第27話 甘いキスと甘い罠
「——え? 何で帰ってきたんですか、絋さん」
「ここは俺の家でもあるはずだが?」
信じられないって顔で蔑まれた俺は、言い訳したい気持ちをグッと堪えて敷居を跨いだ。
分かる、崇の気持ちは痛いほど分かる。
せっかく気を利かせて先に帰宅したのに、当の本人達が帰ってきては台無しだと言いたいのだろう。
だがな、流石の俺もホテルに泊まってしまったら、耐えられる気がしないのだ。
「なぁ、崇……介護士の資格って難しいん?」
「急にどうしたんですか? まぁ、まずはヘルパーとか簡単な資格を取得して、実務経験を積んでからって感じですよ。もしかして、やっと本格的に仕事を探す気になったんですか?」
何だよ、その今更かみたいな空気は!
今までブラック会社で捨て駒のように働いてきたんだから、少しくらいはゆっくりさせてもらってもいいだろう?
「いや、別に絋さん一人の問題なら口は出さないですけど……。でも本腰入れるようになったのって、やっぱ杏樹さんがきっかけですよね? 何か進展ありましたか?」
「まぁ、それなりには?」
「さすがモテ男の称号を得ていただけありますね、絋さん。絋さんみたいなテクニシャンと夢のような時間が過ごせて、杏樹さんも幸せ者っすね」
——ん? 待て、崇……。お前、俺のことを煽てすぎじゃないか? いや、遠回しにおちょくっている? いやなぁ、慎司じゃありまいしな。
モテ男と言っても付き合った数が多いわけでもないし、最近は社畜生活をしてご無沙汰だった人間だぞ?
しかも今日の成果はキスのみだ。
「あんな美人な女子高生とだなんて、やっぱ絋さんは違いますね」
崇の場合は、嫌味でもなく本音だからタチが悪い。何故だ、学生相手に誠実なお付き合いをしているはずなのに、どうして俺が間違っているような気分になるのだ?
「そういえば俺達もマンネリになってきたので、絋さんにアドバイスをもらいたいんですけど」
「もう何も言うな……。頼むから黙っててくれ、崇」
崇の中の俺のイメージが恐ろしくて想像出来ない。もしかして杏樹さんも俺に対して壮大な期待しているとか?
いやいやいや、下手したら今時の男子校生の方が経験豊富かもしれない。俺の知識はエロ動画で培ったハリボテばかりだ。
——だが、それでも幸せそうに微笑む杏樹さんを見たらどうでも良く思えた。
(ハリボテでもいい……、杏樹さんが気持ちよく、そして幸せになれるセックスを調べまくろう!)
幻滅されないように努めようと、改めて決意をするのであった。
———……★
そして次の日、仕事や学校へと向かった三人を見送った俺は、再就職の為に本屋で資格取得の本を探しに出かけた。杏樹さんの為に何でもしようと意気込んでいたけれど、誰かの介護をする自分の姿を想像することができなかった。
ただでさえ離職率の高い職種だ。これで仕事が続かなかったら二度手間に成りかねない。
「かといって何がしたいのか……俺に出来ることって何だろう?」
昔からイラストを描いたり、デザインをすることは好きだったが、好きなだけでは成り立たないのが仕事なのだ。
そりゃ、こうして本屋に並んでいる書籍を見ると羨ましいと思うこともある。映画化した書籍の表紙を見た時には「いつか俺もこういうデザインを手掛けたい」と思っていたし、今でもオシャレな雑貨雑誌などを見ると胸が躍って立ち読みしてしまう。
俺だったらこういうアングルで撮るとか、もっと彩度を落としてシャープに仕上げるのにって、思考を広げて妄想を見てしまう。
インテリアの雑誌のページを捲って愉しみだした時だった。いきなり背中の辺りのシャツをギュッと掴まれ、ビクっと身体を強張らせてしまった。
「なっ——⁉︎」
「ごめんなさい、助けて下さい……!」
振り返った時に目に入ったのは、前髪をパッツンに切ったツインテールの美少女だった。だが幼い顔立ちとは裏腹に不釣り合いなほど大きな胸元に目が入ってしまい、慌てて目を逸らした。
デカい……! Eカップはあるんじゃないか?
