第19話 添い寝は続行ですからね?

 俺が杏樹さんと出逢ったのは雨が滴る梅雨の頃。

 あれから季節ときが流れ、蝉が忙しく鳴り響く真夏日となったのだが——……。


「おい、絋! お前はまだ無職のままなのかよ……! あり得ねぇ、杏樹ちゃんという大事な彼女がいながら無職とか、本当にバカなのか⁉︎」

「違っ、これには理由があるんだよ、慎司! 俺だって前のような失敗をしたくないから、しっかりと会社を吟味して!」


 ——その結果、ブラックな会社しか見つからないことは言えなかったが。


 資格もない、学歴もない俺には再就職はハードルが高すぎて悪戦苦闘していた。だからと言って今から資格を取るなんて悠長なことも言えず、結局は八方塞がりだった。


「絋は見た目もいいし、話術もあるんだからホストになればいいじゃん! 不夜城築き上げようぜぇ〜」


 冗談半分でからかう慎司に歯軋りを立てつつも言い返すことも出来なかった。だが、その無責任な発言にご立腹だったのは俺だけではなかったようだ。慎司の背後に迫る影……気付いた時にはもう、逃げることも叶わず手遅れだった。


「あの慎司さん……? 私の大事な絋さんを変な道に誘わないでくれますか? 慎司さんのせいで変な虫がついたら、私は一生恨みますよ?」


 表情は和かな美少女なのに、氷点下の北極にいるんじゃないかと思うほど凍りついた笑みに、誰しもが殺気を感じて動けずにいた。


「い、いや……でも杏樹ちゃんも心配じゃない? 彼氏がずっと無職とか」

「何を言っているんですか? 絋さんが無職っていうことは、ずっと家にいるってことで、私以外の女性と接点がないってことなんですよ? いいんです。ゆくゆくは私が絋さんを養っていく予定なので、絋さんはこのまま無職のままでいいんですよ♡」


 い、いやだ! 流石に無職のままは嫌だ!


 日を追うごとにヤンデレ具合が増していく杏樹さん。最初の頃の初々しさが懐かしくて涙が出そうになる。

 っていうか、本当に無職は嫌だ!

 せっかく社畜を卒業したのに、今度は年下の美少女に養われる人生だなんて……。


 おい、そこ! 羨ましいと思ったか?

 実際は肩身が狭いし、申し訳なさしか残らない。

 俺は年上の彼氏として杏樹さんを養って、美味しいものを食べさせたり、可愛い服を買ってあげたり、旅行に行ったりしたいんだ!

 考え方が古い人間だと言われるかもしれないが、行く行くは杏樹さんと結婚して子供を産んで育ててもらいたい。


「んじゃ、ちゃんと就職しろよ。この無職野郎」


 正論をどうもありがとうよ、コンチクショー!


「っていうか、実際シェアハウスの手続きを進めてくれたのは絋さんでしたし、俺は感謝してますよ。それに慎重になる気持ちは分かるし。もう退職とか面倒なことをしたくないッスよね」


 俺のフォローをしてくれたのはデキる男、崇だった。

 コイツは本当にもう、イケメンになった上に性格もいいとか、完璧野郎か?


「いざって言うときは俺の職場に就職すればいいですよ。精神的にはものスゲェーブラックな会社かもしれないけど、まず不採用になることはないと思うので」

「ん、崇の仕事はたしか介護関係だったよな?」

「そうです、特別老人ホームのヘルパーですね。まぁ、慣れるまでは唸り声とかトイレ介助とか、精神的に参ってしまうかもしれないけど。今日も便をしたおじいちゃんが部屋中に撒き散らしていて……。あれは苦労したな」


 職種差別をするわけではないが、崇の表情を見ていると俺には無理だと痛感してしまう。そんな環境にも関わらず、働き続ける崇を尊敬する。


「つーか、絋の場合は独立してやっていけねぇの? デザイン関係の資格とかスキルを持ってんじゃねぇの?」


 確かに独立しようと思えばできるのかもしれないが、甘い世界ではないことは多くの苦渋を飲まされてきた俺が一番理解している。俺に出来ることは何だろう……?


 そんなマイナス思考に溺れかかった俺に気付いたのか、柔らかい腕の感触が絡みついて、そのまま包まれるようにバックハグをされていた。


「いいんです、私が卒業するまでの間は無職のままでも。だって当分の生活ができるくらいの蓄えもあるんだし、誰にも迷惑をかけていないじゃないですか。絋さんは絶望の淵に立っていた私を助けてくれた命の恩人なんですから、生きているだけで私はいいんです。ねぇ、絋さん……♡」


 背中に押し当てられる胸の感触が生々しい。え、杏樹さん、それわざと?


「それよりも、私達は引越しで大変なんですから、部外者の慎司さんは出ていってもらえないですか?」

「え、俺は皆にこのシェアハウスを紹介した重要人物!」

「邪魔です。早く出て行ってください」


 ギャーギャー喚く慎司を遠慮なく追い出した杏樹さんに、思わず拍手を送っていた。凛とした態度の美少女は迫力が一際だ。


「やっと始まったシェアハウス生活。早く荷物を運んじゃいましょう」

「確かに、このままじゃ段ボールの中で寝る羽目になるな。俺はちょっと千華さんの様子を見てきます。千華さん、こういった片付け苦手だし」


 それぞれの個室がある二階に上がっていく崇を見届けて、俺も自室で作業をしようと階段に登ろうとしたその時だった。


 改めて絡み付くように抱きついてきた感触。

 甘えてくる杏樹さんに引き止められ、俺は足を止めた。


「あの、絋さん……さっきのことは気にする必要はないですから。どんな絋さんでも素敵な彼氏に変わりないですから」


 嬉しいけど、やっぱり申し訳なさが勝る。

 早く就職先を見つけて安心させてあげたい。


「それはそうと、シェアハウスが始まっても添い寝は続けますからね?」

「は……? いやいや無理だろう? 他のやつもいるに」


 この家、結構壁が薄目だし、場合によっては大惨事になりかねない。だけど杏樹さんの腕は放れるどころかシッカリとホールドされたままだった。


「そんなの関係ないです。約束は約束ですから……ね?」


 ここ甘くて妖美な微笑を見た瞬間、俺は本能的に逃げられないと覚悟した。


 ———……★


「杏樹、ますますヤンデレに(笑)」

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