10. Sleepless
1.
黒くて真っ直ぐな髪は腰まで伸びていて、切れ長の黒眼を縁取るまつ毛も長い。
薄手のシャツを羽織ってデニムのショートパンツ姿は、ホテルのグレードにそぐわない。
「どうして、『神の杖』が存在すると思っているのかなって」
静かに微笑みかけ、ヴァンサンに尋ねる渕之辺 みちるの声音には、感情がこもっていない。
「イヴァンが長年追いかけてきた商品だよ? そりゃ気になるじゃない」
『神の杖』
まことしやかに囁かれ続けた、大量破壊兵器の名前。
衛星に載せたロケット付きの重金属砲弾を、宇宙空間から降らし、地上到達時の破壊力を増幅させる。
想像できないほどの破壊力を生むとも、現実にはそんな破壊力はないとも、言われている。
現代の科学では、おおよそ実現不可能な技術であり、誰もその威力は体験していない。
約二年ほど前、ロシアやその関係国が共同開発した『神の杖』が打ち上げられた、と言われた。
だが、『神の杖』を載せていたと思われる軍事衛星は、打ち上げから約一年で突如、宇宙空間で粉々になった。
ゆえに、今は存在しないとされる代物。
「俺たちみたいな下っ端がイヴァンに取り入るには、『神の杖』が一番有効な材料だと思った」
ジェレミーはグラスの中のワインを揺らし、口角を上げる。
「イヴァンのために、ありもしない、都市伝説みたいなものを、あなたたちも探していたとはね」
丁寧な喋り方をしているようで、苛立ちと呆れが全面に出ている。半分馬鹿にしたように、クスクスと軽い笑い声を立てた。
皿に乗った料理は、ちょうど空になっていた。それを見たスタッフが、足音を極力抑えて近づいてきて、皿を片付ける。
「じゃあさ、
それは、公式発表などされていない。だが、その筋の専門家はみな、知っている事実。その話を耳にした武器商人たちは、『神の杖』が実在していたのだと、ざわめいた。
「そんなに否定したがるのは、
黒い瞳に映るヴァンサンは、余裕綽々といった空気を醸し出している。
「つまり、本当は存在してたんだ」
「最初は、どっかの大物武器商人と仲良くなって、分け前をもらえれば十分って思ってた」
ヴァンサンは、渕之辺 みちるの黒い瞳を凝視しながら、話している。
「でもジェレミーは頭がいいから、それよりもっと大きい目標を立てたんだ」
そう言って、ちらり、と横を見ると、ジェレミーは黙って一回、頷いた。
「欧米が、スペースデブリになった『神の杖』に興味を持ち始めたタイミング」
次に口を開いたのは、ジェレミーだった。
「その貴重なデータを保有していたリエハラシアは、崩壊した」
ヴァンサンと違い、渕之辺 みちるには視線を遣らず、テーブルの上に落ちた灰の欠片を拾おうとしている。だが失敗して、黒い汚れをつけた。
「もちろん、俺たちみたいな下っ端の武器商人が、打ち上げまでされた最新版の『神の杖』を情報を手に入れるのは無理」
渕之辺 みちるはジェレミーの言葉を黙って聞いている。その間に、新しい料理が手元に届く。
皿からのぼる湯気と、焼いた肉の香ばしい香りが、手紙を燃やした時の臭いを消していく。
「俺たちでも、リエハラシアが持っていた、開発途中のデータは手に入ると踏んだ」
目の前にいる渕之辺 みちるは、黙々と鶏肉のポワレを口に運んでいる。
咀嚼しながらジェレミーの言葉を聞き、時折口元に笑みを浮かべてみせては、また肉を切る。
ジェレミーが目配せすると、今度はヴァンサンが話し始める。
「僕たちは、もっといい商売の仕方を考えたんだ。市場シェア率の高い武器商人同士のネットワークを、デジタル化する!」
ヴァンサンがピッ、と人差し指を立てて言うと、何かのCMみたいだ、と見ているだけの渕之辺 みちるは思った。
「取引で、何か足らないとするじゃない? そういう時に、在庫がある人に輸送してもらって、お願いした側が金を払う」
渕之辺 みちるは少し首を傾げ、納得いかない様子だったが、じっと聞いている。
「取引相手も満足、動かない在庫を持ってた人も満足、欠品した状態で納品しなくて済むから信用問題もクリア、みーんな満足」
ヴァンサンが淀みなく話す言葉は、聞き心地がいい。温めていたアイディアのアピールポイントを、相手にしっかり売り込んでいく。
「ゆくゆくは、請求処理とかもできるシステムも作ろうかなって。そうすると、すぐに現金化したい人もいると思うから、そのために
武器の売買で得た金を、
「課題があるとしたら、デジタルが不得意な武器商人の顔が、何人も思い浮かぶところなんだよね」
ヴァンサンが溜め息混じりに呟くと、ジェレミーも大きく頷いて同調する。渕之辺 みちるはひたすら、肉を咀嚼している。
昔ながらの、顔を突き合わせて商売したがる武器商人が、大物には多い。今ほどインターネットが普及しておらず、対面して商談を進めていた時代の名残だった。
「なんで私がこんなこと言わなきゃいけないのか、って気持ちはあるんだけど」
肉を飲み込み、グラスに入ったペリエを飲んでから、渕之辺 みちるは右手でこめかみを押さえる動きをする。
「心配なのは、ハッキングされたり、捜査機関に嗅ぎ付けられたら、一発アウトなところ。このご時世、どこから漏れるかわからない」
渕之辺 みちるからの指摘に、ジェレミーが答えを返す。
「セキュリティには細心の注意を払う」
「アクセス法、ログイン法、どちらも高難易度にすると、
もしくは面倒くさいと言って若者にやらせようとする、と渕之辺 みちるは苦い表情でぼやく。
「そのアイディアに関しては、やるんだったら世代交代してからの導入がいいと思う」
「意外とちゃんと相談乗ってくれるんだね」
的確ともいえる指摘に、ヴァンサンは少し驚いた顔をしている。
渕之辺 みちるは、ヴァンサンとジェレミーに視線を送った後、目を伏せる。
「あまりに無茶苦茶なアイディアだと、口挟みたくなるものなんだね」
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