「お兄さん、助けてくれませんか? 実はさっきから変な男の人に付き纏われていて……」
「は?」
彼女が指さした先にいたのは、挙動不審に回りを見渡しているガラの悪い男だった。不健康そうな顔付きに土色の肌。伸び切った髪の色はプリンになっていた。
「アイツ……? いや、俺よりも店員に声をかけた方がいいんじゃ」
「シッ! 静かにして? 今動いたらバレちゃうから」
俺も決して身長が高い方ではないが、さらに小柄なその女の子は、必死に姿を隠そうとしがみついてきた。
豊満な胸が押しつけられ、思わず雄の部分が反応してしまう。
いや、これは不可抗力って奴で……決して杏樹さんを裏切っているわけでは——……。
「あ、よかったァ。やっと諦めてくれたみたい。お兄さんのおかげです、ありがとう♡」
彼女はギュッと胸元を掴んで、ニコっと甘ったるい笑顔を見せてきた。いや、俺は何もしてないけど……。
「終わったなら離してもらえませんか? 俺も用があるので……」
「え、そんな言わないでお礼をさせて下さい! お兄さんのおかげで助かったんですから」
いや、だから俺は何もしてないから。
お礼をされるようなこともしていないし、何なら迷惑なんだけれど?
「それに、もしかしたらまだ莉子のことを探してるかもしれないし」
不安そうにしている彼女を見ていると、杏樹さんと出会った時のことを思い出して複雑な気持ちになった。だが杏樹さんの時とは全然状況が違う。ダメだ、余計なことに首を突っ込んだら面倒なことになる。
「——俺も一緒にレジに行くから、店員に相談したほうがいいよ?」
「あー、どうしよう! もうすぐで電車の時間になっちゃう! ねぇ、お兄さん、行こう!」
そう言って腕を掴まれ、なぜか俺まで本屋を出る羽目になってしまった。
何なんだよ、コイツ!
そうして連れられるがままに駅まで来たのだが、彼女が乗るはずだった電車はすでに出発した後だった。
「あーん、もう最悪! あの電車に乗りたかったのにィ!」
頬を膨らませてご立腹の様子だったが……いやいや、あと十分もしないうちに次の電車が来るのだが?
「………あのー、放してくれませんか? 俺も用事があるんですけど」
「え、あれ、ごめんなさい! お兄さんまで連れてきちゃった? もう莉子ったらドジで嫌になっちゃう」
嫌になるのは俺の方だ。
何、この状況。勘弁してくれ……。
「もう電車も出ちゃったし、改めてさっきのお礼をさせてもらえませんか? ドーナツ屋も近くにあるしィ」
腕を掴んでギュッと大きな胸を押し付けてきた。柔らかい……、その誘惑はとても魅力的ではあったが、邪心をかき消すかのようにブンブンと頭を振った。
「いいです、結構です。君も早く電車に乗って帰った方がいい。いつあの男が現れるか分からないから」
不意に鳴彦に怯えていた時の杏樹さんを思い出して、思わず目の前の彼女のことも心配になってしまった。せめて次の電車がくるまでは一緒にいた方がいいのだろうか?
不本意ではあったが、柱の影になるように二人で身を隠して電車の時間まで待った。
(くっ、杏樹さん……申し訳ない。俺が逆の立場なら、こんな状況嫌だよな)
しっかりと胸元を掴まれて、わがままボディを押しつけられて、気持ちとは裏腹に悦んでしまっている自分が情けない。
きっと杏樹さんに対して我慢している反動が出ているのだろう。やはり早く仕事を見つけて、堂々とお付き合いをして関係を深めていきたいと改めて実感した。
「やば……、やっぱりお兄さんってカッコいい♡」
その時の俺は、杏樹さんに対して申し訳ないとか、またあの男が姿を見せないかとか、確かに注意が他にいっていたことは否定できなかった。
だからと言ってこんな展開、誰が想像できただろうか?
いきなり目の前の女の子に胸ぐらを掴まれたと思ったら、そのままグイッと後頭部を抑えられて唇を塞がれてしまった。
ぶちゅぅぅぅぅー……っと、グロスたっぷりの唇が押しつけられて、頭が真っ白になった。
「んんー……♡(ちゅぱ)莉子、お兄さんのこと好きになっちゃったかも♡」
ゾゾゾと全身に鳥肌が立った。
この女、初対面で何をしているんだ?
急いで口元を拭ったが、起きてしまった事実は消せないのが悔やまれる。いくら不可抗力とはいえ、他の女の人とキスなんて、杏樹さんになんて言えばいいのだろう?
「もう、そんな恥ずかしがらなくてもいいじゃなーい。はい、これが莉子の連絡先だからよろしくね?」
「は? 連絡先って、待てよ! 何で勝手に人のスマホを見てんだよ!」
「ちなみにブロックとか無視とかしたら、家まで押しかけてあげるからダメだよォ。もうお兄さんは莉子のモノ♡ 他の女になんて渡さないから」
脅しの言葉を突きつけられて、俺は初めて自分の状況を理解した。
は? ラブコメの始まり? いやいや、サスペンスホラーの間違いだろう?
———……★
「独占力強めのダウナー美少女杏樹 vs 略奪大好き小悪魔系女子莉子」
莉子「骨の髄が蕩けるくらいトロトロに甘えさせてあげる♡」
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