11. It's on
1.
フロアは89階から下がって、60階。
時刻は22時過ぎ。
暗い展望フロアは、窓から入る外の光でやっと、1.5メートルほどの視界が確保できるくらいだ。
この展望フロアは、24時まで営業しているはずだった。
この島の、そう多くはない観光名所なのに、照明は全て落とされ、私たち以外の人間がいない。
レストランでのディナーを終わらせ、部屋に戻ろうとしたら、展望フロアを見に行かないか、とヴァンサンに誘われた。
断りたくても、ジェレミーが視線で圧をかけてくるので、渋々ここに来ている。
ヴァンサンは子供みたいに、フロアを蛇行しながら、あちこち指を差して喋っている。
私は適当な相槌を打ちながら、ヴァンサンの後ろを歩いている。
ジェレミーはその私の後ろを、付かず離れず歩いている。いつでも拳銃を引けるよう、右手を
「どうやって人払いを?」
状況からして、ヴァンサンが指示したとしか思えなかった。
「火事が起きた、って説明して追い出した」
私の問いに答えたのは、後ろにいるジェレミーだった。
「せっかく観光名所に来たのに、災難すぎる」
私が硝子の塔にいる間、観光客を入れずにずっと閉鎖しておくつもりではないだろう。とはいえ、今日来ていた人は不運すぎる。
「さっきのレストランの方が、綺麗な夜景が見れたね」
ヴァンサンはやっと立ち止まると、窓ガラスに指を這わせ、つまらなそうに言う。
「興ざめになることを言わない」
ヴァンサンの動きに合わせて足を止めたジェレミーが、
自分の感情をそのまま言うヴァンサン。
ヴァンサンをフォローする役割のジェレミー。
ままごとのような二人のやり取りを見ていると、この二人が老獪な武器商人の大物たちと渡り合っている、と信じるのは、難しい。
「お近づきの印に、これをあげようと思って」
ヴァンサンは私に向かって微笑んだ。
ミケランジェロの作った彫刻みたいに整った顔が笑うと、周りに光が散ったように感じる。
そんなヴァンサンの手には、小さなベルベットのケースがあった。
そのケースは指輪でも入っているようなサイズ感で、思わず顔が引き攣る。
「安心して。いきなり指輪渡すような重い男じゃないから」
「だよね、めっちゃ怖い」
杞憂に終わって良かった反面、何を渡そうとしているのか、もっと不安になっていた。
ヴァンサンはアクセサリーケースの蓋を開け、取り出した中身を右手に取り、その手を私の耳元へ伸ばす。
例えば、アクセサリーショップで恋人のアクセサリーを選んでみせるような。
その素振りが、妙に慣れていて鼻についた。
ヴァンサンが私の耳に合わせようとしたのは、耳たぶの下にティアドロップの形の宝石が揺れるタイプのピアスだった。
このタイプのピアスが、ヴァンサンかジェレミーの趣味なんだと思う。
暗い中でも、光があれば取り込んで、美しく撥ね返す大粒の宝石。
フロアが暗すぎて、この石が何色かわからない。透明度から言えば、ダイヤモンドかジルコニア。それか、淡い色の石。
何の石だとしても、ジルコニアはともかく、天然で採れる鉱石で、ここまで大ぶりなサイズは珍しい。
「私、ピアスホールは開いてないから」
身を引いて、ヴァンサンと物理的に距離を取る。そして、丁重に受け取りを拒否した。
「ごめんごめん、それは僕たちのリサーチ不足だった」
何にも気にする様子がなく、ヴァンサンはピアスをケースにしまい直している。
ピアスホールが完成するまでのケアが大変だから、やりたくない。
なんてボヤいたところで、ヴァンサンが私の手を取って、ピアスの入ったケースを押し付けようとしてくるのは変わらない。
「まぁ、要らなかったら売ってもいいから」
ピアスの押し付け合いで腕相撲みたいになっている、私とヴァンサンに向かって、苦笑いしたジェレミーが声をかける。
「……そこまで言ってもらえるなら」
ジェレミーがそこまで言うなら、と受け取ってしまえる自分は、我ながら現金だと思う。
「残念ながら、鑑定書はないから、値段下がるけどね。それは、いわゆる
ヴァンサンがまた、笑う。柔らかく華やかな笑顔は、貼り付けた作りものなのに、十分美しかった。
この石は、ダイヤモンド。
紛争地域で反政府勢力などが、金の代わりに差し出した、紛争ダイヤモンドだ。
二十年前あたりから、紛争ダイヤモンドには国際的な規制が敷かれ、公には流通されなくなった。ゆえに鑑定書も存在しない。
けれども、ダイヤモンドだ。しっかりと価値がつく。
ヴァンサンは私に腕時計をした左手を見せてきた。
ベゼル部分にぎゅうぎゅうに並んだダイヤモンド、文字盤に何個も飾られたダイヤモンド、リューズにもダイヤモンドがあしらわれている。
「今取引してる相手の持ってる土地で、昔はダイヤモンドが掘れたんだって。で、久々に出てきた原石をもらって、こうやって加工したの」
本来は
「そういうことを臆面もなく言う」
需要があるから供給する。武器は、
売ることに悪意はない。利益を追求しているだけだ。
もともと私が足を突っ込んでいた沼だから、そんなことは知っていたけれど、見せつけられると気が重くなる。
「受け取った以上、返さないでね。身に着けるか、捨てるか売るしかないね」
ヴァンサンは私の左手にあるアクセサリーケースに手を添え、しっかりと握らせる。
「綺麗事言えば、綺麗になれると思った?」
向かい合った先にあるエメラルドブルーの瞳が、私の腹の中を探ろうと睨みつけている。
「大丈夫、ミシェル一人じゃない。僕もジェレミーも、みんな同じ穴の
さらっと伸びてきたヴァンサンの右手が、私の頬を触ろうとした。
さっきから、やたらと距離が近くて、癪に障る。
「気安く触るんじゃねぇよ」
気づいた時には、命令形で、しかも日本語で発していた。
人間、いろいろ振り切れると、母国語が出てしまうらしい。
彼の気持ちが、今なら痛いほどわかる、かもしれない。
私が満面の笑みを見せたにもかかわらず、ヴァンサンとジェレミーは、一瞬にして殺気立った。
さっき、ヴァンサンの腕時計を見た時、時刻は22時15分くらいだった。それから、大して時間は経っていない。
明日の日の出は午前5時48分。これから、約7時間半。
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