第52話 それなら、奪えばいいんですか?

 彼女の目の前で背後から腰に抱きつかれている状況——……。


 え、何これ。俺にどうしろと?


「こんなの運命すぎてビックリしました! KOWさんってファイヤーマン好きなんですか? ボクは大好き! あ、一応ファイヤーマンのことですよ? もちろんKOWさんのことも好きだけど♡」


 ポッと頬を染めて可愛く言われても、困るだけだ。とりあえず腕を離してくれないかな? 逃げも隠れもしないから。


「は、離して下さい! こんな公共の場で、非常識ですよ! 回りの人たちも見てるし、気付かれますよ?」

「大丈夫、大丈夫! ちゃんと変装用のウィッグと眼鏡をしているし。ボクだって気付いたのは彼女さんだけだよ? え、彼女? あれ、もしかしてKOWさんの彼女?」


 思考回路が直列じゃないのかな? 

 目の前で杏樹さんが「そうそう」と何度も頷いている。


「彼女なの? え、KOWさん彼女いたの? まぁいるかー、こんなにカッコ良かったら。えー、そっかー、どうしよーかなー」


 やっと離してくれたシユウだったが「うーん」と何度か唸った後に、ポンと手を叩いて満面の笑みを浮かべた。


「ねぇ、彼女さん。ボク、KOWさんのことが好きになっちゃったんですけど、彼女になってもいいですか?」

「いいわけないじゃないですか! な、何を言っているんですか⁉︎」


 彼女に彼女宣言だなんて、非常識にも程があるだろう?

 あまりにも突拍子もない発言に、俺も杏樹さんも絶句していた。


「えぇー、公認の愛人関係なら隔たりなくていいかなーって思ったんだけどな。だって、それを了承してもらえないなら、奪うしかないじゃないですか?」

「う、奪うって何を?」


 シユウはニヤっと笑みを浮かべると、俺の腕にしがみついて宣言をしてきた。


「それは勿論、KOWさんですよ! くれないならボクのものにするしかないです‼︎」

「ダメェー! 絶対にダメ! 絋さんは私の彼氏なんだから‼︎」

「ヤダヤダ! ボクだって好きになっちゃったんだもん! ボクもKOWさんが欲しいんだもん!」


 な、何だ? この状況……!

 両腕にタイプの違う美少女。だけど全然嬉しくない。

 そんなことより、回りの視線が気になってきた。だんだんおかしいと気付き始めた来場者が、混沌とした修羅場をカメラで撮影し始めたので、俺は慌てて二人を諌めた。


「と、とりあえず場所を変えて話し合おう! こんな晒し者みたいな状況はイヤだ!」


 こうして俺達は、またしてもろくに展示を見て回ることもできないまま、場所を移動することにした。


 ———……★


 とりあえず人目を避ける為に近くのカラオケに入店した俺達だったが、三者三様バラバラの感情を纏っていた。


「シユウさん、どういうつもりですか! 人の恋人を奪うってことがどういうことか分かっているんですか⁉︎」

「えぇー、だって好きになってしまったものは仕方なくないかな? KOWさんはボクの初恋の人なんだもん。簡単には諦められないね」

「諦められないって言われても、諦めてもらうしかないです……。俺は杏樹さんと真剣に付き合っているので」


 憤怒の杏樹さんとお気楽なシユウ、そして困惑の俺。


 あの、この人日本語が通じないんですけど、どうしたらいいですか?


「杏樹さんって言うんだね。あのさ、もし逆の立場だとしたら、杏樹さんは諦められる? せっかくKOWさんに出逢えたのに彼女がいるってだけで諦められる?」

「え………?」

「ボクは諦めきれない! だってスゴーく好きだから!」


 あまりの熱量に杏樹さんまで落城し始めている。

 いやいや、そんなの屁理屈だ。俺の意見はなぜ聞き入れてもらえない?


「あの、シユウさんが諦めきれないのは分かったけど、俺はどんなにアプローチされようが心変わりする気はないんで。やめて欲しいんですけど」

「えぇー、何でそんなことが分かるの? この世の中に絶対なんてないんだよ? もしかしたらボクのことを好きになる未来だってあるのに?」

「いや、申し訳ないですけど、今の時点で杏樹さん以外は考えられないので。諦めて下さいとしか言えないです」


 莉子さんといいシユウといい、何で俺に言い寄ってくる女性は自信家で変な人ばかりなのだろう?


 しばらくシユウは黙り込んで唸っていたが、観念したように「分かった」と大きく溜息を吐いた。


「今回は諦めてあげるよ。でもね、ボクはKOWさんのこと本気で好きになったから、諦めないよ? また近いうちにアプローチに行くから覚悟しててね」

「いや、結構です。ノーセンキューです」

「えぇぇー、何でぇ? ボクにだってチャンスをくれてもいいじゃん! ケチンボウ、オタンコナス!」


 だってさ、こんなことを言っていいのか分からないけれど、シユウの好きは薄っぺらいのだ。

 俺達は短期間に仕事のやり取りをしただけの関係だ。それで好きだって言われても、全く響かない。


「だってボクはKOWの顔も才能も、仕事へのベクトルとか全部全部好きだよ? そもそもこんな素敵な作品を作るなんて、頭の中どうなってんのって話だし!」


 拳を作って熱弁するシユウだったが、いやいや……それを言ったらシユウあなたの方がスゴいから。才能の塊が何を言っているんだ?


「分かります! 私も絋さんに動画を見せてもらいましたが、あまりにも素敵過ぎて何百回も見てしまいましたから! 顔も好きだけど、優しい性格とか頼りになるところとか、お人好しすぎるくらいに尽くすところとか、全部全部好きなんです!」

「そうそうそう! スゴーく思いやりがあるよねー♡ こんなイケメンに優しくされて好きにならないほうが可笑しいからね?」

「絋さんは自分がイケメンだってことを、もっと自覚して欲しいんです! 今日だって他の女性の視線が集まりすぎて気が気じゃなかったし!」


 ——え? 変人がもう一人増えた?


 待ってくれ、流石の俺も変人二人は対処しきれないぞ?


「分かってくれる? 杏樹さん! ……っていうか、よく見たら杏樹さんもスゴーく可愛い顔してるねー♡ あー、何か好きになってきたかも♡」


 トロトロな表情で杏樹さんを見つめるシユウ。

 え? さっきまで俺のことを好きだって叫んでいたのに、何だが様子がおかしいぞ?


「……まぁ、いいや。今日のところは素直に身を引いてあげるよ。その代わり杏樹さん、ボクと連絡先を交換してくれないかな?」

「え、私ですか? 絋さんじゃなくて?」

「だって杏樹さん、ボクがKOWさんと連絡先を交換したら嫌な気分になるでしょ?」


 シユウの言葉に妙に納得した杏樹さんは、言われるがままに連絡先を交換していたが、いいのか? なんか違和感を覚えるのは俺だけだろうか?


「とりあえずさ、今すぐ振られるのは納得できないから、ボクを知った上で決めてくらないかな? ねぇ、それでダメなら諦めるから」

「そう言うことなら……いいですよ」


 いや、納得する必要はどこにもなかったのだが、シユウの誘導尋問にまんまと乗せられた杏樹さんはすんなりと了承してしまった。


「えへへー、杏樹さんもKOWさんもよろしくね♡」


 こうして杏樹さんとの初デートは波乱に満ちた状態で終わりを迎えてしまったのであった。


 ———……★


「でも、アプローチって何をするん?」

「え、とりあえずKOWの家に泊めてもらって、攻めまくります!」

「はい、アウトー」


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