7. Dead ringer

1.


 

 ライオニオ・アリサンディ=ローダモントが、サヴァンセにさんざん暴行を受け、アリスティリア・ヤシルド=リングネンツェの名前を出していた頃。


 島を隈なく照らしていた陽は沈み、群青の空に星が輝き始めていた。

 周囲の建物より高い位置で見る夜空。遮蔽物のない空は、ガラス越しながらも壮観だった。

 

 

 硝子の塔グラス・タワー89階のフレンチレストランは、また貸切にされていた。

 客は、昼間同様、一組だけ。だが、人数が増えた。ヴァンサンとジェレミーの二人組に、渕之辺 みちるが加わった。


 

「うーん、肉最高!」

 渕之辺 みちるが大喜びでナイフを入れるのは、牛フィレ肉のローストだった。

 

「たしかに、好きなもの食べていい、とは言ったけど」

 渕之辺 みちるの向かい側に座るジェレミーは、苦笑いを通り越し、引きつり笑いを見せていた。

 

「ここまで頼むとは聞いてないよね」

 ジェレミーの隣に座っていたヴァンサンは、大袈裟な溜め息をつく。溜め息をつく顔もまた、翳りのある趣で美しい。

 

 牛フィレ肉のローストの後には、豚肉のシャルキュティエール風、鶏肉のポワレ、合鴨肉のコンフィ、鹿肉のオーブン焼きが続く予定だった。

 

他人ひとの奢りで食べるご飯は、無条件で美味しい」

 渕之辺 みちるは、肉を頬張って味わいながら、幸せを噛み締めた。

 

「奢らされる側の気持ち、考えたことある?」

 グラスに注がれたワインを一口飲んでから、ヴァンサンはぼそりと言う。

 

「私の前で、奢るって言ったのが運の尽きでしたよ」

 渕之辺 みちるは全く気にせず、牛フィレ肉のローストを食べ進める。

 

「ケリーとオーナーに何も言わないで、この島にいるのは悪手だったんじゃないですか」

 肉を飲み込んだ後、ペリエの入ったグラスに口をつけ、一呼吸おいた渕之辺 みちるは言う。

 強気な笑みを浮かべる口元、感情を読み取らせない黒い瞳。

 人の反応を試しているとしか、思えなかった。

 

「何度も相談しょうと思ってたんだよ。けど、オーナーが、僕になかなか会ってくれなかった。だから、仕方ないんだ」

 さっきから困り顔をしているヴァンサンの前には、一口だけ食べたパテ・ド・カンパーニュの皿がある。

 

「この島のオーナーって、そんなに気難しい人だとは思わないけど?」

 私なんかを受け入れてくれたし、と渕之辺 みちるは付け加える。

 

「ミシェルに会ってみたい、って言ったら、拒否されちゃって」

 ヴァンサンは斜め45°に顔を傾け、ふふっ、と笑った。その角度の顔は、宣材写真かと思うほどの見栄えの良さだ。

 

 だが、そんなことは、肉料理に夢中の女には関係ない。

「なんでそんなに、私にこだわるのかな」

 そう言ってから、また肉を一切れ頬張る。

 

「さっき説明したと思うけど?」

 そう言って、ジェレミーがニヤリと笑ってみせた。

 

「例の、新兵器のことを聞くため?」

「それ以外の理由はない」

 渕之辺 みちるの視線が真っ直ぐ、ジェレミーに向く。

「じゃあ、無駄足になっちゃいましたね」

 ジェレミーの緑色の眼と、渕之辺 みちるの黒い眼が睨み合う。

 

「全ての武器はイヴァンに繋がる、とはよく言ったものだよね」

 ヴァンサンは渕之辺 みちるに同意を求めて言うが、渕之辺 みちるはヴァンサンのことなど知らぬ顔で、牛フィレ肉を食べることに集中していた。

 

「僕たちにも、それくらいの勢いが欲しいよね」

 反応のない渕之辺 みちるではなく、隣のジェレミーに同意を求めると、

「理想だよな」

 相槌を打ちながら、ジェレミーは自分の前にある皿のパテ・ド・カンパーニュの最後の一切れに、フォークを刺す。

 

「業界入って一年ごときの新参者が、それを成し得ようなんて、思わない方がいいんじゃないかな」

 目の前の二人の会話を鼻で笑った渕之辺 みちるの脳裏には、「ヴァンサン・ブラック」という武器商人の後ろにいる、大物たちの顔が浮かんでいる。

 

 見た目のいいヴァンサンと、その相棒パートナーのジェレミー。

 二人の言う通り、後ろ盾になっている大物たちは、この二人を利用して市場を広げようとしている。

 この二人は、後ろ盾の大物たちを出し抜こうとしているが、後ろ盾の大物たちも、それは織り込み済みのはずだ。

 これは、武器や戦車を持った狐と狸の化かし合い。

 

「はっきり言わせてもらうと、この先どうなろうと知ったことじゃないのでね。私は力になれない」

 戦況を操れるほどの権威を持つ武器商人として、絶大な影響力を持っていた、イヴァン=アキーモヴィチ・スダーノフスキー。

  

 そのイヴァンの死に、渕之辺 みちるが関わっていると、多くの武器商人から思われている。

 

 だからこそ、渕之辺 みちるは、旧知の武器商人たちと積極的にやりとりをしてこなかった。

 パワーバランスを崩した存在として疎まれているのは間違いないからだ。


 

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