掛ける。
「獲物を追っかける日々なんて、長くは続かないよ」
そう言われてしまうと、アリスは何も言い返せない。
祖国の戦争は終わった。
今思いつくとすれば、死んだ人間への弔いをする日々だろうか。
「アリスがしたいことを探す時間は、まだたくさんあるよ。生きてる限り」
アリスの脳裏に刻み込まれた、死んでいった仲間の記憶は、言わば重い呪縛だ。それを、ライオニオは知らない。
ライオニオは、己の人生を大きく変えた戦争が終わって、良かったと心の底から思っている。
アリスは、決着がつくまで終わらせてはいけなかったと思っている。
お互いに、現状へ向ける感情は別物だ。だが、あえて議論はしない。何も語らないから保たれている平穏が、ある。
「アリスの介護は俺がやるから、老後は心配しなくていいよ」
どう考えても頼りにならない青年に、あっさりと言い放たれて、アリスは明らかに戸惑った顔を浮かべた。
「介護って……そんな歳じゃないけど」
ぼそり、とボヤくしかない。
「一度さ、何がしたいのかって、考えてみたら?」
にこっと笑うライオニオの顔は、明るい。全身傷だらけで、顔が腫れ上がっていても、生きているならどうとでもなる、と信じているような顔。
ライオニオの、無鉄砲とも言える前向きさは、アリスには眩しい。
あの男を手にかけたところで、殺した人間の数が一つ増えるだけ。
クィンザクアで笑い合った仲間は、もう戻ってこない。
感情の整理など、できる自信がない。
アリスのそばに置いたビールジョッキ。ジョッキの肌に浮かんだ結露が下へ滑り落ち、テーブルに小さな水たまりを作る。
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