第62話 男にはやらねばならない時がある
崇と千華さんに子供ができたと聞いた時、正直祝福だけでなく複雑な気持ちになったのは否定できなかった。
「くそ、崇のやつ……他人事だと思って好き勝手言いやがって」
コーヒーを淹れて自室へと戻った俺は、首裏を摩りながらチェアーに腰掛けた。キィ、キィと軋む音がリズミカルに鳴る。
そもそも杏樹さんは学生なのだ。もう少し年相応な楽しい恋愛を経験するべきだ。
とは言っても、こんなオッサン相手では煌めくようなアオハルは期待できないかもしれないが、それでも。
「そうだよな……ウジウジ悩んでいる暇があったら、恋人として楽しい計画を立てるべきだよな」
彼氏彼女として、楽しい思い出を作った末にあるのが結婚なんだ。そうだよ、それだよ! 俺が言いたかったことはそう言うことなんだ!
デートの定番といえば何だろう? 映画? カフェ巡り? テーマパークや旅行? そういえば杏樹さんと一緒に買い物とか行ってないような気がする。
自分自身もデートらしいデートをした記憶は乏しいが、一先ず定番をしてみようと美味しそうなお店を検索してみた。
「今週末にでも出かけるか……」
口寂しくなった俺は煙草の代わりにタブレットを放り込んで、頭ん中と咥内をスッキリとリセットさせた。
———……★
「ってことで、俺は杏樹さんと一緒にド定番デートを制覇しようと思ってんだけど、杏樹さんはしてみたいデートとかあるん?」
食事を終えて、各々で一段落つき始めた頃。ソファーで雑誌を広げていた杏樹さんに声を掛けた。
「定番デートですか? えっ、そんな急に言われても……」
「まぁ、そうだよなー……。俺も買い物とか、ドライブや水族館とかしか思いつかないや」
「正直、私と絋さんは一緒に住んでるから、今更感はありますよね。でも急にどうしたんですか?」
頬杖をついて悩んでいる俺との距離を詰めて、杏樹さんは首を傾げて覗き込んできた。
改めて見ても、端正で綺麗な顔立ちで思わず息を呑んでしまう。こんな可愛い子が俺なんかを選んでくれたなんて贅沢極まりなくて、バチが当たりそうだ。
「出逢った頃に、一緒に色んな思い出を作ろうって話していたこと覚えてる? 俺は杏樹さんに色んな経験を得て欲しいし、楽しんでもらいたい。それに、この前は俺の趣味に付き合ってもらったから、今度は杏樹さんのことを知りたいし」
「私のこと……? んー、それなら雑貨屋に行きたいです」
「雑貨屋?」
「はい。私、インテリアを見るのが好きなので、引っ越し先の家具とかを見たいです」
元々家具や家電の下見には行こうと思っていたので、ありがたい提案だったが、それが杏樹さんの希望だったのか疑わしかった。
もしかして俺に気を遣っているのではないだろうか?
怪訝そうな顔で見ていると、彼女は慌てて説明をし始めた。
「こう見えてデザインとかにも興味があるんですよ? インテリアデザイナーにも興味があるし、絋さんがしているサイトや動画編集も気になっているし。でも一番は可愛いインテリア雑貨が好きだから、Francfrancで照明とか食器とか揃えたいです」
「あー……確かに杏樹さんって、無駄にお洒落なバスボールとか入れてそうだもんな」
「絋さん、無駄にお洒落って、一言余計です……!」
おっと、申し訳ない。
でも、こんなふうに会話ができるようになったことは素直に嬉しい。
「俺もインテリアは好きだよ。どっちかというと雑誌を眺めるのが好きなんだけど。こんな感じの家に住みたいとか……」
「絋さんはマンションよりも戸建派ですか? あ……それなら、ちょっと相談があるんですけど……」
言いにくそうに口籠った杏樹さんだったが、俺は静かに彼女の言葉に耳を傾けてた。
「私、古民家再生に興味があって……。実は両親の祖母の家が空き家になっているんです。行く行くはそこをリフォームして住もうかなと思っていたんですけど」
「え、そうなん? ちなみにドコ?」
「すごく田舎で……多迫っていう地域です」
確かにあまり聞き慣れない地名だし、山や田んぼが多い田舎のイメージが強い。便利な都心部に住み慣れていた身としては、色々と不便を感じるかもしれない。
「将来は建築関係に進んで、リフォームを主軸にした会社に勤めたいと思っていまして。実は大学もその方面で検討していたんです。でも、私には両親がいないし、色々不安だけど……」
「いや、いいじゃん。ちゃんと将来のことを考えていて、ビックリした」
素直な言葉に杏樹さんは一瞬真顔になったが、安心したように顔を綻ばせた。
「……本当ですか? 良かった」
こうして話をしていると、俺達は肝心な話をせずにきたんだと痛感した。
出逢った頃の弱々しい杏樹さんはもういなくて、しっかりと将来のビジョンを持った凛々しい女性になっていた。
そして彼女は更に決意した表情で、くいっと顔を上げた。
「あの、絋さん。この前は千華さん達と一緒にシェアハウス卒業って話していましたが、良かったら三月まで待ってもらって、私と一緒に住みませんか?」
「——え?」
「田舎だし、何かと不便かもしれないけど、私は絋さんと一緒に住みたいです。ダメ……ですか?」
「い、いや、ダメじゃないけど」
まさか同居を勧められるとは思っていなくて戸惑ってしまった。親族所有の家に一緒に住むって、それはもう家族のようなものじゃないか?
「ここのシェアハウスの延長のように考えてもらえればいいです! リフォーム代も両親が残してくれた貯金で出来ますし、不便だと思ったら無理には言いません! でも……この前、絋さんは私一人でも生きていけるようにって話してくれたじゃないですか。私なりに考えて……親が遺してくれたものをしっかりと引き継ごうと思って」
——しまったな、案外俺よりも杏樹さんの方がしっかりと考えてくれていたようだ。仕事を見つけたからって気持ちが緩んでいたのは俺の方だった。
「高校卒業してから……か。いや、俺としてはすごく有難い申し出だよ。幸い俺も在宅だから場所には拘らないし」
「ほ、本当ですか? それじゃ……!」
「お言葉に甘えて、杏樹さんの家に住ませてもらおうかな」
承諾の言葉に彼女は、嬉しそうにギューっと目を瞑って喜びを噛み締めていた。
「良かった……! 築四十年の古い建物ですけど、大丈夫ですか? 回りは山や田んぼしかなくて星が綺麗な田舎ですけど」
「うん、多分大丈夫だと思う」
「近くにコンビニもないような場所で、たまにイノシシやウリ坊を見かける時がありますけど」
——ん? ちょっと待ってくれ。
あれー、もしかして俺、返答早まった?
「……うん、杏樹さん。今度一緒に家を見に行こうか?」
「はい! リフォーム会社も決めないといけないので、色々見学に行きましょうね」
二人の間に温度差が生じた気がしたが、俺は問題点から目を逸らして、気付かないふりを貫いた。
———……★
絋「いやいや、でもここで断ったら同居解消で、そのまま破局だってあり得たし……。ここが男として決断するところだと思ったんだよ」
慎司「うん、絋にしては珍しく正しい判断したと思うよ? 大好きな杏樹ちゃんの為なら、田舎でイノシシと遭遇くらい朝飯前だろう?」
絋「いや、それは普通にアウトだろう? お前、猪突猛進を舐めるなよ?」
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