3.


         *


 


 

硝子の塔グラス・タワーの中にいる手下で一番、指揮力があるのは?」

 カウンター席に座った灰色の眼の男が、所在なげにキッチンの棚に背中を凭れるケリーに尋ねた。


「支配人」

 ケリーは、手にしたグラスに入ったストレートのスコッチを呷ってから、即答する。

 

 オーナーはまだ別荘にいるが、ケリーと梟は「No.7」にいた。

 店内の照明はつけたが、看板の電気は消したまま、扉には「CLOSE」のプレートを下げて、中に人はいても店が開いていないのは明らかな状態だ。

 

「そいつは今でも、お前の手下なのか?」

 島の権利がオーナーからヴァンサン・ブラックに渡ると、ヴァンサン・ブラックはさっそく、島にいるケリーの手下を配下にした、ようだ。

 

 「ようだ」と表現するのは、ケリーが直接連絡を取って支配下に置いている人材もいれば、何かあったら誰かしらの仲介を通して連絡する、緩い繋がりの人材もいるからだ。

 

 とりあえず現時点で、硝子の塔にいた手下の半数は、ヴァンサン・ブラックへ寝返った様子だった。

 

 なので、ホテルの支配人が一番指揮力を持つ、と聞いて、梟は少し納得いかない顔をしていた。

 

「支配人は私の仲間だから、彼は私を裏切らない」

 ケリーの言葉に迷いがない。

 

「なぜそう言い切れる?」

 自信満々なケリーの態度を見た梟は、微かに眉を寄せた。

 

「支配人は、私の今のパパ。ママの再婚相手。誠実で優しくて、ママをとっても愛してる人。私にも優しくて、誕生日には極上ディナーと薔薇の花束用意してくれる、自慢のパパよ」

 いかに、支配人こと今の父親と母親が仲睦まじく、義理の娘である自分に優しいかを、ケリーはすらすらと喋り続ける。

 

 ケリーの母親は、何回も結婚と離婚を繰り返していて、硝子の塔の支配人が今の夫だった。

 今の父親を尊敬を込めて気に入っているらしいのは、語り口でわかる。

 

「お前のパパとやらの仕事は、ホテルの支配人だ。要するに、ヴァンサンに徹底的に反抗できるわけがない。仮にも現オーナーなんだし」

「あんたのそういう嫌味なところ、本当に嫌い!」

 自分の義理の父親すら疑いの目を向けている男の言葉は、腹が立つのが八割、残りの二割は的を射ている。ケリーは言い返す言葉が思いつかず、嫌い、と言い放つしかなかった。

 

 不意に、梟は鋭い視線をドアに向けた。

 灰色の眼の男の纏う空気が瞬時に変わり、ケリーは息を呑む。

 梟が向ける視線の方向、「CLOSE」のプレートがかかっている店のドアの曇りガラスに、人影が見えた。そして次の瞬間、ドアのガタガタとドアを叩く音がした。

 ドアを叩く人影は、ケリーと呼びかけた。男の声だった。

 梟がケリーに窺うような眼で、無言で尋ねた。

 ケリーは黙って、首を横に振る。ケリーは誰もこの店に呼んでいないし、聞き覚えのない声音だった。

 

 梟はカウンターから立ち上がると、ドアノブがある側の壁にぴったりと張り付き、左手で鍵のサムターンを回す。これで、ノブを下げて力を入れれば、すぐにドアは開く状態になっている。

 だが、外側にいる人物は、開錠されたとは気づいておらず、ドアを叩き続けている。

 仕方なしに、梟はノブをこちらから下げ、力をかける。わずかに開いた隙間から、外側の人物が踏み込もうとする。

 

「銃を下ろして」

 ケリーはドアから滑り込んできた人物を見て、慌てた様子で梟に声をかける。

 梟が持つ拳銃の銃口は、あっという間に梟に組み敷かれた状態の侵入者の頭に、突き付けられていた。

「制服から見るに、硝子の塔の清掃スタッフの子」

 そこまで聞いて、梟は銃口を離し、がっちりと拘束していた侵入者の体を解放する。

 

 侵入者は、ボタニカルな模様の半袖シャツと薄いベージュのボトムスと、スニーカータイプの黒い安全靴を履いている。これが、硝子の塔の清掃スタッフの制服らしかった。

 

 いきなり床に転ばされ、身動きを封じられた清掃スタッフの青年は、半分泣きながら、身を起こした。

「この子、泣いてるよ? 謝りなさいよ、あんた」

「今のは不可抗力だろうが」

 ケリーはキッチンから飛び出して、床に座りこんだまま、グスグスと鼻をすすっている青年を立ち上がらせる。

 ケリーに咎められた梟は、露骨に嫌そうな顔をした。

 

「で、何の用かな?」

 立ち上がらせた青年の服を、大して汚れてもいないのにはたいてやりながら、ケリーが尋ねる。

 青年は、梟には一切視線を向けずに、困り顔で泣きそうになりながら、答えた。

「俺、あ、あの、若いアジア人の女に、伝言、頼まれて……、22時20……? あたりにスタートで、20階を目指して無理だったら60階? 70階? って」

 思い出しながら喋っているのはわかるのだが、要領得ない。

 

「……思ってた以上にふんわりした伝言」

 ケリーは青年の言葉を反芻して、なんとか落とし込もうとしたが、結論としては「ふんわりとした伝言」だった。

 それでも、

「まぁ、何となく言いたいことはわかった」

 梟には伝わったのか、ケリーが感じているほどの困惑は感じられない。

 

「今、22時58分」

 梟は胸ポケットにしまっていたスマートフォンを取り出し、画面の時計を見る。夜明けまで、約7時間。

「思ったより時間あるな」

 そう呟いて、梟は店のドアに手をかける。

「ちょ、どこ行くの?」

 ケリーは怪訝な顔で、何も言わずに出て行こうとした梟の背中を呼び止める。

 

のところ」

 振り返らず、ドアを開けた梟は、一言で答えた。

 

「は? こんな時に⁈ つか他に女いたの? 最低! うんこ! むっつり!」

 ケリーはその場で思いついた罵倒を、出て行こうとする男に投げる。

 

 むっつり、と言われた時だけ、梟は振り返った。

「それは言い過ぎだ」

 むっつりという言葉だけは、梟の中で引っかかるらしい。

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