9. Takeover

1.


 ――サヴァンセがケリーの店に顔を出す三十分前。

 ここは、梟がアリスティリアに狙撃された安宿の一室。

 


 

「ところでライオン」

 硬いミリタリーシューズの底で顔を蹴られて、低い呻き声を漏らす。蹴られた瞬間、血と鼻水が混ざったものが、空間に跳ねていった。

 俺が血とか涙、鼻水を垂れ流しで命乞いしても、梟を躊躇わせる要素になってなかった。

 

「ライオニオだよ!」

 目の前の男が、人の名前をまともに覚えないのは、記憶力が悪いからだと思うことにする。

 何かの音がさっきからしている、と思えば、おそらく男が持っているスマートフォンのバイブレーションが鳴っている。

 

「アリなんとかは、どうやって俺」

 梟は、「俺」という言葉までははっきり発音していたが、途中で急に言い淀んだ。

「俺の居場所を知った」

 そこだけ言い直すのが、不自然だと思った。言いかけていたのは、「俺」で、連れがいたことを口にしたくなかったんだろう。まぁ、その気持ちは俺にもわかる。

 この最中も、スマートフォンのバイブレーションの音がBGMとして響き続けていた。

 

「ヴァンサン……ブラック」

 ある日突然、アリスの前に現れた、綺麗な顔の男だった。

 

 クルネキシアとリエハラシアが統合した半月後、アリスは退役した。

 リエハラシアと統合しようなどと、アリスは少しも思っていなかった。けれど、その感情の行き場はなくなった。


 勲章を持っていたアリスなら、訓練学校の教官をやるとか、いくらでもあると思っていた。けど、現実はそうじゃなかった。狙撃部隊のエースが教育に携わることを、元リエハラシア側は拒絶した。これからは事務職でじっとしていろ、と暗に言われたそうだ。

 

 狙撃手が敵から嫌われる生き物だっていうのは、わかる。アリスの身を案じての提案だったのも、わかる。

 でも、アリスはそれを喜ばしく思わなかったし、俺だって納得していない。

 アリスはもっと評価されていいし、人を導いていける存在なのに。


 鬱屈とした思いを抱えながらも、アリスは新しい仕事を探そうとしていた。


 そんなアリスのもとに、ヴァンサン・ブラックは一週間前、突然現れた。従兄だかなんだか知らないが、雰囲気がよく似た男を連れて。

 持ち掛けてきたのは、仕事。

 俺たちにとって、縁も所縁ゆかりもない南国の島に、リエハラシアの梟がいる。

 

 『あなたの腕を見込んで、一度来てみないかと誘いに来たんだ』

 

 それは、アリスを動かすには十分な誘い文句だった。こんな誘いをされたら、慎重に取り組んだ方がいいに決まっている。

 ヴァンサン・ブラックが何を考えて、そんな話をアリスに持ち掛けたと言うのか。俺がそう忠告しても、その時にはもう、アリスはこの仕事をやる、と答えていた。

 

 ヴァンサン・ブラックが何を画策していようと、これは理屈じゃない。


 アリスは堂々と、俺にそう言った。

 

「ヴァンサン・ブラックが、情報をくれたんだよ」

 アリスは、この島へすぐに飛び立っていこうとした。手伝うからついて行かせてくれ、と俺は必死にしがみついた。

 

「そのヴァンサン・ブラック、何が目的だ」

 梟はどこかから持ち出したロープを手に、俺の両足を縛り始めた。

 抵抗しようと足を持ち上げようとしたが、それだけで激痛が走って、何の意味もなかった。

 

「知らない」

 両足を縛られた後、うつ伏せにされ、両手を後ろ手に縛られた。もはやなすがまま、だ。

 いい加減、スマートフォンのバイブレーションの音が耳障りになっていて、早く応答に出てくれないかな、と思う。その言葉を、とても口には出せない雰囲気だけど。

 

「お前の歳は?」

 梟からの尋問。

 ガッと背中に衝撃が走った。

 梟が、俺の背中を踏みつけていた。肺の中の空気が押し出されて、口から血混じりの涎と一緒に、漏れて出て行った。

 

「じゅ、18……」

 息も絶え絶えに答える。

 

「アリなんとかの相棒だと言ったが」

 この男が、ここまで徹底して名前を覚えないのは、悪意がある。

 

「クィンザグアの時、お前は生まれたか生まれていないかだったはずだ」

 クィンザクア補給基地邀撃ようげき戦は、十八年ほど前の出来事。それでは計算が合わない、と言いたいのだ。

 

「アリスは、俺の」

 大して回らない頭の中で、アリスと俺の関係性を整理してみる。

 

 正式な養子縁組したわけじゃない。

 俺の養育権をアリスが持っていた。

 親代わり。

 尊敬している。

 英雄。

 どれも事実で、どれも本当じゃない。

 

「家族だから……知ってる」

 脳みそが絞り出した答えは、こんな簡単な言葉だった。

 

「なるほど」

 それなのに、梟からあっさりと納得されて、拍子抜けしてしまった。

 と同時に、首根っこを掴まれ、部屋に備え付けの簡易シャワールームに押し込まれた。

 

 シャワールームは狭くて、床のタイルの目地には、黴が点々と生えている。

 シャワーのヘッドからは、水がポツポツと落ちてきて、それが顔に当たってくる。

 

 拘束の仕上げとして、俺の口に猿轡をして、梟は言った。

「家族は大事にしろ」

 今までずっと、冷たくて刺すような灰色の眼をしていた男は、どこか憐れむような眼差しをしていた。

 バイブレーションの音が止み、男がやっと電話に出たのが、遠ざかっていく足音と音声からわかった。なんで俺は、こんな目に遭っているのだろう。

 

 

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