9. Takeover
1.
――
ここは、梟がアリスティリアに狙撃された安宿の一室。
「ところでライオン」
硬いミリタリーシューズの底で顔を蹴られて、低い呻き声を漏らす。蹴られた瞬間、血と鼻水が混ざったものが、空間に跳ねていった。
俺が血とか涙、鼻水を垂れ流しで命乞いしても、梟を躊躇わせる要素になってなかった。
「ライオニオだよ!」
目の前の男が、人の名前をまともに覚えないのは、記憶力が悪いからだと思うことにする。
何かの音がさっきからしている、と思えば、おそらく男が持っているスマートフォンのバイブレーションが鳴っている。
「アリなんとかは、どうやって俺」
梟は、「俺」という言葉までははっきり発音していたが、途中で急に言い淀んだ。
「俺の居場所を知った」
そこだけ言い直すのが、不自然だと思った。言いかけていたのは、「俺
この最中も、スマートフォンのバイブレーションの音がBGMとして響き続けていた。
「ヴァンサン……ブラック」
ある日突然、アリスの前に現れた、綺麗な顔の男だった。
クルネキシアとリエハラシアが統合した半月後、アリスは退役した。
リエハラシアと統合しようなどと、アリスは少しも思っていなかった。けれど、その感情の行き場はなくなった。
勲章を持っていたアリスなら、訓練学校の教官をやるとか、いくらでもあると思っていた。けど、現実はそうじゃなかった。狙撃部隊のエースが教育に携わることを、元リエハラシア側は拒絶した。これからは事務職でじっとしていろ、と暗に言われたそうだ。
狙撃手が敵から嫌われる生き物だっていうのは、わかる。アリスの身を案じての提案だったのも、わかる。
でも、アリスはそれを喜ばしく思わなかったし、俺だって納得していない。
アリスはもっと評価されていいし、人を導いていける存在なのに。
鬱屈とした思いを抱えながらも、アリスは新しい仕事を探そうとしていた。
そんなアリスのもとに、ヴァンサン・ブラックは一週間前、突然現れた。従兄だかなんだか知らないが、雰囲気がよく似た男を連れて。
持ち掛けてきたのは、仕事。
俺たちにとって、縁も
『あなたの腕を見込んで、一度来てみないかと誘いに来たんだ』
それは、アリスを動かすには十分な誘い文句だった。こんな誘いをされたら、慎重に取り組んだ方がいいに決まっている。
ヴァンサン・ブラックが何を考えて、そんな話をアリスに持ち掛けたと言うのか。俺がそう忠告しても、その時にはもう、アリスはこの仕事をやる、と答えていた。
ヴァンサン・ブラックが何を画策していようと、これは理屈じゃない。
アリスは堂々と、俺にそう言った。
「ヴァンサン・ブラックが、情報をくれたんだよ」
アリスは、この島へすぐに飛び立っていこうとした。手伝うからついて行かせてくれ、と俺は必死にしがみついた。
「そのヴァンサン・ブラック、何が目的だ」
梟はどこかから持ち出したロープを手に、俺の両足を縛り始めた。
抵抗しようと足を持ち上げようとしたが、それだけで激痛が走って、何の意味もなかった。
「知らない」
両足を縛られた後、うつ伏せにされ、両手を後ろ手に縛られた。もはやなすがまま、だ。
いい加減、スマートフォンのバイブレーションの音が耳障りになっていて、早く応答に出てくれないかな、と思う。その言葉を、とても口には出せない雰囲気だけど。
「お前の歳は?」
梟からの尋問。
ガッと背中に衝撃が走った。
梟が、俺の背中を踏みつけていた。肺の中の空気が押し出されて、口から血混じりの涎と一緒に、漏れて出て行った。
「じゅ、18……」
息も絶え絶えに答える。
「アリなんとかの相棒だと言ったが」
この男が、ここまで徹底して名前を覚えないのは、悪意がある。
「クィンザグアの時、お前は生まれたか生まれていないかだったはずだ」
クィンザクア補給基地
「アリスは、俺の」
大して回らない頭の中で、アリスと俺の関係性を整理してみる。
正式な養子縁組したわけじゃない。
俺の養育権をアリスが持っていた。
親代わり。
尊敬している。
英雄。
どれも事実で、どれも本当じゃない。
「家族だから……知ってる」
脳みそが絞り出した答えは、こんな簡単な言葉だった。
「なるほど」
それなのに、梟からあっさりと納得されて、拍子抜けしてしまった。
と同時に、首根っこを掴まれ、部屋に備え付けの簡易シャワールームに押し込まれた。
シャワールームは狭くて、床のタイルの目地には、黴が点々と生えている。
シャワーのヘッドからは、水がポツポツと落ちてきて、それが顔に当たってくる。
拘束の仕上げとして、俺の口に猿轡をして、梟は言った。
「家族は大事にしろ」
今までずっと、冷たくて刺すような灰色の眼をしていた男は、どこか憐れむような眼差しをしていた。
バイブレーションの音が止み、男がやっと電話に出たのが、遠ざかっていく足音と音声からわかった。なんで俺は、こんな目に遭っているのだろう。
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